2003年
日常の中の幸せ
些細であってもその積み重ねが人を幸せにしてくれると信じて。
12月31日(火) 2003年が今日で終わる。明日は2004年。、明日と言ってもただの明日ではなく、新しい年の最初の日となる。今日と明日の間には限りない無限の隔たりがある。今年の反省と痛みと、来年の夢と希望の差だ。私たちは新しい年に期待する。真っ白なキャンバスに最初の筆を入れるような気持ち。ありふれた表現だが、一番の気持ち。いい年でありますように。いい年でありますように。そう祈りつつ今日一日を過ごし、新しい年を向かえたい。 長男が帰ってきて久しぶりに家族が揃った。駆け足だからそう長くは居られないが、元気な顔をみられたのが何より嬉しい。さやも大好きなお兄ちゃんが帰ってきてちょっと興奮気味。色々なことをおしゃべりしながら成長した姿がまぶしい。うちの住人のビールもひときわ美味しそう。目を細めて家族を眺めて笑っている。欲しいものはみんなの笑顔それだけ、ほかのものはなんにもいらないと思うひと時。少しだけ時間を止めて欲しいと思うのはわがまま?かしら。 2004年が皆様にとって良い年でありますようにお祈りししております。 |
12月28日(日) 今日は今年最後の日曜日。多くの良き人に恵まれた感謝をもって、新しい年に歩みを進めたいと思う。買い物といえるほどの買い物ではないが今日は少々。お掃除も少々。みんな少々。私の来年の抱負は、生活は質素に、手作りを楽しみ、家族に優しく(??)というモットーですごすことにした。われながらそう言ったものの笑ってしまった。が、本気。今までだって質素に近い生活をしてきたが、今年はさらに進んで楽しみつつ質素に生活したいと思う。我が家は実質と見た目のギャップが大きすぎるらしく、時々いい生活をしていると誤解する人がいる。ただし良い生活を精神に限るならそうかもしれない。うちの住人はいろいろな本を読んでは家族に講義するのが好きだし、私も聞くのは嫌いじゃない。労せずおもしろい知識を吸収できるのはなかなか得がたい。何より娯楽はおしゃべりと思っている私はお金のかからない趣味の持ち主。唯一使うものはぶたにだけ。それも最近は有名になったお陰で私の周りの人たちが自分の趣味のごとく探してきてくれる。こぶたたちの部屋の「最新のぶた」のページを作っているのだが写真がうまくとれず、UPできない。そのページに乗せなければいけないぶたがもう一ページつくろうかと思うくらい目白押し。いろんな人を隠れブタ好きにしたようだ。お正月里帰りや旅行で出かけた人がまわりに多いので、お土産豚さんがいくつか届くかもしれないと内心期待している。ある人が「私もぶたをあげなければいけない気分になる」といったので「どうして」と聞いたら、HPでああ貰った貰ったと書かれたらそういう気分になると言われてしまった。ごめんなさい。他意はない文章だからそんな風には読まないでね。お願い。 |
12月26日(金) クリスマスも終わり、いよいよ年の瀬という雰囲気が街に漂っていて、行き交う人たちは忙しそうだ。たくさんの荷物を抱えて、雑踏の中を急ぎ足で過ぎていく。特別お正月の用意をするわけでもない我が家は買うべきものもない。月末に帰ってくる息子にとって多分ご馳走より、ごく普通の白いごはんに普段の御惣菜の方が食べたいだろう。何時も食堂で食べている生活だろうから。めったに帰ってこれない息子と会うのは本当に嬉しい。私以上に嬉しいのがうちの住人で、その事ばかりを言う。一緒に買い物に行くとこれを買おうあれを買おうとうるさい。さやに対してもすごいが、本当は息子たちに対しても愛情があふれすぎて、いい加減にして欲しいと思うことが有る。ただ本人にストレートに言うのはやっぱり恥ずかしいらしく、私に電話しろだのメールを打てだのうるさくてかなわない。時に冷たく「自分でしたら」と私に言われても意に介さずまた電話だメールだとのたまう。やれやれ。 この数ヶ月本当に忙しかった。心身ともに忙しかった。今年は人から見たらきっと私は充実した幸せな人間に見えたことだろう。そしてそれはある面本当なんだが、その反面ひどいスランプ状態だったと言ったら人は信じるだろうか。私自身がもしかしたらスランプかなというのに気がついたのが遅かったのだからお笑いだ。でもそうなんだから仕方がない。やっとそのスランプ状態も抜け出せそうだ。2003年はもう終わる。2004年がどういう年になるかわからないが、少しでも希望の見える年になって欲しいと、せつに祈っている。でも、そうでないとしても私は希望をもって生きていこうと思う。まどわされる事なく淡々とすべてのことに感謝して、あるがままの私でいよう。そう思ったら、肩の力が抜けて、良い事ありそうな気がしてきた。 |
12月25日(木) 昨日は最後のお客様を送ったのが12時ごろ。それからちょっとかたずけたりしていたら1時を過ぎたので寝てしまった。今日は朝からお見舞いに出かけて遠出して帰ってきたのは7時過ぎ。夕食を済ませて、さやの散歩を済ませやっとパソコンの前に座ることが出来た。掲示板の返事を書いて、やっとここに書き始めたがひどく眠い。本当は今日はパソコン教室今年最後の日だったが休んだ。来年まで教室の仲間に会えないのが寂しい。昨日いけたお花を花・花・花のコーナーに載せてもうねる事にする。とにかく眠たい。書きたい事は山ほど有るのに残念。 |
12月23日(火) きょうカウントが1000回をまわった。本当に嬉しい。何時も見てくださってありがとう。若かったころ古い言い方だが私は文学少女と呼ばれていた。本を読むのが大好きで、書くのも好き、人と話すのも好き、欲しいものは時間とお友達だけ。そう思っていた。そう考えると、私はあまり変わっていない。ぶたグッズ収集家という肩書き(??)は増えたものの、今手に入れたいと望むものは何も無い。必要なものはみんな有る。という事にしておこう。必要であれば与えられ、必要でなければ欲しいと思っても与えられないだけと思っている。だから気楽だ。有れば有ったで楽しい。無ければ無いで楽しい、この頃そう強く思うようになった。悟ったわけでは決して無い。念のため。 きょう街は人が多く賑やかだった。私の生活圏が繁華街に近いので、わざわざ行かなくても世の中の流れが手にとるようにわかるように出来ている。考えてみたら私は街中にしか住んだ事が無い。ちょっと改まった格好をしてお買い物、何てことを私はあまりしたことが無い。普段着でかい物袋を持っていくというのがいつものこと。だからこと改めての買い物など無いわけだ。今まで住んだところはみんなそうだ。買い物に一番近いのがデパートなんていう時代もあった。みんながおしゃれしていく時、エプロン姿で素足に下駄なんて時も有って、姑じみた人からしかられた事も有った。誰に会うかもしれないからそんな格好で行くものではないといわれたんだった。懐かしい思い出。 |
