2004年2月3月4月5月6月

6月30日(水)ブルーベリー1粒31
ネットがまたできるようになって嬉しい事。レモンの木とキイウィの木の鉢植えを思いもかけず買ってしまった話。街で面白いペアを見た話。等々今日ははまって書こうと思っていたら、電話が入って明日出掛けるために用意しなければいけないことが出来てしまったので時間がなくなった。おまけに明日は朝6時半のJRで出かけるため、その用意も必要。今日はここまで。
6月29日(火)ブルーベリー2粒収穫30
今日は久方ぶりに友人とお昼を食べておしゃべり。昨日は山梨の友達から電話があり、近況報告を交わす。時々かけてるんだけどいないねえといわれる。電話って人がいない時を見計らってかかってくる気がする。家にいる時のほうが多いんだから。
仕事の関係でいろいろなところに住んだ。本当は生まれてから死ぬまで同じ場所に住むほうが私はいいなと思っている。新しい場所で新しい友達を作るのはそう簡単な事ではない。私の場合誰でもいいというわけにはいかない。話して面白い人、価値観がかみ合う人、優しい人、自分を持っている人等々自分のことを棚に上げての事だが,けっこう厳しい。初めからそう思って捜すとか言うわけではないが、長いあいだに、出会い、友達になった人がみんなそうだから、そうなんだと思う。恵まれてるなあと思う。特に今回は恵まれすぎなくらいたくさんの友人が出来た。皆さーんありがとう。
6月28日(月)ブルーベリー4粒28
インターネットが使えないとパソコンを開くのもめんどくさい感じ。ワードを使ってする仕事も有るにはあるが、まっ、いいかという感じだ。今日は歯医者の予約で出掛けた。帰る途中えらく警察の警備が多いなと思ったので、ああ小泉首相だなとわかった。広報車が公会堂前で12時半からだから集まって欲しいとスピーカーで流していく。うるさい事。車も渋滞。市や、県レベルの選挙より参議院選挙はうるさくないので助かる。やっぱり名前を連呼していると、人は入れる気になるんだろうか。私は名前だけ聞いても入れる気にはならない。
今日も暑い一日だった。外を歩くと肌が暑くなる。黒い日傘をさした人がたくさん歩く。紫外線を一番カットする色だとか。わたしは自分の好きなピンクを差している。健康のことだけ考えるとなんだか人生が面白くない気がして。そうでなくても健康のために痩せる事を一番に考え好きだった甘いものカットしてがんばっているんだから。とはいっても何が何でもの精神は辛すぎるから辞める事にしている。きょうは夕食後にチーズケーキを食べた。美味しかったが、前ほど美味しいと思わないから不思議。人は変わるんだ。良くも悪くも。せめて良い方に変わるべく努力しようと思う
6月27日(日)ブルーベリー2粒24
インターネットの調子がよくない。遅い。ものすごく遅い。遅いあげく駄目だったりするとがっくりくる。そうでなくてもこの梅雨時の湿気の多さと冷房からくる体のだるさにちょっとばかりまいっているというのに。気分は決してブルーというわけではないのだが、こうもパソコンの調子が悪いとブルーになってしまいそうだ。
やっぱりだめそう。また更新できる日のために毎日日記だけは書きつづけようと思う。今週はパソコン教室も用事が有っていけそうに無い。
6月26日(土)ブルーベリー5粒収穫22
昨日つかれて帰ってきたうちの住人は夕ごはんも食べてないというので、12時は大きく回っていたがある物を食卓に並べた。結局ビールを冷蔵庫に有るだけ飲んでしゃべってお休み。何時もそうそうビールの買い置きがあるわけではないので、もっと、というわけにはいかないがそれでも疲れを癒すぐらいはあった。思い出話は尽きない。遅くなったので私は薬を飲んで寝る事にした。朝寝などめったにした事は無いが、何が何でも朝寝するという固い決意。さやが顔を舐めてお越しに来てもおきない。電話がなっても起きない。とにかく寝る。うちの住人に朝をしっかり頼んで寝た。めったに飲まない薬なのでしっかり効いて久方ぶりの朝寝。この梅雨時の湿気と冷房でおかしくなったからだが少しリフレッシュしたようだ。
時々自分が働き者だったら、もっと色々な事ができるのにと思うことがある。私は自分で言うのもなんだが、すればかなりの事が出来る人だと思っている。所がしない。しなければいけない、ぎりぎりまでしない。困ったもんだ。何しろ趣味がおしゃべりだから、仕方がないのかもしれない。
6月25日(金)ブルーベリー1粒収穫17
一日電話でおしゃべりにいそしんだ日だった。朝一番に姉と話しその後、久方ぶりに友達から電話があった。市外電話なのにぺらぺらと長話で3時間以上話したんじゃないかなと思う。久方ぶりだったので積もる話がありすぎて次から次に話が弾んでしまった。私は彼女が大好き。子供の中高時代の同級生の親同士ということで親しくなったのだが、子供同士は特別親しいというわけではない。私は子供の仲良しの子の親とは友達にならなかった。子供から「お母さんは僕の友達の親とは親しくないんだね」と言われた事もある。しかたがない、誰だって価値観や趣味や何か合うものがあるから親しくなれるんだもの。
私たちが結婚して2番目に住んだ場所でお世話になった仕事上の先輩が亡くなられたと聞いたので、うちの住人は出掛けた。遠いので帰れるかどうかわからないということだったが、最終で帰ってくるという連絡があった。忙しい日々が続き見ていて本当に大変だなと思うので、帰ってきた時にほっとするようにさやを連れて迎えに行く事にした。12時を回ると馬車はかぼちゃに、馬はねずみに変わるらしいが、真夜中12時の魔法でさやが可愛い女の子になったらうちの住人目をまん丸にして驚くだろうな何てばかげた事を考えて笑ってしまった。
6月24日(木)ブルーベリー2粒収穫16
6月23日(水)ブルーベリー2粒収穫14
今日人の思い込みって面白いなと思った。うちの住人のお迎えにさやのお供で駅に出かけた時出会った人。私の前を長袖の上着にかなり短めのスカートという白いスーツを着て、肩に黒のバックをかけ、靴は黒のピンヒール、ストレートな黒いロングヘアー、颯爽と歩く姿がかっこよかった。無意識のうちに若い人と思ってしまったようだ。追い越して、あれと何か不自然な感じがして気になって後を見て驚いた。どう見てもその人は50代か60代に見えた、顔が。勝手な思い込みで決め付けた私が悪いのだが、正直、無理しすぎと思った。大きなお世話とは思うが、そのバランスの悪さが、その人をちょっとばかり道化のように見せている気がして後姿だけ見ておけば良かったと思った。もっとはっきり言えば痛々しかった。私の友達があんな格好をしたら、多分私は言うだろうし、私も言って欲しい。あなた変よと。もしくは、何か心が乱れているんだろうと、心配になる。
今日はうちの住人が食べたいといっていた海老のかき揚げをした。久方ぶりの油ものというので、小さいのをちょっと思いつつ食べてしまった。煮豆も食べたかったので甘さものすごく控えめで作った。キンピラごぼうもピーマンとにんじんをいれて薄味に作った。みんな美味しかった。とにかく健康のために痩せる事が絶対ということで涙ぐましい努力中だが、おかげで、忘れていた事を一杯思い出している。食事もそうだが、生活の色々な事。リバウンドを避けるには生活の充実が必要だから。
6月22日(火)
梅雨の晴れ間とは良く言ったものだ。太陽さんさん直射日光バンバンという感じ。肌に光が痛い感じ。それを後どれくらい味わうのだろう。昔はこんなに感じなかったような気がするが、それもこれもオゾン層の破壊という人間のおろかさの結果だろうか。最近のニュースを見ても、町で見かけるいろいろな事も含めて、多分人は傲慢で、自分勝手なことばかりしているような気がする。文明が進んでいるというような思いを持つのは錯覚で、人の心は後退しているのかもしれない。
ちょっと買い忘れがあったので、お店に出かけた。いつも自転車を止める場所において信号待ちしていたら、向こう側に人だかりがしていた。なんだろうと思ったら、警備の人も多くテレビ局もたくさん来ている。民主党の代表岡田さんが24日からはじまる参議院選挙のための街頭演説だった。正直に言うと熱気が無い。今度の参議院選挙の投票率の低さが見えてくる気がする。通り過ぎていく人の表情にも何の関心も無いという態度が見え見え。大丈夫かなあと思ってしまう。それぞれの党の代表が駆け足でやってきて、もっともらしい事をぶち上げていくんだろうなと、いつもの選挙を思い起こさせる。党の大きさは警備の数でわかる。自民党の党首は日本の首相だから当然警備の規模も違う。投票は国民の義務ではなく権利なんだけど、権利の行使と思っていく人がどれだけいるんだろう。今回から投票所が少し遠くなった。でもしっかり権利を行使するために選挙には行く。
今日はブルーベリーが食べられなかった。紫色に熟した実が無かったから仕方がない。あと数日色づかないようだ。残念。
6月21日(月)ブルーベリー3粒収穫12
台風もこちらは避けてくれたようだ。朝から出かけるうちの住人はハラハラドキドキだったようだが、JRが止まる事も無く、時間どおり出掛けた。良かった良かった。日付の次にブルーベリーの実の収穫数を書くことにした。玄関においてあるブルーベリーの紫色に色づいたものをつまんでから出かけるのが私の楽しみ。今年はいつまで収穫できるだろうか。わくわくする。
毎朝一番に体重計に乗るのが最近の習慣だが、今日はギョッとしてしまった。この数日食べる機会が多かったのが原因だろうと思うが、増えていた。父の日ということで普段よりちょっと奮発していい牛肉を食べた事も、増えた原因だ。毎日寝る前と朝一番に体重を量りつづけていると痩せる為に必要なものがわかってきた。ドカ食いしなければまた戻るだろう。健康のためにもう少し体重を減らさざるをえなくなってしまった。リバウンドを起こすわけには行かない。
6月20日(日)ブルーベリー3粒収穫9
台風がきている。風が強く雨も降り出した。直撃ではないがその余波はあるようだ。正直一日ずれなくてよかったという思いで一杯だ。ただ仕事で明日から阿蘇に行くうちの住人はひどく天候を気にしている。出かける身としては当然だろう。JRが止まらない事を願っている。
暑い一日だった。このところの疲れがどどっと出てきたようだ。本来なら総て終わってよかった良かったと一安心で好きな本でも読んでごろごろしようと思う気分のはずだったが、そうはいかなかった。時々人の気持ちがわかりすぎて疲れてしまうことがあるのだが、今日はそんな日になってしまった。ご苦労様と思わず自分に呟く。でも、明日まで持ち越したくないので、吹っ切る事にした。ホンネは簡単に吹っ切れれば苦労は無いよといっているのだが、吹っ切るんだよと心に言い聞かせているところだ。多分明日の朝はまた違う思いが浮かぶだろう。
風でブルーベリーの青い実が落ちないことを祈っておこう。
6月19日(土)
楽しかった。でも疲れた。
1泊2日の集まりも無事終了。幹事役としては参加した方々の満足げな顔に大満足だった。計画してよかったと思う。今日はとにかく何もしないで早く寝よう。メールも掲示板も明日ゆっくり書こうと思う。
6月18日(金)ブルーベリー6粒収穫
今日、今から出かけるというのに軽いぎっくり腰状態になった。困った事だ。さあ気力でがんばる事ができるか。がんばる以外ないと思う。がんばるって言葉最近あんまり使わないほうがいい言葉になっているが、自分に気合を入れる時にはやっぱり使ってしまう。
今朝ブルーベリーを6粒収穫して食べた。美味しかった。初収穫だ。今年は今までのブルーベリー、プラスもう一本加えたのでジャムもできるかもしれない。とはいっても熟す速度がみんな同じというわけには行かないだろうからジャムまでは無理かな。でもこれから毎日のようにブルーベリーを食べられるとはなんと豪勢な生活だろう。うれしいな!
6月17日(木)
今日午前中はパソコン教室だった。忙しかったので休もうかとも思ったが、どんな体調不良のときでも、忙しい時でも、遠出していない限り休まなかったんだからと出かけた。行ってよかったと思う。今日はタブに付いてもう一度学んだ。同じことを繰り返し何度も習ってやっと少しわかるという頭の構造なので、今日の学習は良かった。教室に通いだしてもうどのくらいになるだろう。よく続くねといわれるが、学ぶ事は多い。ちっとも飽きない。もっと若い頃こんな風に勉強がすきだったら人生変わっただろうとは思う。今更言ってもしょうがないが。ビデオの予約も出来ず、FAXも上手に出来ず、携帯も使った事が無く、機械おんちの私がパソコンにはまるのはやっぱり変だとは思う。でも面白いし、楽しい。最近とてもいやなニュースでパソコンのチャットやHPのことがマスコミをにぎあわせているが、子供がはまるのは無理も無い。私は人とのコミニケーションのための媒介と思っているから、温もりの無い無機質なHPは好きではない。好きなHPはよく開くけれど、やっぱりその人の人間性は見えてくるような気がする。電話をかけるように皆がパソコンを扱えば、パソコンももっと違うようになるような気がする。
6月16日(水)
今週は大忙しだ。金土と一泊2日の旅行の計画者だものだから、それが終わるまで気が落ち着かない。久方ぶりに会う人もいるし、皆が楽しんでくれたら良いなとそれだけを考えている。チェックは総てしたと思っているが、私のことだから大きなミスがないとも限らない。でもここまでくれば、後はなるようになるだろう。それに一番最近の気がかりがなくなったので、数日前の体調不良がウソのようによくなった。病は気からというのは本当だと思う。最もそう思って軽く考えて後日ひどい後悔をするということもままあるが。ない心配を無理にすることもないのでこの話はここで終わり。
今日はうちの住人もうちの住人Uも夜の食事がいらないと勘違いして夕方でかけた。友達と会ってぺちゃくちゃおしゃべりを楽しんで帰ったらうちの住人Uがいたのでビックリした。物忘れとぼけはまるっきり違うものだと聞いてから、物忘れをする事なんてどうということもないと柳に風のごとく歳をとればよくあることと思いだしたが、ちょっと虫のいい思い込みかな。実害もなく、うちの住人Uも自分の身を守るすべは知っているから、めでたしめでたし。
でも今日はあまり良いものを食べてない気がする。良質のたんぱく質とたっぷりの野菜としつの良い脂質、必要以上の糖分と塩分カット、が目標だがなかなか難しい。でもあれだけ甘いもの大好きの私が、90%カットできているのだから、たいしたものだ。それだけでもすごい。自分をほめてあげよう。
6月14日(月)
今日は人から頼まれた名簿をエクセルで悪戦苦闘しながら作った。日ごろしないことは難しい。特にエクセルはあまり使う事がないので、すっかり使い方を忘れている。どんなに機能があっても使い方がわからなければ絵に書いた餅だ。この頃よく思うのだが、もっと若くパソコンに出会っていたら、それを仕事したいなと思ったりしたが、ないものねだりをしても仕方がない。パソコンは若い人のものだけではなく、また仕事だけのものでもなく、もっと高齢者の人が楽しめればいいのにと思うことが多い。真面目に思っているのだが、高齢者の方とパソコンを一緒に勉強する機会をもてたらいいなと思っている。指先一本であたらしい世界が見える。70代の人にとって、必要な事だけを学べばそう難しいとは思わない。時間がかかってもゆっくりボタンを押しつづければ文章はつづれる。時間はたくさんあるのだから、メールで孫や子供や友達に送るのも良いし、好きな世界の情報を探すだけでも楽しいはず。歳をとったからといって、好奇心がなくなるわけではない。パソコンは難しいと思うから難しいんで、私でもできることを思えば、誰だって出来るのだ。そのお手伝いができると良いなと思っている。専門家でないから、かえって、必要な事だけを教えて上げられる気がする。これから高齢者の人のパソコン習得のボランティアをするためにもう少し勉強をがんばろうと思う。目標が出来らたら楽しくなってきた。
6月13日(日)
朝起きようとしたら地球が回った。変。とても変。昨日からどうも体調がよくない。こんなに身体に気をつけているというのにどうしてだろう。食生活を劇的に変えて、体がついていかないのだろうか。でも、間食を辞めただけで、食事は三度三度ちゃんと摂っているし、塩気をへらしすぎかな。そんなはずはない。と自問自答。今度の金・土の2日間、一泊2日の旅行を企画してその責任者ということでストレスでもあるんだろうか。まさか・・・・。
パソコンも駄目だったけど、電話も駄目だった事がわかった。どうしても必要なFAXを待ちつづけても来ない、しょうがない月曜日にこちらからかけてみようと思っていたらうちの電話の調子が悪かったということが今日わかった。今使っている電話は買ったときからはずれだと思っていた。半年前も一ヶ月ぐらいFAXの調子が悪く使えなかった事がある。届かなければ良いのにこちらに届いているので、向こうは安心していたという最悪の事があって、最近は気をつけていたのだけれど。まだらぼけ状態だったので、わからなかったようだ。でも判って良かった。これで準備ができる。
今週は忙しい。調子が悪いなんていっていられない。
6月12日(土)
復活だ!メールが見れる、サイトが見れる、自分のHPが見れるんだから嬉しいな。インターネットで世界をつないだら、それがない生活は色あせて見える。
あれ、見れると言うのは見られるが正確な言葉で、今よく言われるら抜きことばになるのかな。
さあ書こうと思うとなんだか今日は疲れていて、もう寝ようという気になっている。すごく今身体に気をつけているのに、なんだか今日は体調がよくない。梅雨どこは何時もこうだ。そういう例年の事なら良いんだけど、もしこんなに気をつけて病気だ何てことになったら踏んだり蹴ったりだと思う。さやとも散歩に行ったし、もう後は寝るだけ。寝ようかな、寝よう。
6月11日(金)
パソコンでインターネットがつかえないということは本当につまらないと痛感している。朝ネットでみるニュースも駄目だし、お気に入りに登録しているHPを見ることも出来ない。それだけパソコンの占める割合が、生活の中で大きいんだと思う。そろそろ直さなければと本気で思う。
6月10日(木)
今日はパソコンの日。いつものように楽しかったが、その後ショックな事有りだった。Gさんのご主人が転勤かもしれないという話だ。いずれ誰かがそうなるだろうと思っていたし、多分Gさんか、Iさんだろうという思いはあったが、それが現実になるとなんとも辛いものがある。こんなに親しくなったのにお別れというのは辛い。私もいづれそうなるという予測はあるが、考えただけでも辛いものがある。あまりにもたくさんの思い出と良い出会いをしたから。Gさんの子供たちもあたらしい環境に慣れるまで大変だと思う。でもGさんの人柄は新しい場所に行っても大丈夫だろう。すぐ馴染んで、また新しいお友達ができるはず。彼女の人柄は素敵だから。家族で助け合えば乗り切れないことはないはずだから、もし新しい旅立ちが待っているなら後ろを振り返らずに笑顔で旅立って欲しい。とはいうものの私達の寂しさが軽くなるというものではないけれど。
6月9日(水)
今日は私が参加しているグループのお仕事会。秋のバザーのための準備会をした。朝から一日働く。手も動かすが、口も動かす。得意中の得意だ。一人一人が有能な方たちで、本当に学ぶ事が多い。歳を取った後の生活についての話が出て、考えさせられる。人が歳を取った時の身の処し方は難しいとつくづく思う。自分だけの問題ではなく、家族や周りとの兼ね合いがあるから簡単には決められないらしい。経済の事もあるし、早くから考えておかなければいけないんだなと肝に命じた。
6月8日(火)
130年ぶりに太陽の前を金星が横切るのが見える日が今日。今日は宇宙のロマンに触れた日だ。用事が有って出かけた雪浦で観測するために天体望遠鏡を準備している人たちに出会った。はじめ何をしているのかわからなくて、測量かなとか私は思ったのだが、好奇心に負けて何をしているのか聞いた。返ってきた言葉が金星の事。空は重くどんよりして金星が通過を始める午後2時過ぎても曇り空。晴れて欲しいと祈りつつ、色々な話をしてもらった。天体観測が大好きというのが話を聞けば一目瞭然。私がさやのことを愛情一杯で語るように彼らも星の観測を愛情一杯に語ってくれる。手作りの天体望遠鏡の出来もすごい。優しい人たちで、いろいろな遠くの情景を見せてくれた。向こうの山に立っている鉄塔のアンテナの先についている電気が緑に光っている事も見えた。遠くに見える池島の風力発電のアンテナと島を走るバスも見た。感動した。すごいなあという思いにとらわれた。夜ならもっと色々な物を見せられたのにと残念そう。本当に天体観測がすきなんだと思う。3時を過ぎても空に厚い雲。帰りの時間も気になるし、天気になるといいですねという言葉を残して帰ることにした。見たかった。でも見えなくてもあの空の上で今太陽と地球のあいだを金星が横ぎっているんだと思うとわくわくした。家に帰り着く前の4時過ぎ空に切れ目が出来て、太陽が輝いているのが見えた。良かった。良かった。あの人たちの苦労が報われた事は嬉しい。
家に帰って、買い物で出たら、太陽が輝いていた。慌てて家に戻って、遮光性の強いサングラスを取ってきて太陽を見た。ぎらぎら輝いて目が痛かったが、金星の黒点を見た気がした。私には見えた。事実はそうではないかもしれないが、私に心の目が見たと思う。今度は8年後。その次は120数年後。宇宙の壮大な歴史の中で人間の歴史は短い。私の歴史は砂粒の大きさもない。そう思えば何でも許せて、許してもらえると思ってしまう。私の人生は宇宙の瞬きにも満たないのだから。笑っていよう。喜んでいよう。感謝していよう。
6月7日(月)
歯を一本抜いた。歯医者に通い始めて5年以上。長崎の生活とほとんど同じ長さになる。いい加減決着をつけたい。と思いつつたぶんこれからもずっとのお付き合いだろうなと思っている。私の歯の特殊性が今はよくわかっているから。よく宝くじがあたったら何に使うかと暇つぶしに話すことがあるが、私は歯のために使うだろう。私の歯をきちんと治そうと思ったら、ものすごい金額になる事がわかっているから、今はできる範囲でしか選べない。歯の治療にとって、重度の金属アレルギーというのはものすごいハンディだ。口の中がものすごく血の味がする。何しろ一番奥の歯だからダメージが大きい。太極拳を習うようになって、呼吸が上手になったらしく、大きな口をあけても前ほど苦痛でなくなってきたのが救いだ。
夕方から雨になった。明日は前から楽しみにしていた雪浦行き。大雨はいただけない。降るなら小雨にしてね。やんでくれるともっと良いのになあ。日ごろの行いが物を言う事だろう。そうすると明日はいい天気だ。(フフフ!)
6月6日(日)
今日はうちの住人Uの誕生日。おすしでも食べに行こうかと言ったら、私が作ったがんもどきと茶碗蒸が食べたいというので、家で食べる事になった。朝、手紙とプレゼントを両親の名前で渡した。少しおくての彼は今自分の夢に向かってがんばっている。長男はすでに自分の進む道を見つけて社会でがんばっている。我が家の住人はみんなある意味個性が強いのかもしれない。自分の道ということにこだわる。うちの住人もそうだし私自身そうだ。こんな親を持つと子は苦労かもしれない。この頃それがわかってきた。たぶん、ある意味この世の知恵に欠けた親なんだろうと思う。お金や物や見かけにこだわる生き方は駄目だと教えつづけた事が良かったかどうか。いつかもっと子供が社会になじんだ時聞いてみようと思う。
夕食を取りながらうちの住人Uがうまれた時の話で盛り上がった。あの長く辛い一日。我が家の歴史の五本の指に入る話だ。
うちの住人の不在の時陣痛がきて、朝方までじっと待って、長男の幼稚園のしたくとお産のための支度をして彼の手を引きタクシーに乗って、知人に長男をあづけてから病院に行った日。すでにそれまでの経過で難産が予想されていたので、病院側も緊張して待っていてくれた。ところがあっけないくらい早くうちの住人Uが生まれた。拍子抜けの感じ。ところがそれは大変な一日の始まりだった。さんごが悪く、うちの住人Uの誕生日と私の命日が一緒になったかもしれなかったのだ。本当に多くの人の助けを受けて今日があるとしみじみ思う。こころして生きよう。
6月5日(土)
インターネットが動かない。今年に入ってからメールがよく動かなくなっていた。インターネットが動かなければメールはもちろんHPも出来ない。私のパソコンはうちの住人のパソコンを親としてLANで組んである。うちの住人の前のパソコンの時は親機が私のパソコンより機能がよくなかったのでしょっちゅうインターネットがつながらなくていらいらしていたが、うちの住人のパソコンを機能の良いのに変えてから全くそれがなくなった。快適だったのに、今回は親機が見つからないというメッセージが出てまるで駄目。インターネットのプロパティーの設定が白紙になっているので、そこをどうにかしなければいけないのだろうと思う。まあいい機会だから少しパソコンから離れるのもいいかなと思ったりして。でも毎日書いているこの日記を書かないのはなんだか物足りない。考えてみたら、書き続けて、ネットがつながった時にHPに乗せられると気がついた。コロンブスの卵だ。
5月31日(月)
今日も雨。
コチョコチョした用事がたくさん有ったので、すごい雨の中を出かけた。方向がばらばらなので、順番を考えていく事にした。うちの住人に頼まれたものをまず買って次の用事の途中で、レモン10個100円というのを見つけた。荷物を持って歩くのはいやだと思ったが、買わなければ後で後悔するだろうし、買えばまだまだ用事が一杯有って歩かなければいけないから重いしと、買うべきか買わざるべきかハムレットのごとき心境になった。最近歩きのときは極力物を買わないようにしている。重いものを持つと肩がこって調子がわるくなる事が多い気がして。だから買い物は自転車で行った時だけにしている。それなのに、10個100円のレモンはとても魅力的だ。結局買った。
そんなこんなで途中一つ抜かしてしまった。その事のためにまた来た道を戻った。あーあ。おまけに帰る頃になって雨がやんだ。もう少し後にすれば自転車で行けたのにとちょっと悔しい思い。
今日で5月が終わる。ついこの前新しい年がきたと書いたばかりのような気がするのに。うかうかすると先生も走る12月、なんて書くのもすぐかもしれない。時の流れは人の思いをこえて駆け足で過ぎていく。心して毎日を大事に過ごさなければと今一度肝に銘じよう。
5月30日(日)
ついに梅雨入り。
一番嫌いな季節だ。昔から死んだも同然といって、不機嫌な日々を送る事が多かったが、今は文明の利器を最大限使って少しでもいい環境を作ろうとがんばる。電気代がグーンと上がるのが玉に瑕だが、気分や体調が落ち込んでしまうよりましと思うことにしている。その分、ほかの事で節約節約。
今年はびわが不作だそうだ。長崎のびわはブランド物で県外の人に送ると喜ばれるし、届くのを待っている人もいるので、送った。問題はびわ大好き人間の私にとって安くて美味しいびわが手に入らないということだ。見栄えが悪くても良い、味がよければ。ところが今年は店先にびわがあまり出ていないのは事実。おかしいなと思っていたら不作で量も少ないのだそうだ。長崎に来た年が近年まれに見る大豊作という年だったとかで、びわを食べて食べて食べまくったのを覚えている。長崎にきてよかったとそのびわを食べながら思ったのだから私もおめでたい。でも今年美味しいびわをあまり食べれないのはやっぱり寂しいなあ。特にお菓子を辞めた私をしては果物が貴重な心のビタミンなんだから。
5月29日(土)
犬と泊まれるホテルに行ってきた。大雨で日にちを変えてもらったので今回は雨だろうがなんだろうと何が何でも行かなければいけないので晴れると良いなと思っていた。雨は降ったがタイミングよくその合間を縫って行動できたので楽しめた。コテージ一軒丸まる独り占めなのでさやが走り回っても気にしなくていいし泣き声も気にしなくていいし、最高だった。値段的にもすごく安いし、食事も美味しかったし、また行きたいと思っている。部屋にはペットが4つあって4人部屋になっていた。たぶん犬の泣いた時のことを考えて、少し離れた場所をペットが泊まれる場所にしたんだろう。5つのコテージがペットも一緒に泊まれるようにして有った。好評で空いていないことも有る。そうだろうなと思う。ペットを家族と思ってすごしている人にとって、最高の場所だ。走り回るのに最適な場所がたくさんある。うちの住人と笑いころげたのは、広い草地を喜んで走り回るだろうと思っていたら、たぶん芝生がちくちくして痛いんだろうと思うが、抜き足差し足状態であるくその姿があまりにも可笑しすぎた。最初足でも痛めたかと思ったら、アスファルトの上はもうダッシュだ走るので、さやは町の犬だということを証明した。道を歩いても車は来ない、人とも出会わない、という風で、リードを付けないで歩いた。6月になれば海水浴場になる浜辺で遊んだ。砂浜ではゴムまりのように飛び跳ね、寄せてくる波に驚き、さやにとっても初めての体験だらけだった。家に車が有ったら、さやももっと色々な体験が出来たのだろうが、残念ながら家と公園しか知らないから無理もない。さやと出会ったおかげで本当にたくさんの喜びを貰っている。さやはやっぱり神さまからの贈り物だ。
5月27日(木)
今日は私事で一日中忙しかったという珍しい日だった。おまけにいただきものの多い日で、こんなにいいのかなと自問自答してしまった。ちょっとした藁しべ長者状態だった。感謝!感謝!