12月22日(月) 髪をきった。というと長い髪をばっさり切ったような感じだが、元々短い髪を切っただけのこと。それでももっと短くなってちょっと寒い感じ。髪を切るのは気分転換に一番いいようだ。ただ、人が多くて待つのに時間がかかった。これでクリスマスもお正月も気持ちよく迎えられる。久方ぶりにのんびりした一日だった。きょうはパソコンも仕事というより遊んだという感じ、久しぶりにゲームもたくさんしたし、「最近のさや」と「花・花・花」のコーナーを更新した。写真を加えたのは久方ぶり。もう今年は無理かなと思っていたが、さやの写真があまり可愛かったので乗せることにした。この中から一番いいのを選んで、大きくして額に入れて息子の誕生日プレゼントに送るつもりだ。どれにするかまだ迷っている。どれも捨てがたいので。 カウント数がもうすぐ1000回を越す。11月の終わりにつけてまだ1ヶ月にならないのにと嬉しい誤算だ。最初は回数には興味も無かったし、カウンターをつける気も無かった。遠く離れた息子や知人に近況報告をかねたものと、書くことで楽しい老後を迎えたいというそういう思いだけだった。1000回といっても見ていてくれるのは私の身近な人だろうから、気負い無くHPを作る事が出来る。自分が造って思ったこと、パソコンも、HPも歳をとった時にすごい力を発揮するだろうという事。いまから準備しておけば多分ボケても楽しい老後が待っているはず。いろいろな人のHPにどんどん書き込みをしようと思う。今はその練習中。そうそう1000回目に開いた人、掲示板に書き込みお願いします。私にとって1000回というのは一度しかないから特別の気がして、これから回数を重ねても1000回というのが一番嬉しいような気がする。よろしく。 |
12月21日(日) 今日は忙しい一日だった。でも充実した楽しい一日だったと日記に書いておこう。 ひたすら眠たい。 |
12月20日(土) 正確にはもう21日です。今まで仕事をしてました。パソコンはもう見たくないくらいきょうは一日中です。目は痛いし、夕食の時ビールをおいしそうに飲むうちの住人の話し相手をしなければもっと早くすんだんでしょうが、これも家庭平和のためです。私はお酒は飲めません。お茶を飲んでの相手です。きょうは宗教と文化に付いて話しました。議論好きな夫婦ですから、時間がいくらあっても足りません。愛犬さやは仲間はずれにされたと思ってすねました。だから時々名前を呼んでやります。もうすぐクリスマス。それが終わったら年の終わり。まだ年賀状を書いていません。掃除も待っているし、今からお疲れ様です。昨日今日と冬らしい寒さです。寒さはこたえますが、なんだかこの寒さがいとおしくて、ようこそ寒さ君よろしくねと歓迎の言葉を述べたいくらいです。気持ちのいい寒さです。心を清めてくれるような気がして、背筋がぴんと伸びたような気がします。 |
12月19日(金) 中4日間更新していなかったようだ。でも17日には書いたはずだがない。おかしい。ちょっとHPを見てこよう。あれあれ、HPには確か17日書いていた。間違ってHPビルダーのファイルの方を方を消してしまったようだ。ということは更新すると17日の分は幻の日記という事になりそうだ。読まれたかたは幸い(??)かな。なんてほどのものではない。昨日はとても楽しかった。。35年来のうちの住人の友達がたずねてきてくれたのだ。うちの住人は心底嬉しそうだった。積もる話で夜のふけるのも忘れた。すべての事に時がある、そう何時も思って過ごしているが、昨日は本当にそう思った。このところ忙しすぎて、必要な事さえ忘れてしまう事がある。気をつけようと思うが、これは気をつけて直るものではないようだ。今日は雪の降る中お花を買いに行った。人に差し上げる花をいけるのは難しいが、感謝の気持ちを形にして差し上げたいと思ってがんばってみる。二つ作って一応デジカメでとった。デジカメの腕は自分で言うから本当だが下手。花・花・花のページに載せようかどうしようか迷っている。 自分でお花を選んでいけるというのは倍難しい。書きたい事は山ほど有るが眠い。 |
12月14日(日) 今日は急に思い立って午後佐世保に出かけた。キラキラフェスタなる電飾を見るために。2時過ぎの「快速シーサイドライナー」に乗って、ついたのが4時ちょっと前。二時間近くかかって到着。単線ですれ違い列車待ち合わせという時間待ちが長くて、これがないともっと早く着くのにと思うとちょっといらいらする事も有る。おまけに長崎ー佐世保間は特急がない。今年の春まで一日2本走っていたのがいつのまにかなくなっていた。長崎から福岡に向かう特急だって何回か列車待ちをする。旅をしていると思えばそれもまた楽しいと思えるのだが、今日は時間があまりないなか行ったのでいつもよりきになった。久しぶりに出かけた佐世保は駅前は綺麗だしお店も色々出来ているし、アーケードも人が多くがんばってるなという印象をもった。ただ、ここも最近の長崎と一緒で全国チェーンの店が増えていた。キラキラフェスタの会場では結婚式をしていた。野球のラッキーセブンでやる風船と同じものを配っていたので私ももらった。本当は新郎新婦の祝福に使うものだろうがポケットに入れて持ってきた。どこかの高校のマーチングバンドを先頭に手押し車に乗ってアーケードをパレードする二人は幸せそうだった。若いってすごいと思う。有るがままにみんなの祝福を受けられるというのは良い。日常から非日常へ、そしてまた日常へ。一週間がんばろう。 |