今日はパソコン教室の日だがサファイアプリンセスの出航の日にあたっていたので自主休講に決めていたが、午後3時出航ということで朝はパソコン教室に出かけた。お昼いつものように友人の家で皆でお昼を食べて盛り上がり、船を送るために出かけた。本来ダイヤモンドプリンセスとして世に出るはずだったサファイアプリンセスが大火事のため名前を取り替えて作られたというドラマチックな出来事が何かしら心をとらえて離さない。ダイヤモンドプリンセスの出航は感動だった。だからもっともっとすごいだろうと思って出かけたが、大間違い。場所も違い航路も違い、完全なる肩透かしだった。勝手に思い込んだこちらが悪いのだが、あの長崎市民の思いを考えたらもうちょっとサービスしていいのにというのが正直な思い。

遠い、逆光、何を映しているのかわからないという状態でシャッターを適当に切ったのがこの写真。勝手な思い込みでちょっとあれと思ったのは本当だが、それを超えてやっぱりある種の感動は感じた。物を作る事の大変さと、、いざという時の日本人のすごさと、勤勉さを見せてくれた気がする。自分には縁のない船旅という思いがあって、一度もあの船に乗って出かけたいと考える事もなかったのに、10日前後の船旅なら夢ではないかもしれないという位の費用だという事がわかった。そう思えば、夢はかなう。
今日は我がパソコン教室のクイーンHさんの誕生日。朝ご主人に貰ったという時計を嬉しそうに見せてくれた。その笑顔が可愛い。お昼皆でハッピーバースデーを歌ったが、昨日の夜会っているんだから明日は誕生日だといってくれたらよかったのに。遅ればせながら
「誕生日おめでとうございます。いつまでも今のままのパワフルで、センスの良さ、私達の目標でいてください」
5月25日(火)
今日は朝から良く働いた。溜まっていた書類を中身を確認して処分するものとファイルするものに分けた。掃除もしたし洗濯もしたし、花の手入れもしたしと充実感たっぷり。
午後はお花に出かけた。フラワーアレンジメントは大好きなんだが、先生が変わってからどうも気分が乗らない。それと私自身のお花の好みが変わってしまったのも大きな原因だと思う。もともと色々な素材を花にプラスする事が多くシンプルさが好きな私には時々ついていけないときも有ったのだが、人間関係のよさに居心地良く続けてきたというのが正直なところ。
楽しくない事をするのは私のポリシーに反するし、ここらがやめどきかなと私らしくなく悩む。プロになるための修行ではないし、生活の彩りのためなのだから、やめようかなと私らしくなく悩む。
今日の作品のパスケットブーケ。今日のブーケに赤いミニ薔薇の色が嫌いで使わなかったり、もともとなんにでもリボンを使うのは嫌いだし、良い生徒ではない。やっぱり辞めどきかな。
5月24日(月)
この頃前のようにお花を買わなくなった。だからといって家の中にお花や緑がないわけではない。自家製の花を飾っているとお店で買った花がなんだかわざとらしい気がして買う気にならない。これはお友達のTさんの影響だ。私のいい加減な育て方に枯れなかった草木はきっと生命力があるのだろう。これからは大事にして、肥料も水も考えてあげよう。枝を切るのも自己流だから、本当に切っていい枝かどうかわからないが、バランスを考えて切っているつもりなのでまあまあかなと自己満足。また豊かな老後に向けての楽しみが増えた。小さな花を入れる花瓶も工夫している。小さな花には華美な花瓶は似合わない。またそれを捜すのも楽しみ。どんどん楽しい事が増えていく。若い頃この楽しさの極意を学んでいたら、もっと違った人生かなと思う。いやいやそうじゃなく、辛かったり・悲しかったり・苦しかった事が今の私を作ってくれているんだと思うと、大嫌いだった人もありがたい人だったんだといやみでなく思う。私をしごいてくれたFさん、ありがとう。人間伊達に年は取らないものだ。今の自分は自分でも大好き。毎日のように発見がある。昨日生まれて始めてペディキュアをした。10本色がばらばらの手のマニキュアと共に心を浮き浮きさせてくれる。こんな事で幸せだと思っていいのと、心の何処かで囁く声も聞こえるが、自信を持って言おう。いいんだと。
5月23日(日)
昨日の続き。5本の指に全部違う色のマニキュアをして家に帰って除光液を捜したが判らなかった。今日は年配の人にあうのでちょっとまずいかなと思ったが仕方がない。そのままにして置く事にした。不思議なもので、見慣れてくると面白く思えてくる。なかなか可愛い。明日また友達にあうから自慢しようと思うから私らしいと思う。この変化は昔の私を知る人は信じないかもしれない。今私は怖いものがなくなった。あるがままの自分で居たいから、無理はせず、人に合わせすぎず、私を認めてくれる人がいる事を励みに、淡々と生きたいと思う。そう思うようになって肩の力が抜けた気がする。
左手と右手。いたずら心からやった事だから、色もバランスも考えなしにぬったのだが、この芸術的配色(??)はなかなかのもの。もうこんな事二度とする事もないだろうと、自分で写真をとってみた。かなり苦労したが、見られるくらいには取れた。よしよし。
最近心底痩せようと思ってがんばっている。塩気・砂糖気・脂気を今までよりカットしている。間食も90%カットした。気持ちがいいくらい痩せる。リバウンドしないように本物にしようと思う。そのためにも心身のバランスが必要だ。楽しい事をたくさんして、決して後ろは振り返らず、前に進んでいこう。やってみると簡単だった。
  薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク。
  何事ノ不思議ナケレド・・・・・・・・・・・・。昔から白秋のこの詩が好きだった。私は私。何事ノ不思議ナケレド。
5月22日(土)
とこの似顔絵でーす。
今日、何気にキャン・ドゥ(百均の店)によったら化粧品の売り出しがあっていた。一番私に縁のないコーナーだが持ち前の好奇心が素通りを許さなかった。特にたくさんのマニキュアが目を曳いた。若い女の子のつけてみませんかという言葉に興味を惹かれて10本の指全部違う色のマ二キュアを塗ってみた。一定金額を買うと似顔絵が書いてもらえるというので、そういうこと大好きの私はマニキュアを買った。グロスはどうですかといわれて、ビンに入った液体状のものを進められた。グロスってなーにと聞いたら口紅だって。私の中で口紅は棒状のものという思いがある。物知りの私も不得意分野があった。そういえばテレビのコマーシャルで聞いた事がある。縁がないものは覚えない。
書く人の前に座って、私が黙っているわけがない。色々話し掛けて彼女の事を聞いた。プロではなく、キャン・ドゥに勤めている人だった。。若い女の子で、趣味で書いているらしいが、なかなかのもの。漫画家になりたかったそうだ。タレントの似顔絵がたくさん張ってあったが、きっと優しい子なんだろうなと思った。顔がみんな優しい。良い企画だと思ったが、商品を買わなければ書いてもらえないということで、あまり枚数は書かないらしい。休みの日に町で書けばいいのにとつい余計な事まで言ってしまった。夢はどういう形であれかなえられるのだから、がんばってみたらと思う。
5月21日(金)
19日の水曜日は一日出かけて、日記を書くひまがなかったので、次の日の昨日詳しく書くつもりにしていた。ところが、仕事で出かけて帰らない予定だった、うちの住人が急に帰ってきたので予定が狂ってしまった。話したい事が山ほど有ったらしく、幸せそうにビールを飲みながら饒舌に話をした。最近になく量も多く途中で足りなくなってしまった。拝み倒されてコンビニに買いに行った。アルコール類が専売でなくなったのでどこででも手に入るのは良いような悪いような感じだ。結局12時半まで相手をする事になってパソコンには触れなかった。人間は男女を問わず、本当に心許す人がいないと辛いんだなと思う。幸せそうにビールを飲むうちの住人を見ていると、飲みすぎだという言葉をたまには使わないで寛大に笑っていようと思ってしまった。いつも有る事ではないから、そういう時もきっと有るんだろうなと思う。社会で生きる人間は時に辛かったり、悲しかったり、腹が立ったりするものなんだろう。一人で耐えるより人と分かち合って生きるほうが幸せに決まっている。そういう人がいて良かったと呟くうちの住人が可愛く見えるのは飲んでないのに匂いで酔ったのかもしれない。
これからの生活を働き蜂モードと女王蜂モードの切り替えで行く事にした。今日は昨日の睡眠不足がたたって、動きがいまいちだった。それでも気持ちは働き蜂モードで行くはずだったが、午前中姉から電話があって、話し込んだら、女王蜂モードが強くなってしまった。急に行列のできる店のメロンパンが食べたくなって、電車で出かけて買ってきた。前回は普通のメロンパンを食べたので、今回はチョコメロンパンを食べようと思って買ったら、私の想像と違っていた。美味しいけど違うという感じ。違和感がある。取り立ててあれをしたこれをしたということがなくても、こんな些細な事の積み重ねがきっと自分が幸せな理由だろうと思う。
5月18日(火)
今日有る事を思い出してしまったと思った。5月の最初、散歩の途中新しく出来たお店に寄ったら,面白いぶたがいた。値段も高くなくて手ごろな物でほしいなと思った。欲しいけど財布持ってないことなんか話したり,れいによってれいのごとく色々な話で盛り上がった。お店の人が取って置いていいですよ,といってくれたので財布を持って出直すことにした。数時間後さやとまた出かけた。お店はしまっていて,「都合で出かけるので5時まで閉める」とかいてあった。次の日でもまた来ようと思って帰ったら,すっかり忘れていた。そのことを急に思い出したのだ。もうずいぶん時間が経ってしまったし,取り置きはしてないだろうと思いつつ,責任を感じて出かけた。私の名前で取ってあった。もうそろそろあきらめようかなと思っていました,と言われた。ごめんなさいと言って買ってきた。やれやれだ。忘れる事に関しては天下一品だ。年を取るとぼけそう。皆さん,ぼけていろいろ迷惑かけたらごめんなさいね。今から謝っておこう。
明日早岐の茶市に行く予定。最近電車に乗ってどこにも行っていないので,ちょっとした旅行気分を味わいに。カメラも持っていこうかな。腕の悪さは量でカバーしないといけないようなので。取って取ってとりまくろう。まだまだデジカメの出来不出来を腕のせいにするには練習不足だろう。ということがわかってきたので,練習してこよう。
5月17日(月)
朝出かけるうちの住人をさやと送って駅まで行った。朝6時半過ぎ。どうという事もない事だが,うちの住人は元気が出るらしい。送ったり,迎えに行ったり新婚でもないのに良くやるという感じ。それもこれも、さや可愛さのゆえ。私はつけたしであることはもちろんの事である。でもそんなことで忙しい仕事をがんばってやれるものなら協力するのは人として当たり前の事だと思う。その帰りいつも行く公園によって遊んできた。この数日雨ばかりで外で遊べない日が続いたので大喜びで駆け回っていた。私まで元気を貰ったようだ。
今日はいくつか電話を受ける予定だったので,家に一日中いる予定だった。でもちょっと心がむずむずしたので友達の家に出かけておしゃべりを楽しんできた。その帰り,花屋のはしごをするためジグザグコースで家まで帰った。あるお店で、そろそろ花が終わりの季節にかかってきた薔薇がものすごく安く出ていて,誘惑に負けて「れんげ」と言う名前のミニ薔薇をGETした。これで我が家の薔薇は9鉢になった。「ティディベア」というセピア色の薔薇以外はただ同然で手に入れたもの。今まで肥料もやらず時々思い出したように水だけかけてもらっていた可哀想な我が家の花たちも、改心した持ち主にやっと手をかけてもらえるようになって,めでたしめでたし。

5月16日(日)
今日もまたひどい雨だった。スコールという感じで、日本は温帯地方のはずが、ひょっとしたら亜熱帯地方に移動したのかもしれないと思ったりする。雨と雨の隙間をぬって買い物に出かけた。雨にもかかわらず街は人が多かった。逆に屋根のあるところに人が集まってくるから当然といえば当然。
「さくらラテ」なる飲み物を飲んだ。牛乳に桜のエッセンス入りという事だったが、飲んで思った事。桜の味を知らないのでそれが桜なのかどうだかさっぱりわからなかった。次から次によくもまあ新しい商品を作り出すものだと感心した。だ足だが、お薦めしない。わざわざ買ってまで飲むような飲料ではないと思う.
これを開くとになりる。
この子の名前は「ももぶたちゃん」。「ももぶたちゃん」はとってもおしゃべり。「モモパクト」という名前のおもちゃでうちの住人のお土産だ。最近は私よりうちの住人のほうがぶたマニア・ぶたコレクターではないかと思うくらい、よくいろいろなものを捜してきてくれる。私が今食べ物制限をして好きだったお菓子もやめているから今まで買ってきていたお土産をぶたに変えたみたい。ありがたいこと。

5月15日(土)
昨日は色々有って疲れて日記を書かなかった。ほとんど毎日のように書いていると書かない日は何か忘れ物をしたような気になる。書く事で心の整理と次の日への元気をもらっているような気がする。時々のぞく友人のHPが少し元気がないようで気になる。
今日は「花・花・花」にイラストショーを乗っけた。HPビルダーの中にそういう機能が付いていることに気がついたので、機能があるなら使わなくっちゃという思いで使ってみた。ただ写真が間に合わせなのが気になる。「こぶたたちの部屋」のUPもそうだが、私の問題は映像関係。写真の腕。
本当に急務だと思う。友人からメールで送られてくる写真の出来がみんな良いので私一人置いてけぼりのようなきがして、少々がっくり。みんな腕を上げている。あげていないのは私一人のようだ。友達はほめ上手で、このHPをほめてくれる。でも・・・・・・・。
今日は15日。私の好きな雑誌の発売日。それが何かは秘密だが、私に元気をくれるものの一つで楽しみにしている。ぶたも桜も物だけど、それは私と人をつなぐコミュニケーションとして最高の効果を作ってくれていると思う。家族も友達もぶたと桜を見れば私を思い出してくれる。そうしようとして集めているわけではないが、結果論としてそうなる。ありがたいことだ。
5月13日(木)
最近の天気は程々がない。皆でお昼を一緒に食べて、先に用事が有って帰る人が気の毒なくらいひどく降っていた。その後に帰った私はもうほとんど降り止んでいたので助かった。彼女たちは目的地に着くまでに濡れてしまって、傘をさす意味がなかったんじゃないかと心配した。
今日のパソコン教室の勉強は6枚の写真をメールで送る時スライドショートして送る方法だった。私のもっとも不得意な分野で、動画は苦手だ。スライドで人に送るとすごいと思われるのは絶対だろう。
音楽を付けるのも苦手だったが、音楽を一枚の写真と思えば簡単だった。パソコンの本はたくさん買っているのに、じっくり勉強するわけではないので、本当に上達しない。そのくせ器用なところがあるのでいっけんよく見えるらしい。でも本当に分かっている人から見たら実力のほどは一目瞭然。一緒にパソコン習っている人がHPを作ってくれると色々習えてもっと上達するのにと他力本願。
HP、上を見るときりがないが、自分の楽しみで作ればそんなに難しいとは思わないけど、なかなか仲間を増やせない。やろーよ、ねえ!
5月12日(水)
今日は私が参加しているグループの集まりがあり、皆で秋のバザーのためのお仕事会をした。素敵なアイデアが次から次にでて、気分は最高。一人よりも二人、二人よりも三人。おおくなればなるほど知恵が加わってくる。私より年配の方が多いので、学ぶ事が多く、勉強になる。学校で習う勉強は忘れるが、知恵の裏打ちのある、知識は習っても忘れる事はない。私は良い生徒だと思う。年長者の知恵は大事に尊重して軽んじない。おかげで良いものをたくさん知ったし、大切な人生の姿勢も学んだと思う。友達との話でもよく嫁姑の話が出るが、一人の人間としての良さをお互いに尊重していけば、決して争うものではないと思うのだが、甘いのかなあと思う。人には相性がある。相性が余りあわなけれが、できるだけ必要以上に近づかない事がお互いの幸せかもしれない。今日も話したのだが、最後に頼るものは身内だろうか、という事。心許した人と行き来できるのがきっと人は幸せなんだと思う。たとえ親兄弟夫婦であってもお互いにある部分努力しなければ心が通じるとは思わない。長い時間かけて私はうちの住人と最後の最後まで生きたいと思うようになった。美味しそうに飲むビールの相手も時間が長すぎるとちょっといらいらしたりもするけどそれはご愛嬌。うちの住人以上に安心して自分を出せる人はいないという事だろう。
5月11日(火)
今日は久しぶりに会った友達とお茶を飲んだ。それぞれ忙しい人たちだが会えば話が弾む。私たちが行ったのはずっと前に書いたフラワーアレンジメントと喫茶店をしている人のお店。帰りにどれだけもつか知らないけれどといって、薄紫のバラをそれぞれ二輪もらった。私もフラワーアレンジメントを習っているが、先生が変わってからどうもいまいちだ。いままで習った先生の感性が好きだったので、今の先生には申し訳ないと思うが、どうもなじめない。カリキュラムがしっかりした教室だから、先生が変わったからといって内容が変わるわけではないのだが、感性が変わる。これは感じ方の問題だからいいとか悪いではない。私に合うか合わないかの問題だと思う。正直、続けるべきか否か、迷う。迷う理由はただ一つ。友達。 パソコンも習う事ももちろん楽しいが、友達の存在が大きいのは事実。パソコン教室だけは休みたくないと思う。みんなと一緒に学ぶ事、そして話す事が楽しくて仕方がないのだから。
5月10日(月)
今日電車の中で漫画の主人公のようなきれいな男の子を見た。現実的でない顔立ちで、自分の思う人生を歩けたらいいけど、こんな顔立ちだとある意味不本意な人生になるかもしれないと、つい老婆心を起こしてしまった。美しさは罪という言葉があるが、美しさはわずらわしさのような気がした。大きなお世話とは思うが、そんな思いを抱かせる男の子だった。
昨日は雨のために大幅な予定変更を余儀なくされたが、母の日だった。我が家の母の日は例年カーネーションではなくバラ。昨日花屋をのぞいて驚いた。赤いカーネーションが一本400円。高すぎる。人の足元を見たひどい商売だと思う。売れるから高い。でも本来たくさん売れると安くなるというのが、資本主義の原理のはずだが。母親に対する愛情と敬意と尊敬の念を伝えるためにアメリカで始まった母の日がいつのまにかバレンタインデーと一緒で人が踊らされている。昨日までたくさん並べられていたデパートの前の花たちがきれいさっぱりかたずけられていた。
私のHPの表紙以外は自分で作ろうと思いチョコチョコとやってみた。「表紙」と「さやの部屋」以外は自作だ。小さなイラストを壁紙にするとけっこう手をかけたように見える。手抜き名人の私としては何でも簡単な事だけはするが向上心がないから難しい事はできない。
5月9日(日)
本当は今ごろ私はホテルで美味しいものを食べてご機嫌でさやと遊んでいるはずだったのだが、雨と風と雷という事で急遽キャンセルにしてもらった。本来当日のキャンセルはできないのだが、がんばって日にちを変えてもらった。ところが、夕方には晴れちゃった。とはいっても、芝生で遊ぶのはきっと無理だったと思うので良かったと思う。代えた日が天気ならいいな。
5月10日・11日・14日・15日・17日・18日・20日・24日・25日・27日・28日・29日・31日が今月のお楽しみ日。12日・16日・23日・30日もそれに準じる日。書き出してみて驚いた。後歯医者があったりその他もろもろがあるから、毎日が飛ぶように過ぎていくはずだ。実家が近くでないので姉たちが時々帰っておいでと言うが、なかなか時間がなくて帰れないと思っていた。書き出してみて思った無理もないなあと。
気持ちをもてあます日だってないわけではないが、ブルーな日が続かないのは、楽しい日が一杯あるからだと実感した。感謝・感謝。
20年前も10年前も今と基本的な生活が変わったわけではない。でも大きく変わった事がある。パソコンを通して世界が広がった事。この事が今の私の生活を大きく変えたんだと思う。
5月8日(土)
「日々の思い」と「こぶたたちの部屋」の壁紙を自作のものに変えた。といっても小さく作ったイラストを壁紙にしただけで、難しい事は何もしていない。本当は自分でとった写真やさやの写真を壁紙にできたらいいなといつも思っているのだが、作り方が判らない。パソコン教室の友達が、誰もまだHPを作っていないので、基本的なことだけは習ったが、後はホームページビルダーで簡単なところだけ自分勝手に使っているというのが実情。ホンネとしてはもう少し遊びがあってもいいなと思っているのだが、これまた私の性格で自分で研究してまでというところがないので、進歩がない。アーアと言うところだろうか。
明日夕方からうちの住人とさや・二人と一匹・で犬も一緒に泊まれる「やすらぎ伊王島」のホテルに一泊で行く予定だ。犬が泊まれるというので前から行こうと言われていたのだが、こんどの6月にちょっと大人数のお泊りの計画をしているので、その下見かたがた行くことになった。うちの住人も今年に入って忙しいばかりでなかなかゆっくりできないので温泉にでも入ってのんびりしようという計画だったのだが、外は無情の雨。明日の天気予報も雨。さやを広広とした野原で思いきり遊ばせようという事が一番の目的なのに、それはかないそうにない。今更キャンセルできないし、がっかり。二人ともさやが生き生き走り回っている姿を見るのが大好きで、幸せな気持ちになる。明日は思いきりさやと遊ぼうと思っていたのになあ・・・うまくいかないものだ。
5月7日(金)
5日の日、人に誘われて、雪浦というところにあそびに行った。長崎からバスで2時間弱のところにある町で、なかなか良い所だ。5月の連休に一種の町おこしだとおもうが、雪浦ウィークという名前の催しがあった。たとえば陶器市のような店・店・店というような催しではないが、ひなびたよさがあった。川添酢造という店で、私は出先で物をほとんど買わない主義なのだが、野菜をたくさん盛ってあって、味見用に出ていた製品があまりにも美味しかったので、色々買ってしまった。窯元もいくつか有り、歩いていける場所にあった槐(えんじゅ)窯という所でお抹茶のための茶碗を買った。というとかっこいいが、値段的には番茶の湯のみ一個分だと思う。