12月13日(土) 今日朝起きて思ったこと。私はアンデルセンの「本当のお姫さま」かもしれない、という事。なんて書いたらあらあらちょっと変,大丈夫かしらと思うかな。実はきのうの夜布団の中で何かしら寝にくいなと思って寝て、朝起きて布団を上げてみたら、ボタンが一個真中にあり。なにかがあったっているような気がしていたのは、貝ボタン一個のせい。その時ひらめいたのがアンデルセンの「本当のお姫様」の童話。話を知っている人にしかわからないんだけど、本当のお姫様はどんなに布団を重ねてもえんどう豆一粒でも一番下にあったら感じて寝られないという話。王子様が結婚相手を選ぶときに執事がやった方法。そんな話昔々読んだものなのに、頭のどこかに残っていたんだと思う。それがすごいと思って書いちゃおうというわけ。三つ子の魂百まで、と言うが、一度読んだもの見たものは自分は完璧忘れていていても脳は忘れてないんだ。人間はすごい。 今日の午後、マミ川崎さんの講演を聴きに行った。長崎でフラワーデザインの教室を開いている方の15周年の記念の会ということで人から券をいただいたので行って来た。日本のフラワー・アレンジメントのさきがけを作った人でマミ・フラワー・アレンジメント教室と言えばそういう関係の教室ではトップクラスなのではないかと思う。相当高齢の方だと思うがやっぱり一流の人は違う。真っ赤なロングドレスで、最後はデモンストレーションもあってかなりの時間だったが短く感じられた。何事も極めた人の話の中には言葉の一つ一つに含蓄があって、いまさらのように人との出会いの大切さを感じた。大成している人はどこかで運命を変える出会いとしている。また出会いをキャッチする能力にも長けているといって良いのかもしれない。遅いなんてことはないはず、私も出会いを大切にして、学ぶ姿勢を持ちつづけようと思った。 |
12月11日(木) 今日は雨が降ってうれしかった。待ち望んでいた雨。新しい傘をさしたくてうずうずしていたから。ちょうど今日はパソコン教室の日だし、みんなに見せたくて。小さい子供がおもちゃを買ってもらったようなもの。何しろぶたの傘を手に入れたものだから、嬉しくて。いろいろ有ったけどかさをさしたことで、もうみんな忘れて新たな気持ちで出発という気になった。単純な人だと自分でも思う。が、小さな喜びを大事にすればおのずから、生活は楽しく豊かになるというのが私の信条。そうやって生きてきた。大きな事は望まない、小さな事の積み重ねが人を幸せにしてくれると、このページのトップにも書いている。パソコン教室に通いだして一年半以上になるが、よくそんなに通うほど勉強する事があるね、といわれる。パソコンは奥が深く、若いときに出会った人と違い習ってもすぐ忘れる。仕事にするわけではないが、次から次に疑問が出てきて、学ぶ楽しみは大きい。そしてこれが一番長続きの原因だが、教室で出会った人たちの素晴らしさだろうと思う。パソコンはどこでも誰にでも習えるかもしれないが、いい出会いはさせてくれない。こんな仲間が出来た事は私は奇跡だと思っている。人生の半ばを過ぎて、新しい場所でたくさんの友達が出来るなんてそうとしか思えない。また時間が過ぎれば離れていく事になるだろう。でもその時パソコンという機械のおかげで、場所をこえて話が出来るというのは本当に嬉しい事だと思う。体が動かなくなっても、指だけは動けるようにしておこう。冗談でなく。 |
12月10日(水) この2.3日よく11日12日売り出しをするという広告が入ると思ったら今日は公務員のボーナスが出た日だそうだ。売る方は良く分かっていて準備万端整えているわけだ。のほほんとして買い物に縁のない生活をしている当方としては関わりのないことだが、でも世間の風だけは感じていたいので明日は町に出てみようと思う。きのう豪勢にお正月の買い物をしたと思ったが、二万円や三万円のおせち料理が売れているという話しを聞いて、ものすごく豪勢に買ってしまったと思う自分を可愛いなと頭をなでてやりたい感じ。買ったものを一つ一つ出すたびに、また食べるたびに幸せだなあと思うだろうから一粒で三度美味しいという買い物だ。 今日はお友達を誘って、お昼を食べに言った。このところ周りでいろいろ有ってすっきりしないことが多かったので美味しいものでも食べて自分を慰めようかという感じだった。いつもひまそうなお店が満員で、メニューと違う品物が出てきた。予定量を超えてしまって品切れしたので急遽違うものにしたようだ。それはそれで美味しかった。 昔から欲しかった本を手に入れた。アガサ・クリスティーの「ベツレヘムの星」だ。子供が小さかったころ彼女にはまって読みまくり、ほとんど翻訳されている本は読み尽くしたし、アガサがなくなってその後出版された本も読んだし、別名で出版した本も読んだが、一冊だけ手に入らなかったのが「ベツレヘムの星」だった。本好きの中で推理小説は純文学より落ちるという雰囲気が合って、アガサが好きなんていったら馬鹿にされそうな時代だった。でもみんな読んでいたからすごいブームだったわけだ。クリスマスにちなんだ短編集だがなかなか面白かった。もう一度アガサ・クリスティーを読んで見ようかなという気にさせる文章だ。パソコンにはまってから図書館に通う回数が減った。私の読書は図書館なしには成り立たないから図書館に行かないという事は手元に本がないということを意味する。この頃パソコンも少し余裕が出来てきたせいか,本を読みたくなってきた。半日ほど図書館へ行ってこようかと思う。本当は本を読む時間がないくらい忙しいのが実情なのだが。忙しくなると本が読みたくなるらしい。 |
12月9日(火) 昨日は習い始めた太極拳が終わって、急いで夕食の支度をして食べさせてほっと一息ついたら、なんだか眠くなってパソコンも開いたが、そのまま寝てしまった。したがって更新なしだった。久方ぶりの早寝で、朝までしっかり寝てしまった。運動おんちの私だが、太極拳は楽しいし、若いときからスポーツをしなかった人間には向いている気がする。ただ先生のまねをするだけだが、なかなか難しい。一人で出来るようになるのはいつの日か、気長にがんばろうと思う。 今日はちょっと豪勢な買い物をした。かに(おまけにタラバ)といくらとほっけと松前漬けを買った。お正月用だが、我が家でこんな買い物をしたのは初めてだ。お花のお友達が函館朝市から送ってもらうという話に入れてもらって取ってみた。冷凍庫は満杯。年内けちけち生活を余儀なくされそう。お花のほうは私にはセンスが無いのかもしれないと思うほど、上手にならない。早いだけがとりえで、バランスは悪いし、絶望的。やっぱり下手でも回数をこなしていた頃の方がどうにか格好がついていたような気がする。最近その必要が無くなって、あまりしなくなったのは痛手だ。お花は大好きだが、家で飾るときは同じ花をたくさん飾るのが好きだから、デザインも何もあったものではない。先生から見たら教えがいのない生徒だろうと思う。 |
12月7日(日) 冬が来た、やっと来た。買ったコートがしっかり役に立った。灯油を買うところも見つけたし、どんなに寒くなっても大丈夫だ、と思う。今日は朝ちょっとパソコンに触れただけでそれ以後触らなかった。今自分のホームページを開けて驚いた。カウンターの番号が増えている。正直こんなに読んでもらえると思っていなかったので、嬉しいような不思議な気持ち。考えてみると、私がホームページを作っているのを言った人だけだから、それもごくごく個人的な人にしか言ってない訳だから驚きだ。11月の28日に設置したので今日で10日になる。文章は毎日更新できるが、写真を載せる分がなかなか出来ない。特に「こぶたたちの部屋」がひどい。あれも載せます・これも載せますと書いておきながらほとんどまだ。すいません。首が長くなるのを覚悟してください。ぼちぼちやりますから。 今日「日々の詩」に横瀬さんの俳句七句を載せた。あまり俳句を読む機会の無い人に読んで欲しいと思ったから。載せて良いということなので。小説・短歌・詩・エッセイ等々真似事で書いたことは有るが、俳句にだけは手を出したことが無い。若いときはその形態を古臭く感じて季語の存在などわずらわしくさえ思っていた。五・七・五という十七の文字ですべてを表すことのすごさについていけなかったのだろうと思う。人生の経験をつんで(たぶん)凝縮された人生の重さは長かろうと短かろうと表せる人には表せるし、表せない人にはどんなに言葉を費やしても表せないことに気が付いたんだろう。自分が作れない分新鮮さを感じる。飛んでください。 |
12月6日(土) 今日は家から出ない予定だった。しかしうちの住人が帰ってくるのをさやを連れて迎えに行った時だけ出た。散歩もかねて。今週の初めに捻挫をしてから歩かなかったので駅まで歩くのはちょっとつらかった。さやに迎えに来て欲しいうちの住人は,そのことは忘れていたようだ。疲れて仕事から帰って来る人の楽しみにNOと言うのもかわいそうな気がして出かけた。だいぶ良くなったと思っていたのにひどく痛んだのは寒くなったせいだろう。肩は痛い,足は痛い,と今は良いことなしの状態だ。本当は病院に行って検査してもらった方がいいのだが,人には病院行きを進めても,自分自身はなかなか行かない。明日は日曜日で忙しい。多分。12月は先生も走るという月だそうだが,なんだか走りたい気分になれる雰囲気ではない。町に人はあふれているが,活気はいまいちだし,買いたいもの買うべき物が無いので買い物に行く気にもなれない。2003年が歴史の中でどういう評価を受けるかはわからないが,日本に関して言えば,数々の論評がくだされる年だろうと思う。 |
12月5日(金) 友人の愛犬がかなり状態がよくないらしく心配だ。うちにも犬がいて家族の中心だから良くわかる。いつか命あるものには終わりが有ることがわかっていても,愛するものの終わりは考えたくないのが本心だ。十分愛情をそそげばそそぐほど,その寂しさは大きくなるわけだから。優しく見守ってあげる以外ないだろうが,最後のときが穏やかであって欲しいと祈る以外私に出来ることはない。ただ愛犬のおかげで友人も沢山の優しさと慰めをもらったことが慰めになるだろうと思う。 雨が降っている。 氷雨ではない。少し寒くなった気はするが,まだ一度も寒波は来ていない。朝テレビをつけたらこの暖かさで野菜が育ちすぎて暴落しているというニュースを伝えていた。確かに消費者にとって野菜が安いということは嬉しいことだが,それを作っている人のことを考えると喜んでばかりいられない。なんでも物事は程々が一番で過ぎたことは後で何かがきっと有る。私は今いくら安くても,外国産の野菜は買わない事にした。出来るだけ地元のもの,出来るだけ国産のもの,と心がけている。安いからと外国のものばかりを買っていたら日本の将来はどうなるのだろうと怖くなる。経済を考えたら安い方が良いに決まっている。でもそれは自分で自分の首をしめていることにならないだろうか。若い人が農業が成算に合わないとそっぽを向いてしまったら困るのは目に見えている。私が買うものなんて微々たる物だとわかっていても,私はそうしようと思っている。 |
12月4日(木) 昨日は忘年会だった。私は忘年会というものとは縁のない生活をしているので喜んで参加した。ロアジスというレストランでシェフお任せコースというちょっと豪華なディナーだった。うちの家族は食事というと中華か和食を好むので間違ってもレストランに行こうとは誰も言わない。ランチで友達と行くことは有るが,おしゃべりを楽しみに行くことが多いのでのであまりはやっているところはゆっくり出来ないとばかりに避けるのでおのずから決まってくる。出てくる一皿一皿がきれいで感激するものばかりだった。だが最初に出てきた一皿には度肝を抜かれた。固焼きそばの麺をもっと細くしたようなものの中に揚げたきびなごが一匹包まれていてその周りをソースが綺麗に飾られているようななんとも形容しがたい手のかかった一品目だった。きびなご一匹。本音を言うと大丈夫かなという感じ。でもその後の献立はなかなか手の込んだフレンチという感じで、3時間近い間、食べてしゃべって楽しい時間だった。女性は美味しいものを食べておしゃべりを楽しんだらもう十分幸せ。生きていく活力がバンバン沸いてくるという非常に安上がりに出来ている。その後のコーヒーショップでそれぞれのご主人の話などがちらっと出て,男の人の仕事を離れた後の時間の過ごし方の下手さが話題になった。今が一番いい年齢だと信じて疑わない私としてはもったいない話だと聞いていた。女性は人生70年の生き方をしているのに,男性はまだ人生50年時代の残像の中で生きている人が多いようだ。素敵な人が女性に多いのはわかる気がする。 |