両手で持った時の大きさと、重さが大好き。そして正直に言うと値段の安さにもひかれた。今までいいなと思うお茶碗にも出会っているのだが、値段の高さに手の出るものではなかったというのが本当。表も裏もない勝って流だが、少し薄めに入れたお抹茶は本当に美味しいと思う。体の中にきれいな空気が流れるような気がする。本格的なお茶席に行きたいとはさらさら思わないが、自分で勝手に入れたお抹茶は生活を豊かにしてくれるようだ。
もうひとつゴン窯にも行った。ただしここの場所は山の中で、車でないと行けない所だった。一緒に行った人たちのお友達に迎えにきてもらっていったのだが、最高の場所だった。建物の前に小川が流れていてめだかが泳いでいた。れんげが一面に咲き、紫色のアザミのきれいな事。カラーや色とりどりの花たち、時間が確実にゆっくり流れていた。数時間の滞在だったが、人との出会いも有り、充実した一日だった。
5月6日(木)
今日仕事で留守をしていたうちの住人のむかえに夜さやと出かけていて、青信号で渡っていたとき危うく後から左折してきたバイクに轢かれそうになった。横断歩道の前後にタクシーが止まっていて人がいるのがわからなかったんだろうと後で思ったが、止まろうとせずすごいスピードで駆け抜けていった。ホントに一瞬の差で轢かれなくて済んで良かったと思う。さすがに私も青ざめた。自分の事もだが、さやにもしものことがあったらたまらない。後でうちの住人にナンバーを見たかと言われたが、そんな余裕はなかった。私は3回交通事故に有っているが、3回とも青信号で渡っていた時だ。よくよく縁があるんだろうが、注意の仕様がない場所だ。こういうのを「くわばらくわばら」というんだろう。この言葉は今は死語だろうが。
今日は久方ぶりのパソコンで、課外授業も盛り上がった。バラの「ティディベア」が欲しい話をしたら欲しければ買ってもいいのではないかという話になり、私もちょっとその気になったので、帰りにのぞいてみて驚いた。たくさんのバラに1週間前見たときは値段がついていたのに、今日はすべて取り外されていた。「ティディベア」の値段を聞いてまたビックリ。前回の倍の値段になっていた。花の感じから新しく入ってきたバラだとは思えない。いやな感じがしてこの店で花は二度と買わないことにした。花はいつも見ているのである程度大きさなどで値段はわかるつもりだ。今一番高いのは馬鹿にした顔で「バラ」ですといったデパートだ。ここでも同じ値段ならもっと大きいバラが買える。号数を間違えているんじゃないかとすら思う。
母の日を前に売れる花の値上がりはしょうがないが、枯れた花をつけたバラを倍とは恐れ入る。時々しか買わない私なんかどうという事ないのだろうが、今の世の中、誠実に商売するという事も大切なんじゃないかと思う私が古いのかな。
5月4日(火)
連休というのにどこにも行かないというのはつまらないので、ちょっと旅行気分を味わおうと思って特急で一駅向こうに行こうと思い立った。何も考えないで切符を買って驚いた。満席なんてものじゃない、すし詰め。あきらめて払い戻しを受けて予定変更。考えてみればGW・お盆・お正月と人の動く時に我が家は動いた事がない。空いていそうなときを狙うか前もって指定をしっかり取るというのがうちの住人の方針だから立っていくなんて事はあまりなかった。たくさんの荷物を抱えて楽しい思い出をお土産に帰途につくというわけだろう。いい思い出になるかもしれない。ニュースで今日の2時過ぎが一番混んでいたといっていた。それに乗ろうとした私が無知だったんだ。旅行気分を味わうというのはいいアイデアだったんだけどなあ。

デパートの前にたくさんのバラが置いてあり、買い手を待っていた。今の流行はオールド・ローズだが、中に一つ素敵な色のバラが有ったが、なんと言う名前か書いてないので、「この花の名前はなんですか」と聞くと、さも馬鹿にした顔で「バラです」と答えた。バラはわかってるの、バラにも名前があるでしょう、それを知りたいのと思ったが、聞かなかった。バラの花にそれぞれ名前があるなんて常識だろうと思うけど、それを売っている人が知らないんじゃお手上げ。
この連休本当に何もしなかった。お見事というくらい。でも天邪鬼だと思うが家事にいそしみたくなった。とにかく家の中のものを半分にしたい。シンプルにしたい。
5月3日(月)
すごい雨だった。お昼過ぎ暇つぶしにデパートに出かけた。雨のせいでアーケードに人の多い事。そのアーケードを一人傘をさして歩いている人がいたので驚いた。紫外線カットのためとは思えなし、世の中不思議の種は山ほど有る。
祭日で郵便はお休みだと思っていたら、さすがに休みが長すぎるからだろ途中で配達しようという事らしく郵便物が届いていた。嬉しい事に新茶が届いた。結婚して初めて住んだ場所が静岡の茶所のそばだったので、その時の友達が家で作ったお茶を毎年送ってくれる。嬉しい。一番茶は香りが命。さわやかですがすがしい香りが初夏の香りと重なる。封を切るのが楽しみだ。
お菓子をできるだけ食べないようにして数週間、甘いものをちょっと食べたいなという心境。できるだけ身の回りに置きたくないから、今まで出かけるたびにお菓子を買ってくるうちの住人に絶対買ってこないでといっている。人からいただいたらすぐうちの住人の仕事先に持っていってもらう。とにかく近くに置かないというのが一番。したがって、家に何もない。でも今少しだけ、ちょっとだけ、一個だけ美味しいものを食べたい。
5月2日(日)
夕方買い物をして荷物が重いのでバスに乗った。時間どうりに来ないのはもちろん、席は満席。道路には他県ナンバーの車だらけ。ああやっぱりGWなんだと納得。
最近庭のプランターに咲いた花を切って家に飾る事が多いのだが、それがとても気に入っている。買った花とは違ってなんだか愛しい。特にバラが良い。先日花屋の店先で見た「ティディベア」というセピア色っぽいバラが気に入って欲しいなあと思っている。ただちょっと高い。これから時々その店の前を通って値段が下がるのを待とうという作戦開始。ちょっとみみっちい考えだが、予算というものが有る以上仕方がない。でも人気が有って売れてしまいそうな気がする。その時はしょうがない縁がなかったものとしてあきらめよう。私のバラならきっと私の手元にくるだろうから。
友人知人やっぱりお出かけが多いらしくきのうからメールの数が激減した。自分もまめにメールしているわけではないくせに少ないと寂しい。
5月1日(土)
ついに。ピカチュウの万歩計をGET。普通の数字だけの万歩計はつまらないなあと思って使っていたら、うちの住人Uがどこかのお店の片隅で眠っていたピカチュウを捜してきてくれた。感謝!
もう十何年か前に出たもので、この後バージョンアップしたものの前のもの。よく有ったなあという感じ。ピカチュウの全盛時代ありとあらゆるものにピカチュウが使われていた頃のもの。普段キャラクターやおもちゃに興味なんてなかった時代で、ある意味ぶたコレクターになったきっかけを作ったものかもしれない。この画面のピカチュウは布団の中。しつけの良いピカチュウで午後9時になるとお休み。色々なものが組み込まれているがすべて、ピカチュウ睡眠のため休止になる。次の日の朝8時(多分)になると活動開始、よくできている。今日手にいれたばかりだから少し忘れているが、使っていけば思い出すだろう。
ぶたもそうだが、家族が本当に私の好きなものを大事にしてくれるのがとても嬉しい。幸せだと思う。今日はいつも買い物するお店のポイント五倍セールで出かけたことを書こうと思っていたが、予定変更。ピカチュウの万歩計のことになった。とても嬉しい。ありがとう。うちの住人Uさん。
4月30日(金)
朝息子から電話が有り、至急送って欲しいものがあるというので、郵便局にでかけた。ちょうど他の用事も有ったのでさやを留守番させて出かけたのだが、帰ってみるとどうやって移動させたんだろうというものが入り口にあった。さやが背伸びしてやっと届くかなという場所に置いておいたものなのに油断大敵さやの手に届かないという安心感は危ないなとビックりやらおかしいやら。
一日一万歩を目標に歩こうと思っているが、歩くのは苦にならないが、時間を作るのが難しい。私の散歩のためなら犬の散歩はパピヨンよりもっと大きな犬が良い。さやはあっちより、こっちよりと、より道するので、忍耐力はつけてくれるが持久力はつけてくれない。休まないで歩くというのが効果的ウォーキングだそうだから、さやとの散歩はお休みだらけで効果的ではないということになる。
何をしてるんだろうと思うのだが忙しい。あっというまに夕方になる。夕方になったらまた忙しいし、あっというまに寝る時間。本当に一日は24時間なんだろうか。23時間だったりして。
5月のさやのカレンダーも作ったし、さやの切手を作ってもらおう思っているが、その写真もできたし、良い5月が迎えられそう。うちの住人の忙しさはあいかわらずだが、日ごろを取り返すべく今さやと無邪気に遊びまわってうるさい事。良きかな良きかな。
4月29日(木)
今日は緑の日、祭日だ。GWの始まり。昔のようにわくわくするものは何もない。もともとGWに家族で何処かにいった記憶はあまりない。子供たちが小さかった頃はいつも動物園や近くの公園だったような気がする。うちの住人の仕事はきちんと決まった休みのある仕事ではなかったので、人の多い時は避けていたような気がする。今日も街は子供サービスのお父さんが疲れた顔で子供を抱っこしている姿が見られた。ご苦労様。
これは今日見つけた「こぶた点心(なつめ餡)」だ。可愛いこと。次から次にぶたちゃんが私もいるよと声をかけてくれる。2個買ってきたが、可愛すぎて食べれるかしら。そうだ今度たくさん買ってみんなにあげようかと思っている。何かの記念日に。こうご期待。
4月28日(水)
帆船祭りで盛り上がった公園をきょう近くのビルの上から見た。宴の後という言葉さえ不似合いなくらいごくごく普通の公園になっていた。たくさんの人を集めたなんてウソみたいだった。いつもいつも人があふれ、人とぶつかるような公園は活気はあっても安らぎはないかもしれないしれない。多分今のほうが公園としては正常でいいんだと思う。
きょうはすごく気持ちがいい。なぜか。今年のGWは寝転がって本を読もうと思っているのでちょっと本探しに古本屋に出かけたら、前から読みたかった本を7冊見つけた。おまけに四分の1ほどの値段で手に入った。ラッキー!ラッキー!うちの住人はお出かけでその間たぶん一人だろうと思うから家事は普段よりもっと手を抜き、食事も自分の体のことを考えた、野菜を多く薄味の簡単料理にしよう。本当は電話をその間切ってしまいたいくらいだ。電話ってどうして鳴るとでないと気になるんだろう。居留守は使えても電話を無視できないのが不思議だ。今日万歩計を買ったので、散歩だけはしよう。もうずいぶん前に使っていたピカチュウの万歩計がほしかったがもう売ってなかった。歩いた分ポイントがたまってそれを使うとピカチュウが色々な動作をしたり、ゲームができたりと面白かった。毎日の歩いた分が溜まって10万歩目には花火が上がりピカチュウからコングラチェレーションとお祝いされた。何回も電池を変えて何年も使ったが最後に寿命が来てしまった。あの頃色々な楽しい万歩計が有ったが、今は捜してもなかった。有るといいなあ。
4月26日(月)
夜10時長崎駅についたらビックリするような風。雨が降っていて傘は持っていたのだがさせなかった。仕方がないので家まで濡れて帰った。大降りでなくて助かった。今日は前から一度出かけて済まさなければいけない用事をやっと済ますことができた。久方ぶりの遠出だが本当に用事を済ませただけ。時間が有ったら久しぶりに行ってみたいお店もあったのだが、今回はパスという事にした。最近全く一日自由という時間が少なくなってきた気がする。今に始まった事ではなく、昔からこまぎれの時間は有ったが1日2日というまとまった時間を自分のために使う生活が少なかった気がする。取り立ててだからどうという事もなく、それなりに楽しんできた。すっかり身に着いてしまったようだ。GWという言葉があっちこっちで取り交わされているが、私には無縁。体調が許せば一日陶器市に行きたいとは思っているが。さて・・・・。
きょう出先の駅で時間待ちのため100円ショップを眺めていたらぶたを二個GETしてしまった。ぶた壁掛けポケットとぶたのポシェット。どちらも良くできていてとても100円には見えない出来栄えでもうしわけない気がする。私的にはラッキーの一言だが。最近色々考える事が有って100円ショップはあまり利用しなようにしている。ただ安ければと言う精神がどうも私にはちがうきがして。私は人がビックリするくらい良い物を安く見つける天才だと自負しているが、100円のものを100円で買う安さは人の心を貧しくするような気がして仕方がない。100円ショップの使い方は難しいと思っている。もちろん私の勝手な思い込みだが。
4月25日(日)
今日はたくさんのことが有った。でも書こうとすると進まない。疲れているからというのは多分違うと思う。疲れていたって、いつも書いているから。就寝時間まで後30分。書けないものをだらだらと引きずっても良い事ないので、今日はここまで。
4月24日(土)
今日の私の行動を人が見たら体調不良なんかウソといってしまいそうな感じ。うちの住人が急に朝さやをちょっと遠い公園に背負い籠に入れて連れて行くと言い出した。最近忙しくてさやとゆっくり遊べない反動だろうと思う。その事から結局私は一日中外にいることになった。お昼頃ペットショップの予約を取っていたのでそのまま連れて行ってすっきりとサマーカットにしてもらった。久方ぶりにお昼はちゃんぽんを食べた。明日のお昼15人分ほどのお昼ご飯を作るのでその買い物をしたりと忙しい事。途中ちょっとだけ疲れたが少しずつ良くなっていくのが分かる。ただ、食生活はものすごく気を使っている。塩分、糖分、脂肪を減らして、とにかく痩せようという作戦だ。もう少し体調が良くなってきたら、散歩もがんばってみようかなと思っている。買い物に自転車を飛ばしていたら途中で団体さんに出会った。丸っきり眼中になく、心中自転車がこぎにくくていやだなと思って歩道から車道に降りて通り過ぎようとしたら、あれ!知ってる人だと頭の中で信号をキャッチした。IさんやGさんやそのお友達の家族ではないか。帆船祭りにお出かけだって。家族ぐるみ仲良しでうらやましい事。しればしるほど彼女たちが好きになる。学ぶ事が多いのは幸せ。
4月23日(金)
青春時代を共に過ごした友人のHPを時々開いているが、私にないものが一杯詰まっていてすごいなと思う。心のときめきとか、女性が持っている恥じらいとか、信じて待つ心とか、揺れ動く心が素直に記されていて、ある意味うらやましさを覚える。もう私にはそんな情熱はない。乙女の心をもちつづけるというのは稀有な事だ。何事ももちつづけるという事の難しさを知っているだけに、私が失ったものの重さが気になる。しかし、思い出したくないことも多々有っても、それらすべてが今の私につながっている事思えば、それもまた良きかなというところだろうか。
今日から長崎は帆船祭りが始まった。2時近くまで用事があったので入港を見ることができないとあきらめていたが、まあ泊まっている船を見るのもいいかとMY自転車で出かけた。陽射しは暑く半袖でちょうど良かった。帽子か日傘が必要なくらいだった。デジカメで取ったものの見事な逆光で出来上がりはいまいちだった。例年より出店が少なくその方の楽しみが少ない気がしたが、見事な朝掘り新じゃが2Kを100円でGETしたのでニコニコだ。他のものも欲しかったが重いのであきらめた。重いものをたくさん持って肩こりからまた体調を壊したら元も子もない事になる。
今日は最終電車でうちの住人が帰ってくる。23時55分に帰ってくると連絡が有った。さやを連れてお迎えだ。11時就寝と決めたけれど今日は何時になる事やら。無理に迎えにこなくていいと言うが帰ってくるまで寝ることはできないのだから、行って喜ばしたほうがお互いの幸せ。来て欲しいのは分かっているから。
4月22日(木)
さあ何か書こうと思っておもむろに日々の思いを開けたら、時間は寝るタイムリミットの11時になった。もっと早く書けばよかった。しまった。もともと夜型の私だからいくらでも遅くまで起きているのは平気なのだが、体のことを考えて11時には寝ようと決めた。なかなか守れないのが遺憾だが、できるだけ努力はしようと思うので、もう寝ることにする。今日はいろいろ書きたいことが有ったのに。最近体調のいまいちな事ばかり書いて、それ以外の話題に触れてないのが残念。あれもこれも書きたい事だらけ。だってテレビや新聞やインターネットを見ていたらウソ、そんな、ばかな、おかしいよ、冗談じゃない、という事だらけなんだもの。思ったときに書かないと言葉が空々しくなるから、本当に書きたい。でも寝よう。
4月21日(水)
後すこしで有田の陶器市が始まる。毎年楽しみに出かけているが、今年は行けるかどうか分からない。時間は有るのだが歩くことにいまいち自信がない。陶器市は歩かないと何も見れない。5〜6時間いつも歩くのだが、今のこの体調でそれができるかどうか。もう少し待って決めよう。
4月20日(火)
最近体調が今一のせいか、体温調整がうまくいかないような気がする。暑いと思って薄着になると寒いし、寒いと思って着ると暑いといつもの私らしくない生活が続いている。
パソコンをすると肩こりがひどいし、メールもしょっちゅう!マークが出て使えない。忙しかった時間も終わったし、少しゆっくりしたらという事だろうと勝手に決めて、今週は寝週間にした。寝正月という言葉があるくらいだからそういう言葉があってもいいだろうと思う。何もしなくても時間はどんどん過ぎていくし退屈するわけでもなく、結構楽しい。こんな時テレビという機械は便利だ。見たいテレビが一杯有るわけではないし、消している時のほうが多いのだが、それでも結構見たと思う。ただワイドショーは見たくない。見なかった。続き物もパス。そうすると見るものが限られてくるが、テレビを見て笑いころげている私をさやが不思議そうに見ているのもまたおかしい。
本は一冊内田康夫さんの本を読んだだけ。お友達からの推薦の・・・なだいなだ著 「神、この人間的なもの」−宗教をめぐる精神科医の対話ー・・・という岩波新書の本も買ったのだがこれは読み始めたばかり。面白そう。パソコンを始めて良い事も一杯有るが、俗に言う堅いという本を読まなくなったのは、反省しなければと思っている。多分にそれらをうちの住人の話を聞くことで思想・思索の本を読む代わりにしている気がする。勉強は嫌いだが本だけはたくさん読んだ、という私のポリシーが泣くというものだ。言葉は本を読まないと豊かにならない。自戒自戒。
4月18日(日)
今日は朝起きるのも辛いくらいの不調だったが、する事は待ったなしであったし、お昼は送別会を計画していたので何が何でも起きなくてはという次第でがんばった。うちの住人はお仕事でお出かけ。気持ちに身体がついてきたのか、家に帰り着くまでもった。昨日よりはいいようだ。ちょっと色々な仕事と、楽しみを当分の間セーブしようと思う。体調不良なのに、食欲と元気だけはある。横になってテレビなどつけて笑いころげている自分に、自分で驚く。さやの散歩は当分の間、うちの住人Uに任せる事にする。多分私が気持ち元気でいられるのはさやのおかげが大きいと思う。さやを見ているとその可愛さに、元気をもらえる気がする。ソファーで寝ている私のほんの隙間を見つけて割り込んでくるさやが愛しい。その肌のぬくもりは心地よく、なにが有ってもさやの為にがんばるからね、と思わされる。これはうちの住人もおなじはず。子供に対してこれほどストレートに愛情を出していたらどうなんだろう。多分息苦しくなるのだろう。お互いに。さやとの事で本当に学ぶ事多く人生楽しい。
4月16日(金)
明日は用事が有って福岡行きの予定だった。ところが違う用事が入ってうちの住人も仕事で出かけるので結局私が留守番という事になった。体調も今一だったので、助かった気もするが、久方ぶりに会う人もいたので残念な気もする。
長崎に来て知り合った88歳の方が長い間住み慣れた家を後に子供さんの住む関西へいかれることになった。何事も良い方に考えられる方だが、人も思い出も何もない場所で暮らさなければならならないのは送る方としては少し辛いものが有る。最後は家族という事だろう。私達は確実に年齢を重ね、年老いる生き物だ。
自分の一生が書かれた本を手にして最後の墓碑銘を読む勇気のある人は有るか、自分の未来を読まないで閉じる事が出来る人があるか。そんな本を昔読んだことがある。墓碑銘を見るということは自分が幾つまで生きられるかを知るということ。そして、自分の未来を知りつつ生きるということ。辛い事は期限があれば耐えやすい。いつまで続くのか分からない辛さを耐えるのは苦しい。そういいつつ、人には自分の明日もわかっているようで分からない。今日の幸せが明日も続くという保証は何もない。だからせい一杯今日を充実して生きようとするのだろうと思う。
4月15日(木)
この数日体調が良くない。忙しさのつけがどどっと来たような感じだ。今日はパソコン教室の日。行こうか休もうかとちょっと考えたが、データのバックアップを習っている最中だから休むわけには行かないと思って出かけた。行って良かった。その後のお喋りも私たちは課外授業と呼んでいるが、とても楽しかった。一人一人素敵な人ばかりで、尊敬に値する人ばかりだ。それぞれが間違いなくそう思っている。今日はそのうちの一人で、この日記にもよくHさんと言う名前で出てくる彼女がパンを焼いてきてくれて、おまけに美味しいサラダまで作ってきてくれた。作り方が簡単で、ものすごく美味しい。都合で来れなかった人に申し訳ないくらいだ。簡単クッキングを旗印にしている私としては、皆に教えなければという思いにかられる。Hさんの人の良さは桁外れ、きっとまた何か楽しいことをしてくれるはず。楽しみ。これを読む彼女の顔が目に浮かぶ。「もう!」と言っている事だろう。いつもありがとう。ほんとうに感謝!!
良い事は続くもので私の大好きな手作りのちらし寿司が夕方届いた。美味しい事。
良い事はそれだけではない。パソコン教室の仲間で一番若いGさんから雑巾をもらった。ただし普通の雑巾ではなく、大きなぶたの刺繍つき。いろいろなぶたを持っているが、雑巾にぶたという発想だけはした事がなかった。うれしい。我が家にくる人はこれからこのぶたの雑巾を見せられる事になるだろう。この雑巾を私にと言ってくれたのははGさんの子供たち、私のぶた好きは彼女の家でも有名なのだ。本当にありがとう。人によくされるということは私も人によくしなければいけないということ。心してそうしよう。
だからではないが今日夕方家の前の街路樹の下にはえていた雑草を取った。前から気になって取ろうと思っていたのだが忙しかったのと体調が今一だったので先延ばしにしていた。元来私は草とりはしない。一番最初に住んだ家が庭がものすごく半端じゃない広さだったのが夢でうなされるくらいだった。次の場所に行ったとき私は草取りはしないと決めた。正直に言うと草取りをすると腰にくる。半端ではなく。公道だから本当はしなくても良いということが逆にやる気になるとは天邪鬼な事。ただし今日はざっとだからまた明日からぼちぼちやろうと思う。やっと、クリスマスローズの花を切った。テーブルに飾るためにミニバラも3輪切った。これも木曜日家を提供してくれるTさんのまねをして。年を重ねても色々な人に学ぶ事は多い。ありがたいなと思う。
4月12日(月)
やっと色々な行事すべてが終わった。本当に忙しかったし、楽しかった。心底くたびれ果てたからぼーっとしていたいと思ってる。そして事実ボーっとしている。さやもそれが分かるのか今のところおとなしくソファーで寝ている。昨日は疲れ果てているくせに、手巻き寿司が食べたくなって、椎茸の甘煮を作ったり、かんぴょうを煮たり卵焼きを焼いたりたくあんを細かく切ったり、こまごまと作った。にぎり寿司とは違うので、お魚も好きだが巻き寿司的材料が好きでそれらは必ず作る。家族であれこれおしゃべりしながら食べると、やっぱり家のが一番美味しいねという事になる。手抜き料理名人の癖にこんな時は手を抜かないんだからおかしい。一番店屋物で済ませたい時に。
今日は太極拳の日。いつも気持ちよく終われるが、今日はやっぱり疲れた。自分で思っている以上に疲れているようだ。
4月9日(金)
今日は私にとって大事な日だったので、ゆったりした気持ちで心静かに一日を暮らしたいと思っていた。「瞑想にふける」ような気分で居ようと思っていたのだが、する事がたくさんあって忙しかった。それでも、一人で過ごす時間はゆったりできた。忙しいという事必ずしも3年B組金八先生の言う「心が亡くなる」ばかりではないようだ。忙しかったが、心は満ちたりて楽しかったし、不思議な事にゆっくり時間が流れていった。今週は、忙しい忙しいといいながら自分の楽しみのために出かけることも多かった。でも、すべき事は全部終わってこうしてパソコンに向かってHPの更新をしている。まだメールまで手は出ないが。明日、明後日も忙しいので体力維持のために眠くはないがもう寝ようと思う。

4月8日(木)
この数日外に出かける以外、家にいるときはパソコンの前に座っている。文集(??)見たいな物の製作におわれている。人に頼まれたカードも100枚ほど作ったし、メールを打ったりするひまがない。来週になったら少し気分的に楽になるかなと思っている。さやの散歩はパスするわけにはいかないので夜の公園へ行ってきた。ちょっと肌寒かった。昼間は一枚しかもう着ないが、さすがにもう一枚重ねた。人のいない公園は気持ちが良い。風の冷たさが気持ちよかった。
今日の夕食は大根葉と生シラスの炒め煮とミネストロスープを作った。昨日の食べすぎがたたってなんとなく今一の食欲だったが、夕食は美味しかった。4月に入って生活の見直しという名目で、お金をできるだけつかわないようにしているが今のところかなり効果ありだ。うちの住人Uはトマトが嫌いだがたくさんの野菜とトマトジュースをたっぷりつかったミネストロスープは大すき。今日入れた材料は、大根・にんじん・ピーマン・たまねぎ・椎茸・ベーコン・じゃがいも・鶏肉・トマトジュース・コンソメスープ。かぶを入れたり、トマト・おくら等々を入れたりその時ある材料で気ままに作るが、できるだけ種類をたくさん入れたほうが美味しい。薄味で作るのでおなかに優しい。少し多めに作ったので明日の朝は楽々。
さあもうひとがんばりしよう。
4月7日(水)
こんなに素敵なことばかり有っていいのという一日だった。今日はお友達3人とデザートのケーキ食べ放題というホテルのランチにいった。今日の計画をしてくれたHさんが全部設定してくれて私たちは集合場所へ行っただけ。ランチのまえにお菓子の材料店が近いから教えてあげるといってくれたのでまず最初そこに出かけた。とっても良い物が揃っていてそういうお店を知りたいと思っていたのでここでまずラッキーという感じ。それぞれ欲しいものをかってニコニコ。この後素敵なホテルのレストランへ。最初に野菜の温野菜というかスープ煮というかコロンブスの玉子的これなら家でできそうだけどおしゃれというものが出た。オニオンスープとパンが出てメーンは肉か魚を選ぶのだが私は肉の方を選んだ。魚を選べばよかったとほんのちょっと後悔。お友達に味見をさせてもらって満足。デザートはアイスクリーム、それもおしゃれに飾ってあった。コーヒーか紅茶を選べて、これだけでもランチ代1000円は安いと思う内容だったのに、この後ケーキの食べ放題が待っていた。何種類食べただろう。もちろん小さく切ってあったが、15種類以上食べたのではないかしら。紅茶も何回もお代わりした。これで1000円。すごい。また来ようということになった。今日来られなかった人も誘って。
この後時間が有った二人で新しく出来た水辺の公園へ出かけた。きもち良く穏やかな風、歩いていて気持ちのいいことこの上なし。その後ショッピングセンターによって本物のミニぶたと遊んで家に帰った。本当に楽しい一日だった。Hさん、Yさん、Tさんありがとう!
4月6日(火)
用事が有って友人に電話したら「私の後姿がテレビに映るから見て」と言われて慌ててテレビをつけた。陶芸の白磁で人間国宝に指定されている井上萬二さんが今度長崎にギャラリーを出されたというので見に行ったらテレビ局が来て映している時にちょうど彼女も座らせられて、幸せな事に素敵な湯飲みでお茶がいただけたんだそうだ。いいなあ。待つ事しばし確かに後姿がしっかり映っていた。ここまで映るならチラッと横顔を見せればいいのに、と思った。奥ゆかしこと。でも白磁の専門店が長崎にできるなんて素敵。有田の窯元の中継も有ったが井上さんに聞くレポーターの質問がひどすぎる。白磁なんてこれっぽっちも興味がないという事が見え見えでひどい質問をする。おいおい文化程度が低すぎるぞと突っ込みを入れたくなった。何も知らなくても、ちょっとは前もって下調べしておいたらどおなのと言いたい。今週から始まった番組のようだが見たくない。
私もそのお店に出かけて行って見てきた。素敵な作品がたくさん有ってふたつ欲しいと思っている。一つはティーカップ、一つは砂糖つぼ。ただ模様に竹が彫られていたのでそれはないほうがいいと思った。私に手が届くのは限られているし、今は買えないが、そのうち何かの記念に求めようと思う。
お店の方が素敵な方で美味しいお茶2杯とお菓子、その後コーヒーとケーキまでいただいて話し込んでしまった。ちょっとあつかましかったと思うが、初めてお会いしたほかの方とも楽しく陶器についての話で盛り上がった。今日はいい一日だった。
4月5日(月)
この数日日記を更新しなかった。昼間特別忙しかったわけではないが、夜は時間がなかった。変なもので時間が有る時に書けばいいのにやっぱり一日の終わりに書こうと思うと、遅くなりすぎてアウトということになったりする。特にうちはうちの住人に合わせた食事時間になるので、帰りが遅いととんでもなくおわるのが遅い。遅く帰ってくるときは食べてきて欲しいなと内心思いもするが、家で食べるのが一番楽しいといわれると、無理もいえないし、美味しそうに飲むビールにお茶で付き合い、話を聞く。さやが隣に座ってくれると最高だそうだ。面白いのは二人で話し込んでいると、さやがいじける事。気がついたら部屋の隅に行って恨めしそうな顔をしている事。だから時々さやの名前を呼んでやりご機嫌も取らなくてはいけないのだ。さやがいると笑いに事欠かない。
パソコンを開いたついでに自分のHPをつらつらと眺めてみた。日々の思いが面白い。読み返してみるとなかなかのもの。意味深な事など書いてあるとエッそれ何の事なんて思ったりして、書いた本人が覚えていなかったりして笑ってしまう。だからそのときは深い思いで書いたとしても、時間が過ぎればたいした事ではないことが多いのが人間なんだと思った。いい勉強になった。時間が薬、と昔の人は言ったが多分それは本当だ。
4月1日(木)
今日はしゃべりすぎた気がする。笑い過ぎた気がする。楽しすぎた気がする。
夕食は冷蔵庫の中にあるものを動員してのちゃんぽん。これもうちの住人が仕事でいないのでうちの住人Uと二人だから出来ること。堅い決意で4月を迎えたのだから、エープリルフールだなんていわせない。朝6時半から動き出したのでもう眠くて眠くて仕方がない。一杯書きたいことが有ったのだが、もう寝たい。寝よう。さやは椅子の上で気持ちよさそうに寝ている。今日は雨で散歩にいけなかったのでちょっと不満顔だったが、あきらめて寝た見たい。可愛い寝顔だこと。
3月31日(水)
今日海を見下ろしながら桜を楽しんできた。長崎に来て初めてのことだ。春のはじめがいつも忙しい事も有るが、桜の花が大好きな私なのにどういうわけだかゆっくり桜の花を愛でるときがなかった。時間の関係でそうゆっくりは出来なかったが、それでも日ごろの忙しさとは無縁の時間を満喫できたのは確か。桜の花はまだ満開ではなかった。普通の日なのにそれなりの人出があった。それなのに展望台の方はほとんど人がいない、友人と二人貸しきり状態だった。桜と空と緑と海を眺めうぐいすの声に耳を傾け、春風を身に受けると、町暮らしの便利さを楽しんでいる私でさえ田舎に暮らすのもいいかもと心にささやくものが有った。
今日で3月がおわる。明日は4月だ。我が家は明日から生活の行革に入る。無駄を省き、もっと生活をシンプルにしたいと思っている。とにかく物を減らしたい。ぶたを減らせば物が減るという陰の声もあるかもしれないが、ぶたは別。家族とさやとぶたは私の大切なものだから、行革対象にはならない。うちの住人Uも新しいスタートを切ることだし、気持ちも新たにというのが私の言う我が家の行革というもの。
3月30日(火)
先日うちの住人と二人で息子の暮らす町を訪れた。夕食に美味しいものを食べさせてくれるというので宿泊はインターネットでホテルを取った。うちの住人とただの遊びで出かけるのは珍しい。今までそんな事が何回会っただろうか。いつも何かしら用事を済ませるためばかりだった。JRにのることは多いが、今回は開放感がある。人の心は同じ行動でも目的が違えば浮き浮き感が違う。当たり前と言ってしまえば当たり前だが、久方ぶりの事で忘れていた。
駅まで迎えにきてくれた息子は前回会ったときよりスリムになっていた。ホテルに荷物をおいて色々な話をしたが、後で二人になったときうちの住人が言った「穏やかな顔して、良い顔になったな。成長していてうれしい」と言う言葉が私自身の思いと同じなので嬉しかった。仕事も人間関係も、学生時代とは違う重さと大変さがあるようだが、自分の選んだ道に間違いはなかったという誇りを持ってくれているのが親として本当に嬉しい。今だからわかるが私は決して良い親ではなかったと思っている。ごめんね。すごく反省してます。
なかなか良い場所にある温泉に連れて行ってくれた。川の上流の渓谷にあって露天風呂が作ってあった。少し雨の降る中一人で木々の芽吹きを見たり、川のせせらぎを聞いていると数時間前まであくせく働いていた事がうそのような気がして不思議な感覚になった。うちの住人は息子と二人湯船につかって色々な話をしたという。良い時間だったようだ。こんな時間を幸せといわなければ幸せなんてないだろう。至福の時だった。
3月29日(月)
今日は散々な日だったが、今思えばそうでもないかなという感じ。ちょっとづつ歯車が狂ったような気がするが、そんな事は取り立てて珍しい事ではない。よくあることではないか。そして一つ一つの事は些細な事。春のせいだ。きっと。そう思う事にしよう。
今日は久方ぶりの太極拳だった。先週の太極拳は休んでしまったし、その前は教室そのものがお休みだったので、間が3週間もあいた。ちょっと忘れていたが、やっているうちに思い出した。なんとなく体調が今一だったから不安だったが、やっているうちに良くなっていった。体調不良は運動不足もあるのかもしれない。
3月28日(日)
昨日今日と近くの公園で骨董市が開催されていて、行きたいなと思っていた。用事が有ってなかなかいけず、終わる間際に駆け込んで一回りした。一つ素敵なものを見つけたが高くて手のでるものではなかったので目の保養だけさせてもらった。さやも連れて行ったので、駆け足だった。誰が買うんだろうというものも有ったが、結構面白い楽しいものも多かった。私は火鉢がいずれ欲しいと思っているので、いつも興味を持って捜す。一ついいなと思って値段を見ると買えない金額ではなかったが、私のものという感覚にならなかった。一年中炭がおこっていて鉄瓶が湯気を立てている生活にあこがれている。今すぐというわけではないが、家の中心にいつか置きたいと思っている。
私は好き嫌いが人も物もハッキリしている。ただ許容範囲は広いので、嫌いの部分が少ない。結果的にほとんどの人と物が好き。その代わり嫌いな人と物ははっきり嫌いだ。なんとなくではない。なぜ嫌いか理由が言える。まあそんな事自慢にはならないが。
3月27日(土)
今日はどじしてしまった。入院している人のお見舞いに病院に行ったらもう退院した後。日にちを間違えたようだ。あーあ、最近思い違いや思い込みが多いような気がする。もともとその傾向は有ったがちょっと最近はひどいかな。気をつけよう。
3月末を持って、我が家は大幅な行革に励むと家族に宣言した。4月からもっと生活を簡素化するよう協力していこうと夕食の時話した。今年の年頭色々考えていた事がどうも中途半端な気がしてこれは家族に協力を求めないといけないと危機感を強めたというわけ。家族は少し迷惑そう。思い立ったが吉日と今日からはじめようとしない事が私らしい。後4日ちょっとだけ楽しんでからと思ったりして。
HPのカウントがもうすぐ五千になる。びっくりという感じ。五千回目の方良かったら掲示板に書き込みしていただけると嬉しいな。
3月26日(金)
風はやっぱり冷たい。暖かなようでそうでないような、桜の花の咲く頃のちょうど花冷えということだろうか。さやとうちの住人と夜の散歩で遠出。その帰りめったに買った事のないロッテリアのシェークを買って飲みながら帰った。寒いと言いながら、美味しかった。さやはふたについたシェークをおすそ分けされて、美味しそうにぺろぺろ舐めまわしていた。こんな些細な事が嬉しく楽しい。できるだけ一日に一回幸せという言葉を使いたいとこの頃思っている。言葉は魔法。
クリスマスローズを切れない話をしたら友人から、花は盛りを過ぎる前にきった方が後々良いと言われてしまった。そう言われたらそんな気がしてきた。明日切ってしまおう。そして家に飾ってしまおう。嬉しいような本当にいいのかなと思う気持ち半々。花を切ることでこんなに一人で盛り上がるのはおかしいのかな。色々な人にクリスマスローズを全部切ってしまいますよと電話したいくらい。それ位私にとってクリスマスローズを切るのはすごいこと。
ニュースステーションが終わった。いつも見ている訳ではないが私は普段見てなくても最終回大すき人間で、つい見てしまう。今回も最終回ということで見てしまった。何事にも最初が有れば終わりが有る。終わり良ければ全て良しなんていう言葉があるくらいだから、最後という言葉は人をひきつけるものがあるのだろう。人の最後とはなに、歳をとるということは覚悟のいる事だと思ってしまう。
3月25日(木)
友達のパソコンがウィルスにやられた。怖いと思う。軽口で自分のでなくて良かったとか、メールは大丈夫とわかってから頂戴ね、なんていった。が、ホンネは大変な経験しちゃったね、でも大丈夫よ、治るから、といってあげたかったのに。多分もう少し前ならパニックになっていただろうと思う。でも彼女できないできないと言いながら、現実はすごく腕を上げているから大丈夫だと思う。それに私なんかと違って、着実だもの。ただ最近ウィルス関係の話をよく聞く。気をつけなくては。
今日はお昼から雨が降った。庭の花や木が喜んでいるだろう。猫の額というよりねずみの額ほどの庭だが今クリスマスローズが見事に咲いている。唯一の自慢だ。切って家に飾ろうかという誘惑にかられているが、いやいや少しでも長く咲かせるために地面から切り離すのはやめようと思う。