12月2日(火) あまりの暖かさに12月という感じがしない。やっとコートを買ったというのに着る機会が無い。今度こそ質のいいコートを買うんだと張り切っていたのに,結果的にはユニクロになった。予算を大幅に下回ったので多分良かったんだろう。今は高ければいいとか安いから駄目だというものではないようだ。気に入ったものが一番。本当はピンクのダウンジャケットを見つけて欲しいなと思ったのだが着てみてピンクの雪だるまに見えたのでやめた。最近ラフな格好ばかりでスーツなどきたことが無い。今好きな色はピンク。ただピンクであればなんでも良いというわけではない。将来は赤いブレザーの似合う年寄りになりたいと思っている。それには体の健康ももちろんだが心が健康でなければいけないだろう。老いるということは難しい。寿命が延びた分生き方も変わってこなければいけないのにまだみんな老いることを簡単だと思っている。私もそう思っていた。生命体としての年齢は死なない限り増えていく。どうせ生きるなら,元気に生きたい。それが一番難しいことなんだろうが。 |
12月1日(月) 今日は楽しいことが一杯の日だった。だから書くことも沢山有るのに最後が駄目だった。さやがあまり散歩に行きたがるのでうちの住人といくことにした。いつも行く公園のそばでレンガ一枚踏み外し捻挫してしまった。かなり痛い。おまけにさやが公園中を走り回っているとき縄張りを荒らされたと思った猫が飛んできた。ちょうどうちの住人は用事で近くに行っていたので,私は痛い足を我慢してさやを抱きに飛んでいった。長崎は猫の多い町でおまけに強い。さやなんかすぐ負けてしまう。市場の野良猫は刺身にしても良い魚をもらって食べるので毛並みもつや良く大きい。さやは位負け。夜の散歩の注意点は猫。この前も猫を2匹前方に発見要注意なんて言っていたら,電柱の影、家の角,道の向こうと総勢9匹の猫発見。その見事さに大笑いしたが,そんなことはよくあることで珍しいことでもなんでもない。毛を逆立てて向かってくるさまはなかなか絵になるが,さやにとっては出合ったが不運,私の腕の中でほえるのが精一杯。長崎に来て大猫をはじめて見たきがする。「隣のととろ」に出てくる猫バスにすぐなれるような猫がいる。 シップしているが,足が痛む。 |
11月30日(日) 平平凡凡 いつもと同じ繰り返し。 年年歳歳人同じからず,歳々年々花同じからず、そんな風な漢詩があった。 水は何時も同じように見えて,いつも変わっている。 平平凡凡 いつもと同じ繰り返し。 そう見えるだけできっと違う。昨日の私と今日の私は違う。 だから生きていけるんだと思う。 |
11月29日(土) クリスマスローズの葉がかなり伸びてきた。新しい葉は緑がさわやかで透明感がある。みた人が「良くこんなに大きく見事に咲きますね,うらやましい。」というくらいたしかに我が家のクリスマスローズは見事だ。なんにもしていない。肥料もやらなきゃ水もやらない。自然に任せている。それがいいのかもしれない。なまじ私が手を出したらからしてしまうかもしれない。余計なことはしないでおこう。畳半分ほどの狭い土の上でどんどん大きくなっていくクリスマスローズ,ありがとう。 いつも土曜日はすることが有って忙しい日だが,今日はいつもより忙しかった。することが山済みで働いたという思いが心地良い。私は本質的に働き者ではない。人によっては私のことを良く働くといってくれる人もいる。客観的にみると確かに良く働くというのはうそではない。でも本質は怠け者だ。働かなくて良いならきっと何もしない人間だと思う。仕事の手順を省いても結果にたいした違いがないなら出来るだけ省くことをモットーにしている。その成果が一番出るのは料理だ。だから面白い。今日エッグサンドが食べたくなった。パンはいつも冷凍しているので作ればいいのだ。食べたいと思って5分後には食べていた。発想の転換。そうだ究極の簡単クッキングだから乗せよう。忙しくて食べそびれそうなときにお薦め。何もしたくないときにも良いかもしれない。また最初に書こうと思っていたものと違ってしまった。 |
11月28日(金) 書いた文章を全部気に入らなくて消してしまうのは快感かそれとも疲労感か、どちらだろう。なんて言うほどの文章ではないが相当量の文章を気に入らなくて消してしまった。私が思う愛について書いたのだが読み返していやになったので消した。今日はもう書かない。 |
11月27日(木) 天気予報があたって昼から雨になった。寒波がくるとも言っていたが,そういえば少し寒くなってきた。今年はまだ我が家は灯油を頼んでいない。朝、去年まで頼んでいたところに電話したら今年はもうやっていませんと言う返事だった。困った。配達してくれる所を探さなくてはいけない。もっと早くしておけばよかったのだが暖かすぎて必要を感じなかったせいで遅れてしまった。いざとなればクーラーの暖房の方でまかなえばいいかと思う。今日は午後から時津の陶器やさんに出かけた。なかなか良い物があって安い。食器戸棚の限界を考えなくて良いならほしいものが山ほどある。食器の好みも歳とともに変わっていくようだ。前は磁器製品が好きだったが,今は土のもつ温かみが好ましく思える。小石原のとびカンナが昔爬虫類っぽく見えて苦手だったが,今は大好きだし,湯飲みやカップ,御茶碗など口にあたるものは土物は厚ぼったくていやだと思っていたのに,今は好き。好みは変わるものなんだ。人も物も代わるから面白いと思う。永遠のものなどめったにない。人の心もそうだ。私たちは自分にとって良く変わったものだけを評価する。だが果たしてそうだろうか。良くも悪くもすべての変化を受け入れて初めて公平な気がする。年老いるということは多分今の私の想像以上に大変なことなんだろうと思う。颯爽と生きている年配の方たちを見て,私にそのいさぎよさをたもてるかといわれたら自信がない。ただ私はじたばたしたいと思っている。いい年よりになろうとは思わない。私は私でいたい。自分の未来を考えたときもっと若いころは終の棲家は老人ホームでいいと思っていた。今はそう思わない。もともと集団生活になじまない私が,ホームという集団生活になじむわけがないことに気がついたからだ。気がついてよかった。まだ今なら修正が効く。ただ思い出を共有する友達とならホームも良いかなと思ったりする。同じ話を毎日毎日繰り返し牛が反芻するように繰り返しても同じように老いた者同士なら新鮮に繰り返せるだろうから。 |