今日買い物でかに缶を買った。山のように積み上げてある缶詰の中にどういうわけだかタラバガニの特選が紛れ込んでいた。どう考えても5分の1の値段になっている。特別の日のために備えて買ってみた。普通の日に使うのはもったいないので、本当に特別の日に食べよう。特別の日とはどういう日か、多分嬉しくて嬉しくてたまらない日。そんな日が一杯有るといいなと思う。
3月24日(水)
今日本屋でチラッと見た本の題が、生き方が口癖で決まるような感じの本の題だった。うろ覚えだが日ごろ口にする言葉が重要なんだと書いてあったような気がする。失敗してもその事を言わないとか、悪い言葉を使わないとか、本当にパラパラだからハッキリした事はいえないが、自分の使う言葉に生活がかなり左右されるというのがその本の言い分だったような気がする。私はきたない言葉が嫌いだし、幸せだとか、嬉しいとか、ありがとうとか、感謝とか、大すきとか、面白いとか、良かったとか、そんな言葉が大好きで出し惜しみせず使っている。言葉は大切だと思っているし、人と人とのつながりに言葉は絶対的に必要だと思っている。だからこの本にそうだそうだとうなずいた。私は自分の希望は言葉にする。うちの住人に対しても、息子たちに対しても、自分自身に対しても。また親しい友人に対しても。昔は心を秘める方がいいと思っていたときもある。でも時々耐えがたいほど辛かった。今はそれがない。良い歳の取り方をしていると自分では思っている。多くを望まず、今有る生活を大切にして、夢も希望も失わず、淡々と生きる。言葉にするとちょっときざだが、本心。
さやがあんまり出たがるので公園に行ってきた。夜の公園は静かで気持ちが良い。ただ一人で行くと怖いかも。犬の散歩だと怖くない。風が心持冷たくて気持ち良い。今日気がついたが、私が行く公園はどこも桜の木がない。もう何年も通っているのに今ごろ気がつくなんて。長崎に来て桜の素晴らしさにそういえば出会っていないんだ。つまり、私の桜をここでは持っていない。今まで住んでいた所では、この桜は私の桜と言える桜に出会っていた。折にふれ時間を作っては会いに行っていた。そうここではまだ私の桜に出会っていない。私の桜に出会いたい。
3月23日(火)
この数日ほとんど家にいなかった。あっちこっち出かけていた。土曜日は長崎自動車道・長崎出島道路開通記念ウォーキング大会で13キロ歩いてきた。普段良く歩いていると思っていたが、とんでもない、いかに歩いてないかを痛感した。これからは歩くぞという思いを強くもった一日だった。途中で食べたおにぎりの美味しかった事。また機会が有ったら行きたいなと思っている。
とても充実した数日を過ごしたので、元気一杯。さあがんばるぞという思いが有る。人は時々自分を思い切り甘やかして優しくしてあげる時が必要のようだ。私は十分すぎるくらい優しくしてもらった。今度は人にしてあげたいと思う。
3月19日(金)
去年12月のクリスマスの前に髪を切って以来3ヶ月ぶりの美容院。シャンプーカットでうちの犬のさやがいくペットショップの料金より安いというお店。でも私は気にいっている。とにかく早い。すぐ終わる。やっぱり髪を整えると気分がすっきりする。最近体調が今一で気分がしゃんとしてない感じがするので気分転換には良かった。おまけに鏡に映る姿は伸び放題の髪より見られる。今年はおしゃれをするも確か年頭に決めた事だったような気がする。忘れていた。明日から3日間予定が目白押し。さあもう寝よう。今11時12分。もちろん夜の。
3月18日(木)
サッカー勝った!勝った!嬉しいな。平山選手のゴールを見る事が出来たら最高だったけど、それはオリンピックまでとっておく事にしよう。サッカーのお陰で夕食はハーフタイムの20分でばたばたと食べた。良い試合だったので、はらはらどきどきしないですんだ。野球にしてもサッカーにしてもマラソンにしても我が家は熱くなる。門前の小僧でうちの住人や息子のお陰でかなりスポーツは詳しいと思っている。一応語らせたらいっぱしのことが私も言える。うちの住人は、じつにあらゆるスポーツのプロからアマまで網羅してよく知っている。お正月の学生駅伝に始まり、サッカー・ラグビー・アイスホッケー等々、興味が無いのはゴルフと相撲かな。3月31日仕事でWカップ予選が見れないとうちの住人は嘆いている。代わりに私がしっかり見てあげよう。
私は多分色々なものに興味をもつ方だと思う。雑学に強く、人と話して困らないほどには知識は有るが、勉強なるものを真剣にした事が無いので専門知識は無い。今の時代なら学校できっと落ちこぼれと言われる生徒になっていたのではないかと思う。それに反してうちの住人は勉強大好き学校大好きという奇特な人だ。両極端の二人がいる家はなかなか面白いものだ。
3月17日(水)
数日書かなかっただけでもうずいぶんHPを開かなかった気がする。久方ぶりの病気、といってもつい最近は脳神経外科に走ったり、耳鼻科に走ったり、歯科は数えるのがいやになるくらい通っているから、決して今までだって元気だったわけではないが、寝込んだのは久しぶり。日曜日の朝起きようにも起きられなくなった。気力で奮い立たせても駄目、こういう状態はめったにあるものではない。3年に一度有るかどうかだろうか。昨日の夜,うちの住人が同じような状態を訴えたので、私はどうも風邪だった様な気がする。我が家はあまり風邪をひく家ではないせいか、ピンとこなかっただけのようだ。
今日久しぶりに犬の散歩で町を歩いた。いつも行く公園の桃も開き始めた。梅や桜で無く桃を植えた感覚が珍しいと思うが、白と、ピンクと濃いピンクの三種類が植えてある。桃の枝は几帳面に天をさして伸びている。桜や梅のように横には伸びていない。それが良くて植えたのかな。公園に大きな犬がきてさやが怖がるので、ふだんいかない町に行ってみた。大きな道をはさんだ向こう側の町はすぐ近くなのにそういえば最近通った事がない。目に付いたのが「ラブホテル建築反対」の看板。閑静な町並みで目立つ事。それらしき建物は無いようだと思ったら○○倶楽部と書かれたマンションっぽいものがあった。知らなければ通り過ぎてしまうような建物に見える(ただし昼間見たから夜はわからない)、反対にもかかわらず立てられてしまったようだ。その○○倶楽部の横に同じ大きさのマンションが建っていて子供の服が洗濯して干してある。それを見たとたんやっぱりこの街の人はそのホテルが心底いやだろうなと思った。
午前中さやの散歩を済ませて、お昼とてもエネルギーあふれた人に会った。音楽会の券を預かるためだが、いつあっても圧倒される。結局預かる。預かると何かしら責任を感じるのでいやなのだが、仕事をするというのはこれぐらいのパワーが無いと駄目なんだと実感する。押しの強さは半端ではないが、私はこの人が好きだ。ここまで強い人は気持ち良い。でも心は真っ直ぐで、きっとあったかい人なんだと思っている。問題は券が売れるかどうか。内容は凄くいいと思う。おまけに安いし。皆に言って見よう。その間に、人が来たり、午後約束している人の家に行ったりと、この数日の時間を取り返す分は十分過ぎるほどだった。最後に会った人は私の大好きな人で、心和むひと時だった。美味しいお昼をご馳走になって幸せだった。やっぱり私は恵まれている。感謝だ。
3月13日(土)
今日は朝10時半から夕方5時半までの一日デジカメコースなるものへ行って来た。お昼は九電のサービスの昼食まで出て至れり尽せりだった。IHクッキングヒーター紹介キャンペーンの一環のごちそう。前から興味があっていいなと思っていたが確かにいい。終の棲家が決まったら絶対IHにしようと思う。一人暮らしのお年寄りで、周りから火の始末を心配されている人にはとってもいいものだと思った。どんどん進化する道具。使えるものは使いたい。手仕事も大事だと思っているが、なんでもかんでも手仕事と言うのは年を取ったら辛すぎる。手を抜けるものは抜いて、愛情を込めるものはこめるといメリハリが有って初めて老いるという事に寛大になれるような気がする。
今日の勉強は私にとって中身はたいしたことなかったが、いつも使っているデジカメでもないし、加工ソフトも使った事がないものだったので使い方が違うのでそれはそれで面白かった。ただ、実感として、かなりパソコンに関しては腕をあげているという思いを持った。初心者でない事は確か。木曜日の授業はなかなか中身の濃いものだということが実感した。それと私はパソコンが本当に好きなんだと言う事も実感した。
3月12日(金)
今日花屋をのぞくと綺麗なアジサイの花の鉢を売っていた。いまは3月上旬。旬と言う言葉が遠いものになっているのは事実だが、ブルータスおまえもかというのが正直な思い。3月にアジサイはにあわない。大好きな花であるだけにそう思う。確かに花は温室育ちだからいつでも咲かせる事ができるのはわかっているが・・・・。他の花は思わないのにアジサイだけ思うのは多分梅雨時のアジサイの雨にぬれた風情がなんともいえないからだろう。冬の桜は好きなのに。
今日は過ぎてしまった結婚記念日の会食と言う事で回るお寿司に行ってきた。他にも色々有った事だしうちの住人と二人でゆっくりした時間を持つのもいいかとなと思って。忙しい時間のあいだを抜けて楽しむのも大事だろうと思うから。若くない分情熱とは違う思いやりとか思い出の共有とかを大事にしたいと思っている。
朝、電話がかかってきて話を聞いていたら、人には本当にこれでもかこれでもかと言う辛い出来事が続く時があるんだなと思って、人の事ながら辛かった。ただいつも思うのだが、すべての事に時があるんだと言う事。いま望んでかなわない事も必要であればそうなると言う事。人の思いを超えたものがきっとあると、私は思っている。そう思える分私は明るく生きていけるんだろうなとこの頃よく思う。ノー天気なだけではないんだとちょっと強調しておこう。
3月11日(木)
今日はパソコンの日だった。ウィルスの事やデータのバックアップなどについて学んだ後色々日ごろ疑問に思っていることなどを質問して教えてもらった。うちのクラスは活気があって質問も多く、次から次に習いたい事があって飽きる事がない。その帰り用事のない人だけでランチに行ったが、これまた楽しくてあっというまの時間だった。おまけに座ったとたん椅子が壊れてびっくり。あれ変と思ったとたんだった。なかなか得がたい経験だった。来週には私が壊したと言うニュースになるだろうと笑った。
長い間私の中で暗雲が立ち込めていたものが、今日きれいさっぱり晴れた。人が一人で生きていけない以上、色々あるのはしょうがない事だとわかっていても、辛いものは辛い。悲しいものは悲しい。いやなものはいやだ。ただ黙って結論をだすのを待つのは辛いものだ。何かしてあげたくても出来ないくらい辛いものはない。待って待って待って、待てないと思うくらい待って、良かったと思う。結論を出した人の顔はすがすがしい。
3月10日(水)
メール番号をもう一つ取得しようとしてどうも扱ってはいけない所をあつかってしまった様で使えなくなってしまった。困ったな。今日は一日忙しく、ばたばたしていたのでちょっと疲れ気味だったのがよくなかったのかもしれない。また明日やってみよう。大事なメールが入る予定なのが困った。

嬉しい、嬉しいな、メール使えるようになったよー。色々なとこ扱ってみてどこが間違っているか見つけたし、一つ使ってないメール番号を削除して、なんだか自分の腕があがったと言う事は確かだなと自画自賛したところ。ログオンを要求されたりなんだこりゃと言う事も出てきたり、ただ一つ一つ確認していくといいんだということがわかった。一人で浮かれてるのもなんだからこの幸せ感を読んでくださっている方におすそ分け。
3月9日(火)
天然ガスへの変換もおわったようで、一安心。人が台所に入るというので最近いい加減にしていた掃除をちょっと丁寧にした。きれいになればやっぱり気持ちが良い。今年は整理整頓の年にしよう。家族が喜ぶだろうな。
毎日のように日々の思いを書きつづけているが、そうそう違う毎日を送っているわけではない。したがって書こうと思うタネもない日がある。取り立てて書くことのない日のほうが多いわけだ。それでもどうにかこうにか書けるのは、私の好奇心と言うか物事に対する深い興味(絶妙の言い方)と言うか、友達にHPを作ろうというと興味はあるが、中身を考えるのが難しいとか、人が見てくれるようなものを作れないとかいう。HPは確かに人に見てもらって何ぼという面は大きいが、それは後から付いて来るもので、本来自分の思いを表現したいからするだけの場所なんだと思う。と言う風に何もなくても思いつきで書ける。フー、今日はこれで良しにしよう。
3月8日(月)
太極拳が終わって夕食を済ますと眠くなる。いつもそう。身体がリフレッシュして心地よくなるせいかもしれない。明日は朝8時から夕方までガスがつかえない。したがってお昼はランチの美味しいお店に行こうと思うが、うちの住人もいるので二人で行くとなると、さてどこにと思ってしまう。一人なら簡単に済ませられるけど、量も必要となるとお手上げ。お弁当を買ってきて食べるとか、パンで済ますとか、あるけれど。せっかくガスが使えないと言う口実があるんだから外で食べたい。おまけに次の日は結婚記念日なのに(うちの住人は記念日が好き)本当なら何かするのだが、その日は仕事でうちの住人は家にいない。多分夕食は美味しいものを食べようと言う事になるだろうから、やっぱりお弁当かな。私は今日プレゼントを渡してある。我が家はプレゼント好きな家族なのかもしれない。心もこもったプレゼントくらい貰って嬉しい物はないし、あげて気持ちの良いものはない。義理で貰う物ほどいやな物はない。正直に言うと好きでない人からもらったものはたとえ大好きな豚でも飾りたくないと思う。それを見るたびにその人の顔が浮かんで豚もかわいそうだ。
3月7日(日)
今日親しくさせていただいている方のお嬢さんに初めてお会いした。その方はご家族が入院なさったりしてちょっとお疲れ気味だったので周りで心配していたのだが、久方ぶりのお嬢さんの里帰りで、笑顔笑顔で見ていて嬉しかった。娘を持っていない私としてはやっぱり娘はいいものだと再確認した。
昨日の夜は長崎を去る人の見送りで夜駅に向かった。寒かったが、そんな気温以上に人との別れはこたえる歳になってきた。私はいつ次の場所へ行くことになるだろう。この町で作ったものがあまりにも大きいので、出るときには涙なしにはいられないだろうと今から思う。会うは別れのはじめなり・・そんな言葉が流行ったことがあるが、諸行無常と言う事だろうか。ちょっと違うかな。
久しぶりにさやの部屋を更新した。最近のさやです。さやのためならなんでもするうちの住人の後姿付です。
3月6日(土)
「今日の私の運勢
  総合運100点/100点  恋愛運10  金銭運10  仕事運10
この日はあなたにとって、大きなターニングポイントとなります。この日一日をどう過ごすかによって、これからの運勢が大きく変わっていくでしょう。この時期に行動力を発揮しておくと、今後の幸運につながり、問題が起こった時でも周囲の人からの助けを得られやすくなります。また、積極的な行動は経済的な幸運にもつながります。今後のあなたの幸運を自由にコントロールできる素晴らしい一日をなるでしょう。」
  何気なくヤフーの占いあけたらまあ私の星座はパーフェクトだった。こういうこともあるんだと、ビックり。良い事は信じよう。
3月5日(金)
今日は家事にいそしむ一日でした。
夜は送別会でお豆腐のフルコースを食べてきました。
二次会はコーヒーショップでおしゃべり、時間の経つのの早いこと。取りとめもなく話があっちに飛びこっちに飛びしながら笑いころげていると、何にも大変な事なんかないと言う、怖いもの知らずの気持ちになっていく。さあ今日はもう寝て、明日またがんばろう。おやすみなさい。
3月4日(木)
今日は美味しいちらし寿司を食べる事が出来た。幸せ。私の大好きなものの一つはお寿司。握りずしには特に目がない。その握りずしよりもっとすきなのが手作りのちらし寿司。どんな高級なおすし屋さんのお寿司よりも、手作りのちらし寿司にかなうものはないと言うのが私の考え。今日のお寿司は私の一番若いお友達Gさんの手作り。子供に手の一番かかる時間が貴重な時に手間のかかるおすしを作って私たちにもご馳走してくれる、その気持ちが倍美味しくしてくれていると思った。なにしろ私はお代わりまでしてしまったのだから、Gさんはご存知ないが、残ったぶんの半分を貰ってきてしまったんだからどれくらい私が美味しいとおもったかわかると言うものだ。またごちそうしてなんてここで書くと、きっとみんなかしましくいうだろうなあ。私らしいと。本気よ。おいしゅうございました。
明日お豆腐料理を食べに行くことが急に決まった。先日の送別会に急病で参加できなくて残念だったので、もう一回あるといいなと呟いたらお膳立てしてくれる人がいてそうなった。私は本当にまわりの人に恵まれていると思う。だから色々あっても、元気が出ると言うものだ。ガンバ!