11月26日(水) 今年の秋は変。木々は紅葉しないし,北風もびゅうびゅう吹かない。わたしはまだ冬用コートを出していない。というか掛け布団を夏処分したようにここ数年使用していたコートを処分してまだ購入していないのが本当のところ。私はいつも間に合わせで安いものばかり買うので今年こそ気に入った質のいいコートを手に入れたいと思っているのだが,好きなものに出会わない。人生みたい。思うようにならないということでは一緒。この数ヶ月わたしは遠出をしていない。愛犬さやを置いて一日中もしくは一泊というわけにはいかないので,結局出かけない。どちらかが家にいることになる。昔、家から出ないことから箱入り奥さんと自分のことを揶揄していた、ただあの時と違って今は家にいるばかりでは無い。必要であれば出かける。でも他の人に比べたら少ないだろう。まあ人と比較してもしょうがないが。今一番行きたい場所。どこだろう。東京の築地・かっぱ橋・京都の錦市場・大阪の黒門市場・金沢の近江町市場・等々市場や問屋街に行って見たい。物を買いたいわけではないが,その土地の生活をまかなっている場所はその土地の香りが沢山して大好き。一番その土地が良く分かる場所だと私は思っている。どこに行っても市場にいく。美味しそうなものを見つけて一個か二個買う。すぐ食べるために。味が微妙に違う。そんな幸せがあれば生きていくのが楽しい。私の人生の過ごし方のひとつ。 |
11月25日(火) パッチワークなどの手作りを楽しんでいるグループに入れていただいて時々教えてもらっている。今日は久しぶりに参加した。みんな良い人ばかりで,楽しい。今日は手よりも口を動かしたが,それもまた楽しかった。何をしても上手な人ばかりで,勉強になる。そんなものまで作るのという感じですぐ手を抜く私としては頭が下がる。問題は感動したり感心したりするが,自分でもしようと思わないのはいただけない。と,ちょっと反省。あんこから作るお饅頭は絶品。 先週のひどい忙しさの反動か今週はなんだかがんばれないことが多い。時間が有るときに日ごろ出来ない事をやれば良いのにやらない。時間だけがあっという間に過ぎていく。時間だけが人に平等というが,私はそうは思わない。時間がみんな同じなんて錯覚だと思う。だって楽しい時間は早く過ぎていくし,つらい時間は長い。人間は相対的な環境の中で生きているから,時間の感覚も相対的だと思う。絶対音感というものを持った人がいるなら,絶対時間感なるものを持った人がいるかもしれない。でもそんなものを持った人は不幸だろう。そんなものがあるかどうか知らないが。 |
11月24日(月) 今日はひどい一日だった。こんな日はめったにあるものではない。でも考えようによってはしたくても出来ない貴重な体験かもしれない。と思うことにしよう。 今日は祭日で半日ほど出掛ける予定だった。アクシデントのおかげで全部なし。デパートでやっている北海道展に行って味噌作りのための大豆を送ってもらうように頼んでこようと思っていたが,いけなかったので予定が狂った。味噌作りのために今インターネットで手作り味噌を勉強している。いちばん簡単で美味しそうなレシピを探してみると有るわ有るわ手作り味噌を楽しんでいる人の多いこと。来年の秋から自分で作った味噌を食べるぞー,と自分にはっぱをかけておこう。このごろやる気だけはいっぱいあったのだが,あれもこれもと欲張りすぎたかもしれない。ウサギではなく亀の歩みで行かないといけないと自分に言い聞かせている。 |
11月22日(土) 今日はフリーマーケットに出かけた。収穫ゼロ。わくわく感がなくなったのは歳のせいか,体調のせいか。昔楽しいと思っていたことが今楽しくなかったり,楽しくないと思っていたことが楽しかったり,やっぱり人は変わるんだと思う。今日は今は冬という思いにやっとなれた。そろそろ暖かい服を着ないといけないようだ。夏、布団を全部処分してしまい購入の必要があるのだが,まだそのまま。したがって毛布を重ねて寝ているいる状態だ。早く買わなくちゃ。我が家は人のうちと違う気温調整が必要のようだ。それもこれも昔子育てをするとき超薄着で育てたせいだ。何しろランニング一枚で育てたものだから,今と違って非難ごうごうだった。薄着が良いという観念が今のようになかったから,ランニング一枚の子を連れて外に出ると知らない人からありとあらゆることを言われた。懐かしい思い出だ。子供の薄着に合わせて私も薄着になった。まさかランニング一枚というわけではなかったが。寒がりの父親はみんなの冷たい視線がいやだと離れて歩いた。今は付けたくて付けた訳でない物を身体に蓄えているので,人より熱がりのようだ。3連休の最初に日のせいか,町は賑やかだった。毎日が日曜日の私にはあまり縁のない連休だ。 |
11月21日(金) 夕方急におなかが痛くなった。最近の記憶におなかが痛くなったなんてない。 昔からおなかの痛いのは正露丸と決まっている我が家は,他の薬は何もないが,正露丸だけはある。久方の正露丸は独特のにおいで懐かしかった。やっぱり効いた。効いてくれないと困るところだった。何しろ11月一杯有効の回るお寿司屋さんの金券があって,うちの住人と二人でいく予定にしていたからだ。いつも忙しいうちの住人が行くのを楽しみにしているのに,お腹が痛いから行けないとは言いにくい。私は優しいのだ(??)。私たちは何の計算もなくたべたのだがなんと賢いことだろう。持っていた金券プラス47円ですんだ。昔、高級なおすし屋さんで値段を気にせず好きなものを食べたいなどと言っていた時代もあって、息子に働くようになったら一度でいいから親孝行と思って連れて行くようになーんて無茶なことを言っていた。でも、今連れてくよなんて言ったらもったいないから良いと言うだろうと思う。にんげん身の丈に合った生活が一番。私はブランド物なんて要らないし,家族とさやとぶたたちにかこまれ、いい友、いい知人に恵まれていることの幸せを十分にかみ締めている。世の中明日から三連休,どこに行く予定もなく家でも片付けようかと思っている。 |
11月19日(水) 今日はなんとなく忙しい一日だった。といっても本当に楽しい忙しさだった。 朝,私の自慢の若いお友達の子供が通っている幼稚園のバザーに行ってきた。ごく内輪のバザーで,あまり宣伝していないらしく部外者は多くはなかったが,とても素敵なバザーだった。彼女のお誘いで来たもう一人の友達とも途中で出会って,ちょっと心強くよくなった。なかなか工夫されておまけに安いのでたくさん買ってしまった。一番の圧巻は電気スタンドを買ったことだ。持って帰れなかったので一緒の友達の家に預けて帰った。彼女も用事で出かけるというので途中まで一緒に歩いたら知っている人3人に会った。私はこの地にそう長くないし、知人もそう多いわけではない。なのに三人も会うなんてすごいと思う。糸がほしくてお店に寄ったら素敵な生地を見つけて買ってしまった。シンプルなドレスにすると映えると思う。クリスマス用かな。そういえば最近友達とも電話で話してないなあなんて思っていたら相手からかかってきて長々話してしまった。彼女も私の大好きなお友達で本音で話せる貴重な人だ。彼女の平衡感覚が私に無いもので教えられることが多い。私はすぐ熱くなって突っ走ってしまうから。遠く離れているので早々話ができるわけではないが,どんなに間が空いても昨日の続きのように話せる。良い友達がいてありがたい。 |
11月18日(火) 今日はいやなものを見てしまった。夕方買い物に出かけて信号待ちしているとき若い声で人を罵倒している声が聞こえた。振り向くと20代と見えるスーツ姿の男性が,50代くらいの工事服を着た男性を罵倒していた。青信号を待つ間に聞こえてきた言葉から推し量ると,罵倒されているのは下請けの人らしい。気分が悪くてたまらなかった。もし何かミスが有ったとしてもわざわざ人通りの多い所で自分の父親くらいの年齢の人にあんな罵声を浴びせていいはずが無い。信号が変わって渡った後気になって振り向いたらまだ同じ状態だった。どういう会社か知らないが,私はあんな社員のいる会社には絶対に頼まない。うつむいてじっと立っている人の心はきっと悔しさで泣いていただろう。と推測する。それ位ひどかった。仕事というものはきっと私なんかが考える以上に非常な部分があるのだろうとは思う。しかし,人間の尊厳を踏みにじる企業が栄えるだろうか。罵声を浴びせている青年の顔は後ろ向きで見えなかった。きっと醜いものに違いない。 今の時代は女性のほうが生き生きして見える。本当は今日書きたかったのは昼間見かけた素敵な女性のこと。時どき寄るランチのお店の感じが好きで,いつもいいなあと思っていた。すべてが彼女の好みで統一されていて,特にお花の飾り方がいいのだ。ちょうど寄った時ウエディングブーケらしきものを作っていたのであれと思ったら,フラワーアレンジを人に教えたり頼まれてブーケや結婚式の飾りなどもしているそうだ。お花のプロだったんだ。納得。お店を手伝っているおばさんなる人に,「今の若い女性が夢見る仕事を二つもやってらっしゃるのはすごいですね」と言ったら,「お金になるともっと良いんですが,結婚する気も無いらしくて」という返事。そうなんだ。今は女性のほうが仕事を選べるんだ。男は地に足ついた生活を要求される。だから,会社の力を誤解してさも自分の力のように思う傲慢さを持ってしまうのかもしれない。あの青年のように。そう考えると今日は究極の二人を見たのかもしれない。偶然とはいえすごいことだ。私にも息子がいるが,願わくば身のほど知らずの傲慢さだけは持ってほしくない。人間として人に対して誠実であってほしい。そう育てたはずだが,果てどうだろう。 |
11月17日(月) ちょうど一週間更新をしなかった。とにかく忙しかった。愛犬さやも土日はペットホテルに預けた。人の出入りが多いと分かっていたので緊急避難のようなものだ。変なもので土曜日みんなが帰った後さやがいないのでとても寂しくてたまらなかった。さやは本当に家族なんだといまさらのように思う。日曜日さやを引き取りにいくと嬉しそうに飛びついてきた。家に帰ってもおとなしい。うちの住人と大人になったのかな,たまに人のうちに預けるのもいいかもしれないなんて話していたら,2時間もたつといつもの元のさやに戻っていた。じゃれて人の後ろをついてきて,座れば膝に乗り好き好きをくりかえす。1週間も預けると自分が忘れられたと思ってすねるという話は聞くと、さやのために元気でいなくてはと思ってしまう。昨日の夜久しぶりにぐっすり寝るために薬を飲んだ。めったに飲まないから効くこと効くこと。ぐっすり寝たおかげで体調は悪くない。ただ一週間ろくな食生活をしていないおかげで,今日大好きな麺を食べたのに残してしまった。出来合いの弁当などを食べることが多かったので,味のきつい物に身体が拒否反応したようだ。昔から,一人になったら自分で作らないで外で食べるなんていっていたが、それはたわけたことであるようだ。久しぶりに穏やかなゆっくりした一日だった。しかし,忙しくても久方ぶりに会う人も多かったので,それはそれで楽しかった。充実した一週間だったと思う。今週は時間が取れそうなので色々なページの更新をしたいと思っている。さてさてどうなることか。気分的には青空を追いかけたい気持ちのほうが強いが。 |
11月10日(月) 雨の中今日は用事が有ってあちこちに出かけた。買い物が主な目的だったがリストアップしたものを全部買ったら大荷物になって家にたどり着くまでに疲れてしまった。買い物の後、家でする事もたくさんあったが、今日はやめた。明日がんばろうと思う。 友達からメールがきたが、その中に「お話しましょ!」の書き込みに返事を書いたほうがいいとアドバイスが入っていた。彼女は素敵なHP作っていてHP作りでは大先輩だ。そう言われて、ああそうなんだと思う私のいい加減さ。書いてくださった方ごめんなさいね。これからは書きます。でも時々忘れたらごめんなさいね。仕事は別でだが、私事に関しては自由でいたいと思う。行き当たりばったりの気ままさを習得できたらいいなと思うこの頃。習い性なるものが心のどこかにあってこんなときはこんな風に、あんなときはあんな風にと気を使っている自分が時々いやになる。それでも人からみた時、気を使ってる風に見えなかったりして。ぎくっ。 どこでも一緒なんだろうか。道路工事の季節は。家の前が幹線らしく夜から明け方までが工事時間だからうるさくて、寝そびれたときは悲劇。地響きを立て、振動が伝わるコンクリートを掘る音ってなれない。工事が始まったようだ。工事をする人も大変だろうが、聞きながら寝る私たちも大変。 |