3月3日(水)
今日は雛の節句。女の子のいない我が家にはあまり縁のない日だった。自分のお雛様の時のことはどうしてだかあまり覚えていない。そういうことを大事にする母がしないわけがないし、お雛様の道具でおままごとをした記憶がある。ただ、母の作る散らし寿司が美味しかったことだけは覚えている。どうも私は花より団子だったようだ。母のことを思い出すと心が温かくなる。まだまだ私は母を超えることは出来ないようだ。どんな時にも自分のことより子供の事を考える人だった。自分が親になってそれがどんなに難しいことか実感する。
昨日は良い事も一杯、大変な事も一杯という珍しい一日だった。ずっと後で思い返したとき記憶に残る一日になることだろう。人間万事塞翁が馬という言葉が思い出される。思いをこえて起こるいろいろなことがあるから人は謙虚にも優しくもなれるのだろう。若い時は楽しい事だけ、嬉しい事だけがあれば幸せだと思っていた。若かった。そんな薄っぺらな人生があるわけがない。人知れず涙した思いを大事にした人だけが死ぬ時、「ああいい人生だった」といえるのかもしれない、と思ったことだ。本当なら今日はお友達と楽しい時間をもつはずだったのに、予定変更でがっかり。私の都合で断ってしまったのだが、やっぱり残念と思ってしまう。気を使わなくていい人とのおしゃべりくらい、楽しく心安らぐものはない。ありがとう。   花・花・花のコーナーにどうぞ
3月1日(月)
3月だ。春になったという感じだが、風は冷たい。さやの散歩はコートを着て手袋までした。暖かさに身体がなじんでしまったので、心地よい寒さというより、ちょっと辛い寒さだ。身体が拒否反応を起こしているらしく肩こりがひどい。太極拳の日でよかった。太極拳のおかげで体が少し動くようになった。
今日一日私は何をしたんだろう。掃除を少々とご飯の用意と、洗濯も少々、後は本を読んですごした。昨日買った本を読んだが、面白くなかった。図書館にはいるまで我慢すればよかった。最近本を買わないので勘が鈍ったのかもしれない。作家の名前だけで買ってはだめだということだろう。いまテレビはサッカーを中継している。応援している平山が活躍するといいなと思う。彼の学校は今日卒業式、卒業証書の代わりに勝利を手に入れるなんて誰でも出来ることではないからがんばれ!と応援しよう。
2月29日(日)
今日は四年に一度の2月29日。おまけに2月には珍しい日曜日が5回ある年。うるう年ということはオリンピックの年。そんな事を書いていたら浮き浮きしてきて、今年はいい年になりそうな気がしてきた。今年に入って体調不良で脳神経外科には行く、耳鼻科には走ると、病院嫌いのとこさんとしては踏んだり蹴ったりの二ヶ月だったから、このあたりで気分一新といきたい。今日は4年に一度の「24時間プレゼント」の日。すごく得した気がした。特別何かをしたわけではないが。午後本屋に行って色々な本を見てきた。うちの住人が夜いないのであまり時間を気にしなくていいというラッキーなこともあって、あっちこっちお店をぶらぶら。この頃そういうことをあまりしないので久しぶりに楽しかった。文庫本を2冊買った。
今日の明け方、雨と風がすごかったそうだ。朝起きると、うちの住人が「夜中の雨と風はすごかったね」というので「そうね」と答えたものの熟睡していたので本当は良くわからない。今ごろの雨の少なさは夏場に影響するということなので、降って良かった。さっき、さやの散歩にいつもの公園に行ったら折れた枝が隅にたくさん転がっていた。強い風には木も泣くというものだ。
2月28日(土)
久方ぶりにさやをシャンプーカットに連れて行った。とはいっても1ヶ月に1回は連れて行っている。飼い主である私はカットは3ヶ月に1回である。おまけにさやの方が私より高い。可愛いさやのためならかまわないとペット馬鹿の鏡である。うちの住人とさや馬鹿振りを競っている。たわいのないさやに対する愛情が家族円満の秘訣かもしれない。大きくなった息子たちにあれこれ干渉すれば多分物議をかもし出すだろうが、さやに対してはちょっとわがまま犬になるだけの事で害はない。
毎月さやの写真入のカレンダーを作って配っている。去年一年作って配ったら好評で、今年は配らなかったらほしいといわれて、また復活した。先日仕事で出かけたうちの住人がパピヨンのぬいぐるみをやっと見つけてきてくれた。離れている息子のぶんもGETと自慢している。近々届けようと思う。一人暮らしの息子の気持ちを慰めてくれるだろう。
久方ぶりといえば今日ちょっとだけ雨が降った。今年に入って雨が少ない。もっと降らないと夏の水不足を心配しなくてはいけない地域も出てくると聞いているので、喜んだ。最近の天気は程々がない。降りすぎたり、照りすぎたり、吹き過ぎたり、お願いだから適度に降ったり、照ったり、吹いたりして欲しい。
2月27日(金)
昨日はひどい一日だった。結局送別会はお断りしてしまった。
お昼から夕方まで寝ていたらちょっと楽になった。本当は豪華客船プリンセス・ダイヤモンドを見に行こうと思っていたのだが夕食は遅くなるし、その他もろもろで結局自分の時間になったのは夜中の1時になったので、結局寝てしまった。体調不良でも自転車飛ばして夜の船を見ようと思っていたのに残念。でもそこであきらめるのは私ではない。今日の朝9時出航と聞いたので、行ってみてきた。とにかく大きい。その船がぐるッと旋回して長崎港に真横になったときは感動した。一杯一杯という感じで、その大きさは想像を絶する。本当ならスターサファイヤ号(違ったかな)という名前で出航する予定の船だったのが、プリンセス・ダイヤモンドの火災で急遽、先に作られ名前も変えられたという運命をになって出航した船だと思うと感無量に長崎市民がなるのも無理はない。今年の5月には火災にあった船も新しい名前で船出するという。プリンセス・ダイヤモンドの火災は本当にすごかった。背広姿の人たちが対岸の船の火災を呆然と眺めながら長崎ももう終わりだと口々につぶやいていた姿がものすごいインパクトで残っている。三菱造船が長崎でどれくらいの位置をしめているかを考えればあの火災が市民に与えた心理的圧力は理解できる。結果的にはその心配が杞憂に終わった事は幸いだ。船が見えなくなるまでずっと見ていた。大きな船が香焼(こうやぎ)から神の島のほうに曲がっていって見えなくなるまで見送った。あのすごい船に乗って船旅を楽しむ日が私の人生にあるとは思わないが、その旅立ちを見届ける事が出来た事は、嬉しいと思っている。物を創造する大変さをしっかり見せてくれた船だから。ただ一つ残念な事はデジカメを忘れていった事。いいアングルで取れたのになあ。
2月25日(水)
朝今日は気分爽快でさあやるぞとそんな気持ちだった。ところが、好事魔多しとはこのこと。人が来て話をしていたら急に耳の下が熱くて膨れ始めた。口を明けるのもしんどい。ほっとくと大変な事になるということだけはわかった。耳鼻科にかけつけた。病院嫌いの私としてはすごく早い決断といえる。唾液が出る腺にばい菌が入って化膿したらしい。そういえばこの2・3日口の中に何か出来ている感じはしていた。病院で薬を貰って飲んだら良くなってきた気がしていたのだが、いま熱っぽい。困った明日はお昼、送別会があるのに。ちょっと辛いな。
2月24日(火)
庭のクリスマスローズが咲きだしたので、デジカメで写してみた。私は花はどうにか撮れるが豚などの雑貨が取れない。お花は少しくらいぼけてもそれもよしという所が有って誤魔化せるが動かない物はごまかせない。このHPをもっと活発にするにはデジカメの腕を上げる必要があることを痛感する。一日かけてデジカメであれこれやってみる必要を感じるのだが、これまた有る様でないのがゆっくりした時間。
今日、人と話していて血液型の話になった。みんなが血液型で相手を判断する事に驚く。A,AB,B,Oの四つしかないものでどうして人を判断するのか私にはわからない。人間が4つの分類にくくられるほど簡単とは思わない。情熱を持って語る人たちに感心して聞いていた。聞いていると私の性格の中にはA的なもの,B的なもの、AB的なもの、O的なものがみんなある。しかし、こう血液型に興味の多い人がいるということは、私が確実的にある血液型で推し量られていることだけは確かなようだ。そういえば、私の親しい友達は血液型の話をしないような気がする。それとも興味があるけど、私が興味がないから感じないんだろうか。今度聞いてみよう。花・花・花にどうぞ。
2月23日(月)
昨日、明日続きを書くなんて書いたけど、もうどうでもいい感じで書く事もないかと思ってしまう。
「平戸・城下雛まつりとひらめ姿造り・海鮮寿司食べ放題日帰りツアー」すごい名前でしょう。
その名前を書いただけで本当にもうどうでも良いなと思ってしまった。胡散臭いツアー名だこと。
朝七時10分に出発して夜7時45分に帰り着くまで、バスに乗って、お昼を食べて、温泉に入って、お雛様を見て、指定のお土産屋に寄ってみんなが沢山御みやげを買うのを感心してみて、バスに乗って帰ってきた。それだけの事。お土産なんて何も買わずに帰ってきた。日帰りなのに、みんなのお土産の買い方が半端じゃない事に心底驚いて恐れをなしたというのが本心。日帰りであれだけ買うということは、泊まりだったらどれだけ買うんだろう。見てみたい気がする。もともと団体行動が好きでないのに行くからだと息子に言われてしまった。正論。
2月22日(日)
土曜日生まれてはじめて旅行社が募集した日帰り旅行に行ってきた。
たぶん最初で最後の体験だと思う。疲れた。とても。
車のない生活しかした事がない我が家はあまり、あまりどこにでも行った事がないのでちょっと気をひかれたが、なれないことはするものではないとつくづく思った。
観光バスと言うのはゆったりしていると思ったら安い費用のものにいいバスを使うはずがないという、そんな簡単な事も経験して初めてわかった。遠出のバスというのは高速バスにしか乗ったことがないのでみんなそうだと思い込んでいた。競争の激しい分野は待遇がいいのは世の習い、JRと争っている高速バスはやっぱり良いものを使っているんだと再確認した。自分に向かないと良く分かったので、いままでどうり、どこにも行った事がない事を誇りに生きていこうと思う。本気。平戸に行ったのだが具体的なことはまた明日。続きを書くことにする。
2月20日(金)
        これが私の古里だ
        さやかに風も吹いている
        おまえは何をしてきたのだと
        吹きくる風が私に言う
                     ・・・・・・だったかな。不確か。
歩いていると気持ちのいい風、頭に脈絡もなくこの詩が響いた。中原中也の詩だ。彼の古里山口県の湯田温泉の記念碑に書かれたものだ。昔、まだ彼の記念館もない時代、高校のクラブの旅行で彼の生家を尋ねたとき覚えたもの。友人の大好きな詩人だった。透明感のあるすこし肌寒さを覚える時の風のような気がするのに、この暖かさの中でこのフレーズが唐突に浮かぶのは懐かしい友の書き込みのせいかもしれない。私の思い出の中で宝石のように輝いている高校時代。いまの私も好き。あの頃の私も好き。愛しさとせつなさ・・・思い出って心を洗ってくれるタイムマシンのようだ。この頃良く昔を思い出す。もちろん歳をとったからだろうが、それだけではなく、いまの私があるのはそんな時代の積み重ねだという思いが強いからだろう。長男が女の子だったら「さやか」という名前になっていたはず。さやか、今はありふれた名前になっているが、あの頃はそうある名前ではなかった。何事にもとらわれないで生きるとき、「さやか」にということばは私の思いのすべてを表していると思った。透明でゆるぎなく、無心で清く人間としての行き方の基本だと思った。初めて親になったとき若かったんだ。青かったといっても良いかもしれない。
2月19日(木)
今日は例によってパソコン教室の日。バブル・グラフを習った。私の日常には100パーセント縁のないものだとは思うが、グラフに色をつけたり塗り分けたりと楽しく遊んだ。エクセルは頭の体操にもってこいだ。本当に10年若かったら私パソコンの仕事をしたかった。高齢者にボランティアで教えても良いなと思っている。複雑なものは私たちには必要ないし、インターネットと、Eメールと簡単なワードが出来たらもう十分と思うから、パソコンはどこを押せば良いかだけの機械だから、出来たらみんな楽しいだろうなと思う。特にあまり出歩けない人には外界とのつながりを持つのにはもってこい。パソコンなんてそれぐらいに考えていれば、難しくも何ともない。電話をかける感じで使えば楽しいのになあ。終わってお昼ごはんを食べにいっておしゃべりに花が咲いた。私たちが行くところはゆっくり出来るところで、味は二の次(多分)。
この数日コートを着なくてもいい気候になった。寒波がくるということだったが、今度の土曜日楽しみにしているプランがあるのでその後だといいな。
2月18日(水)
今日は歯医者の予約で午後でかけた。30分間口をあけたままかなり辛い時間だった。太極拳で習得中の呼吸法を駆使してがんばったが、かなり今日は辛くて痛かった。おわりましたといわれたとき、目頭から涙がスーっと流れ落ちて、ああ若い子なら絵になるのにおばさんじゃね、何て思ってしまった。歯医者の椅子だけには何回座ってもなじめない。肩の力を抜いてなんていわれてもそれは無理というもの。さきはまだ長い、当分歯医者さんとの縁はきれそうにない。
そのくせ昨日から今日、私はチョコレートを食べまくっている。ヴァレンタインにいただいた義理チョコを貰った人間の変わりに私が美味しくいただいている。お菓子を食べる習慣がまた戻ってくるといやだなと思いつつやめられない。美味しいものを美味しいと感じる感覚はそうそう捨てたものではない。歯医者の帰りに買い物していこうと思って何時ものコース、アーケードの中を歩いた。本屋と文具店とCDショップに寄った。前から欲しかった「レーナ・マリア」の歌曲集を捜したがなかった。CDショップは若い人の好むものばかり。Jポップとか何とかそういうものばかり。いやはや。
2月17日(火)
今日は危うくさやと一日中家に入れなくて締め出されるところだった。というのは、うちの住人が仕事で出かけるので散歩をかねて送りに行く事になり一緒に出かけた。送った後公園で遊んで家に帰った時点で私がかぎを持って出かけなかったことに気がついた。息子は夜まで帰ってこない。うちの住人はJRでお出かけ。アウト。困った困った。公衆電話からうちの住人の携帯に電話したら急いで行けば間に合いそう。いつも早めに出かけるうちの住人の癖が幸いした。ぎりぎりに行く私だったらどうなったか。こんな時にかぎって、家中の鍵を厳重にかけていているんだから。さやを連れて駅まで走った走った。セーフ。鍵をもらって帰るとき、さやが疲れ果てて歩かない。仕方がないので抱いて帰った。JRがでた後に気がついていたら私はさやと家の入り口の椅子に座って途方にくれる姿が見られていたはず。でもそれもちょっとの間、、私は頭がいい(??)からそのときはペットショップにさやを預けて映画でも見に行った事だろう。うちの住人がつかまらなければそうしようと思っていた。アクシデントは思いもかけないときにやってきて、心拍数を上げる。そのおかげでこれだけの文章を書けたのだから何が幸いかわからない。めでたし、めでたし。花・花・花に一つ載せた。
2月16日(月)
気持ちのいい青空とさわやかな風の吹く一日だった。取り立てて何事もない平凡な時間が過ぎていった。こんな日は本を読んだり家事にいそしんだり充実した時を迎えられそうだが、そう行かないのが人の気持ち。あまりにも平和でなんにもする気になれなくて、本当に何もしないで一日が終わってしまった。昨日の夕食の餃子があまりに美味しくてパクパク食べてしまったら、今日は朝からなんにも食べたくなくてボーっとしていたのも原因の一つかもしれない。面白いもので最近体重も下がり気味だったのに餃子のおかげで増えてしまった。魚と野菜の食事の方が私には良いようだ。ただ牛肉が食べたいなと思うのに、自分が食事を作るのだから食べればいいのにどうせ食べるならいい肉にしたいなんて思うのでまだ食べていない。面白いものだ。食べたいと思っている間が幸せだということを知っているからかもしれない。
毎日その日の事、あるいはその日の思いを書きつづけるって簡単なようで、エネルギーを必要とするものだということがわかってきた。人の生活には書きたくないことや書いてはいけないこともあるし、自分ひとりで生きているわけではないからそこが難しい。青空とさわやかな風それだけで満足というわけに行かないのが人の世の常か。
2がつ15にち(日)
今日はヴァレンタインデーのチョコレートの事を書こうと思っていたら、散歩の途中で見た駅伝の事が書きたくなった。さやに散歩させて家に帰る途中、長崎新聞の小旗を持った人たちが道端にいた。私たちも小旗が渡され応援してくださいと言われてしまった。そのとき今日が長崎郡市対抗駅伝の3日目最終日だということを思い出した。信号のところに警察官の人が立っていたので誰か政治家でも来るのかななんて思っていたのだが。うちの前は幹線なので、長崎でおこる事は大体わかることになっている。先頭は諫早高校の女の子だった。最終ランナーはほとんど若かった。2位を大きく引き離しての一位だった。長崎にはそれほど大きな企業がないので高校生ががんばっている姿が目立つ。懸命に走っている姿は健気で、こちらも旗を振りながらがんばってと声をかけたくなる。結局最後のランナーまで応援してしまった。家の中にいればその前を走り去ったとしても気がつかなかっただろうが、さやの散歩のおかげでいいものを見る事が出来た。最近健気にがんばっている人を見ると涙が出てくる。感動してしまう。サッカーも国見の平山に活躍して欲しいと思っているし、私は自分が思っている以上に長崎にしっかりなじんでいるのかもしれない。
2月14日(土)
昨日は一日味噌を作っていた。色々あったが、終わってみればよかった良かったというところ。後は寝かせて熟成を待つばかり。こうご期待。
疲れて結局HPの更新もメールの返事も書かず寝てしまった。メリハリのある生活は楽しいが、疲れる。
きょうは久しぶりに何事もない日だった。家からほとんど出ず、さやの散歩だけ出かけた。すごい風が吹いてもうこれが春一番かと思った。このまま春になるとは思えないが、春が来るという言葉の響きにはなにか新しい事が起こりそうな予感を感じさせてくれる。花や草や木々の芽吹きは命が生まれる事への畏敬の念を今一度思い出させてくれるからかもしれない。太古の時代から自然は命をはぐくんできたのだから。人もまた作られたもの。大きな顔をして海や山やすべてのものの支配者のような顔をしているが、いつも自然を侮って痛い目にあっている。マザーテレサが、戦争・貧困などについて、それは「人間の罪です」と言い切った言葉を思い出す。
きょうは久しぶりに息子から電話があった。春には転勤があるような話を聞いていたが、もう少しだけいまの場所にいる事になったようだ。仕事は忙しいが、充実感はあるようだ。親としてはもう一人前の大人の息子にことさら望むことはない。元気で自分らしく生きてくれたらいい。離れて暮らして何年もたつが、一度も息子のところへ行ったことがない。住所を書いた紙も貰っているはずだが、どこになおしてあってすぐにはわからない。携帯の番号とE−メール番号を知っているから必要な時は連絡が取れると思っているが、自分の息子の住所もよくしらないと言うのは人から見たら信じられない事かもしれない。多分私をよく知っている人は私らしいというだろうが。
そうそう花・花・花に一つ載せた。
2月12日(木)
きょうはパソコン教室だった。いまエクセルを習っているのだが、先週の宿題が難しくて、てこずった。海外留学プランなるもので、25万から150万までを6ヶ月から72ヶ月まで8通りの返し方を計算するもの。多分、関数の何かを使えば簡単に出来るのだろうとは思っていたが、どれを使えばいいかなんてわからないし、今もっている知識を動員してどうにかそれらしい答えは出した。先生に聞いてみれば簡単。ただ私たちの教室のすごいところは、授業が先生のカリキュラム通りに行かないということ。毎度の事だ。みんながいろいろな質問をするのですぐ脱線する。ただその脱線がとても勉強になる。みんなが持っていうる疑問はパソコンを極めた人から見たら重箱の隅つつきかもしれないが、私たち初心者には目からうろこの事が多い。素人のひらめきは怖いのだ。きょうの宿題はFV関数を使えば簡単に出来るもの、ただ問題はきょう出来ても、1週間後、1ヵ月後にわかるかということだ。使わないものは忘れる。それもすぐ。FV関数・PNT関数等々、私の生活の中ではたぶん縁がない。でも頭の体操にはもってこいだ。質のいいパズルを解いている気がして楽しい。教室の仲間は色々な人にまだパソコン教室に行っているの、よく習う事があるねといわれるという。私もそう。エクセルが済んだら、ワードも、デジカメももう一度と思ってしまう。今ならあの時わからなかったことがもっとわかるということがわかるから。何よりパソコン教室の仲間が良い。
2月11日(水)
きょうは祭日だった。おまけにとてもいい天気だった。だからどうということもないが、犬もそんな事がわかるのだろうか。朝からうるさく散歩に行きたがる。今日は朝6時に目を覚ましたが、前から朝寝をしてみたいと思っていたところなのできょうこそと思った。ところがそんな時に限ってさやがほっといてくれない。ボールを持ってきて遊べとしつこい。あきらめておきた。散歩も連れて行った。今日は散歩びよりの日だった。ただ、いつも行く公園は非常識な親子のために遊べなかった。なにしろなにを間違えたかその親子、バッティングセンター状態で硬式球をあたりかまわず打ちまくっていたので危なくて近づけなかったのだ。だから今日はいままで行ったことのない町を歩いた。好奇心の強いさやは楽しそうだった。
今日は何事もない日になるはずだったのだが、掲示板に書き込みがあったことで素敵な日になった。音信不通の友から久方ぶりの便りとして嬉しく受け取った。みんな自分の生活に一生懸命な時代がある。生活の場所が変われば、人間関係も変わる。彼女は才能豊かな人だった。私の若い頃の友はみんなそうだが、感情が豊かで魅力的な人が多かった。私が一番ありふれていた。多分いまもそうだろう。
2月10日(火)
昨日は太極拳の後、食事をして、一日相手をしてあげなかったさやを散歩に連れて行った後、寝てしまった。書きたいこと、書こうと思っていたことは山ほどあったのに眠気の方がかってしまった。

素敵でしょう。
これはHさんの手作り。この写真は私がいただいたものとはちょっと違うが、はまぐりのお雛様と、和紙で折られて色紙に張られたお雛様を私もいただいた。彼女の心配りのすごさは、作品を見るとよくわかる。私には到底まねのできないものだ。彼女の優しさがお雛様の顔の筆の運びによく現れていると思う。惜しげもなく人にプレゼントする彼女はすごい。お友達でよかった。別にプレゼントをくれるからというわけではなく、彼女といると背筋がぴんとするような気がして、自分にないものを貰っているような思いがして嬉しい。なんにでも抜けるものは手を抜こうとする私の性格の対極にいる友達は得がたい。よく出会ったものだ。もちろん彼女いがいにも素敵な友はいる。この歳になって新しい友ができるのは本当に奇跡に等しい。一人一人の人にありがとうといつも思っている。
2月8日(日)
今日の午後は久方ぶりにうちの住人ともども時間ができた。本当は入院している知り合いのお見舞いに行く予定にしていたのだが、今日の午後一時帰宅で家に帰られる事がわかって予定がなくなった。久方ぶりの暖かだし、さやを思い切り散歩させようと言う事になって出かけた。いつもなら近くの公園だが、今回はかなり遠い公園に行くことにした。犬を飼っている人の思うことは同じらしく、行く先々で犬に出会って、さやはびびっていた。箱入り犬は他の犬と遊んだ事がないので無理もない。おまけに私の姉の家の犬が放し飼いの犬にかまれて大怪我をしたばかりなのでこちらも神経質になる。
子供より可愛いんですなんて、ちょっと調子のいい事を人に言っているが、かなり本気。もちろん子供が可愛いに決まっているが、もう大人の自分の生き方をしている息子たちだから、子供より可愛いんですと親が人に言っているのを聞いてもやきもちは焼かないだろう。
今週はうちの住人が家にいない事が多いのでラッキーと思っていたら私も忙しくて、遊ぼうと思っていたのにうまくいかないものだ。本来1月2月はひまなはずなのにどういうわけだか今年は忙しい。ということは今年も一年中忙しいという事になる。あーあ、だ。元気であれば良いが、いまは体調がいまいちなので、走り過ぎないようにしなければと思う。
2月6日(金)
今日も寒い一日だった。肩こりがひどくて頭の下のほうがなんとなく痛くてこれはいよいよ病院行きだと覚悟を決めなくてはいけないかなと自問自答していたところ、夕方このHPを見た長男から電話があった。昨日の分を読んで心配になって掛けてきたらしく、すぐ検査のできる脳神経外科に行くようにといわれた。覚悟が出来た。すぐ電話帳で調べて、電話して予約が取れるかどうか聞いたら、初診なので検査の予約は取れないが明日9時ならあいていると言われたので、診察の予約だけ頼んだ。明日運良く検査ができればいいけど、期待しないで行こう。明日できなくても来週の最初にはできるだろうから。このところ自分では気がついていないのだがなんとなく元気がないと言われることが多いので、いろいろな検査もしてもらおうかという心境になってきた。病院嫌いなんて言ってられないようだ。明日大丈夫でしたと言えたらいいな。
2月5日(木)
初めてといっていいヒドイ頭痛に襲われた。このところ体調不良。昨日は一日用事で出ていたが、帰ってきてからなんとも知れない不快感に襲われて、寝るにかぎると9時に寝てしまった。ずいぶん寝たつもりだったが、12時に目が覚めたので熟睡するために、薬を飲んで今日の8時半まで寝てしまった。普段のまないので効きすぎて一日ハッキリしなかった。パソコン教室も予期せぬ事で行ったのはコーヒータイムの時と遅くなってしまった。その後、友達の家で美味しいご飯をご馳走になったり楽しくおしゃべりしたりした時は良かったのだが、家に帰ってひどい頭痛には参った。私はよく人が偏頭痛で悩ませられるとかいうのを聞くが、私はそんな事が今までなかったのでこたえた。したがってこれまたひさしぶりに「ヴァファリン」を飲んだら効くこと。こんな日にかぎて、2日ぶりに帰ってきたうちの住人が美味しそうにビールを飲んでおしゃべりを楽しんでいるので何時もの時間よりテーブルを離れるのが遅く、パソコンを開くのが遅くなった。日々の思いをちょっと書くのが精一杯で、掲示板の書き込みはできそうにないごめんなさい。もう寝ます。
2月3日(火)
昨日は太極拳を終わって、ご飯を食べたら眠くなってしまって、寝てしまった。
今日は節分。さやの散歩で近くの神社に行って気がついた。そして子供の頃の節分を思い出した。我が家の節分は豆まきが終わってから両親が隠した「品物が書かれた紙」を捜すゲームが待っていた。両親が色々な所に隠している間、私たち姉妹は2階の自分たちの部屋で待っていて、いいよという言葉で下に行き、豆まきをしてから隠されたものを電気を暗くして捜すのだ。探し出したものはその人のもの。40年以上昔の話だからキャラメル3個とか、おにぎり1個とか、みかん1個とか今ではなんと言う事もないものだが、そのころの私たち姉妹にとっては嬉しくてたまらないものばかりだった。そして1.2枚だけお人形や本など目玉があって、それを見つけた人の嬉しそうだった事。姉妹でもこのときばかりは心底うらやましがっていた。毎日自分の戦利品を眺めては喜んでいた。内緒だが、一番小さかった私に母が隠し場所を目線などでこっそり教えてくれたりした事は母と私だけの秘密だった。目玉を見つけた事があるかどうか記憶にない。今の時代のように物があふれていた時代ではなかったし、親子で遊びに行く場所も多くはなかったが、両親はそれなりに工夫していたんだと思う。すっかり忘れていた。父も母ももういないけれど、折にふれて、こんな形で両親の温もりを思い出せることは幸せだと思う。子供たちが親になって、私たちの事を思い出す時はどんな時だろう。そんな温もりのある思い出を作ってあげているだろうか。
今日散歩の途中でふじさん親子に出会った。あの界隈を歩くと出会うという話は聞いていたが、本当に出会ったのでびっくりした。でもふじさんはタフだ。子供をしっかり抱いてどこにでも行く姿は感嘆に値する。愛情たっぷり、思い出たっぷりの家族だ。
今日は花の日だった。花・花・花に乗せた。お花は少々写し方が下手でもごまかせるようだ。ぼけていても絵になる。見られる。
2月1日(日)
この数日人の出入りが多く、することも色々有りHPを更新する時間がなかった。普段からそうひまな生活をしているわけではないのだが、忙しい時は飛び切り忙しいのが我が家。しかし自分のための時間を作る事だけは年の功で確保したいと思っているし確保していると思っている。そんな自分をお見事と誉めてやりたい気がする。若い時は忙しさに流されて、自分の時間を大切に出来なかった。それで良いと思っていた気配がある。だから心も迷い、疲れたりもしたのだろう。若さはあったが知恵がなかった。今は若さはないが知恵はある。
今日から2月。行く一月、逃げる二月、去る三月、気がついたら四月なんて事の無いように時間は大事にしよう。昔、時の流れの中を泳ぐ私に翼が与えられ、見果てぬ夢の世界に向かって飛び続けているようなきがして、夢見心地の時代があった。若かったなあ。2本の足で一歩一歩、歩いて生きているから幸せなんだと気がついたのはいつだろう。

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