11月9日(日) 今日は国政選挙の日だった。投票率が低すぎると思う。10年後、20年後にあのときの選挙が日本のターニングポイントだったなんて事にならなければいいがと思う。どんな政権になったとしても、自分たちが選んだものなら一緒に結果を負わなければならないだろう。文明は進んでいるのだろうか。文化は進んでいるんだろうか。人の心は豊かになっているんだろうか。地形の関係で長崎の町は道が狭い。それは仕方が無いことなのだが、この頃気になることが有る。後ろから自転車がきても、急いでいる人が来ても道を譲らない人が多い。マイペースで歩いている人が多い。気配を感じる能力にかげりが出てきているようだ。ちょっと立ち止まって先に行かせてあげたらと思ってしまう。もし思いやる心が文明を表すなら、今は確実に後退している。21世紀は希望に満ちた世紀のはずだったのに、カウントダウンの華やかさと裏腹だ。 |
11月8日(土) 今日は暑い一日だった。やっぱり変だ。こんな日が続いたら寒さがきたときに体が寒さになじむのに大変だろう。地球規模できっとおかしな事が起こっているんだろう。こんな今だから昔の誰かが言った、「明日地球が亡びるとしても今日私はりんごの木を植える」という言葉の重さが良く分かるような気がする。明日がどうなるか分からないからこそ、今日を楽しく生きようと思えるのだろう。今日久しぶりに本屋に寄った。時々心の油をさしに本屋に行く。本に囲まれていると落ち着く。活字人間の私は映像よりやっぱり本で読むほうが楽しい。ところが手に取った漫画で不覚にも泣いてしまった。5歳年上の妻が先に死ぬという話なのだが、そのプロセスで二人の心の温かさとか、お互いを思いやる心とかが、暖かく描かれていて立ち読みなのにうるうるしてしまったのだ。あなた幾つ何て言うのは駄目。歳は関係なし。何でも目に付くもの興味のあるものは一応手を出してみる。アンテナだけは出しておく。これが私の生き方だから。それを実行するようになってから、生きているのがとても楽しくなったような気がする。 |
11月7日(金) 今日も忙しい一日だった。人の思いの深さ、人の人生の深さにただただ圧倒された一日でも有った。私は周りの人に本当に恵まれているといまさらのように思う。感謝だ。 先日教室に忘れ物をしていたので近くまで行ったついでに教室に寄ってみた。同じクラスでパソコンを習っているYさんがいらっしゃったのでちょっとお話をした。Yさんは俳句もなさっていて素敵な作品を作られる。私は散文を書くことは好きだし、詩もどきは書くが本当の意味でのうたごころは無い。言葉を選び、凝縮して言葉のエッセンスを搾り出す作業はまだ出来ない。Yさんの句は絵を見る思いがする。もう少し年を重ねたら私にもYさんのような無駄を削ぎ落とした句を作れるようになるだろうか。作れたらいいなと言う願望は持っている。したいことが次々に出てきて、楽しい。HPを作ったお陰で文章を書く機会も増えた。書くことの楽しさをしっかり味わっている。みんなもHPを作ればいいのにと人ごとだが思う。誰だって好きなこと、人に伝えたいことあるはずだ。やろうよ! |
11月6日(木) どうしてこんなに暖かなの、と思わずつぶやいてしまうくらい気候が変。長袖を着て出かけたら、ちょっと気分が悪くなった。さやとの散歩も半袖はあんまりかなと薄めのブラウスを羽織って出かけたが、結局袋に入れたままになった。今日、面白い請求書が届いた。額面10円。KDDで9月半ば十ナン秒かかけているらしい。記憶に無く、考えられるとしたらパソコンのことでちょっと使ったかも知れないという気もする。郵便代と振込み手数料は向こうもちだから、その費用を考えると請求に要する費用のほうがずっと高くつく。請求しなほうが向こうは安かったのにそういうわけにはいかないんだろう。申し訳ない気がする。息子にコンビニで払ってきてもらうように頼んだが、もし手数料を取られるようなら郵便局でするから良いといっておいた。KDDにその手数料がいくわけではないから、KDDとうちが損をして、コンビ二だけ儲かるなんてそんなことは理不尽な気がするから。コピーをして乗せたいくらいだが、それはやりすぎのような気がしてやめた。今日は私の誕生日のことを書こうと思っていたのに、10円の請求書のことを書いてしまったのでまた今度にすることにしよう花・花・花のページに息子からもらった花を乗せている。良かったら見てほしいと思う。 |
11月4日(火) 毎年こんなに暖かだったかと思い出しているが、どうもおかしい。11月の初めは急に寒い日が来て大慌てでコートを出している記憶がある。さやの散歩のとき重ね着をすると汗ばんでくる。夜9時から10時の間に散歩に行くことが多いのだが寒くなるとお日様が照っているときにしなくてはこちらがたまらないだろうと思う。体内時計に組み込まれた散歩の時間を変えるのは厳しいものがある。息子から電話でクリスマス用のさやの衣装を横浜で買ったから送ると電話があった。去年トナカイの帽子をかぶらせたら可愛かったのでサンタさんの衣装がほしいといっていたのを覚えてくれていたようだ。普段は洋服を着せたりするわけではないが、クリスマスくらい楽しんでも良いかなと思っている。どんなものを送ってくるか楽しみだ。写真好きのさやのことだから、デジカメを向けたらきっとカメラ目線で動かないんだろうと思うとそれだけで顔がほころんでくる。まだ衣装も見てないのに、これでは二度美味しいということになる。一年に数日しか会わないのに息子もさやもお互いに大好きだ。自分が帰った後のさやの姿を見たら泣くだろうと家族で話している。その忠誠心は半端じゃない。昔友達にたかが猫じゃないなんて言ってしまった私だが、今はさやのいない生活は考えられない。何も疑わず愛情を求めてくる姿には心が洗われる。子供たちは自立して自分で生きていってくれないと困るしこれからも人間として対等な付き合いがしたいが、さやはいつまでも私たちの可愛い小さな子供のままだから。 |
11月3日(月) 今日は文化の日祭日だ。昼間降りそうで雨は降らなかった。活水のバザーに行こうと思い出かけたが、今年は違った。私の勘違いだった。例年3日なのだが確認しなかった私のミスだ。でもそのお陰で大浦界隈の散歩が出来た。どこかでウォークラリーが開催されているらしくそれらしきグループがたくさん歩いていた。歩くのは人を元気にしてくれるようだ。みんな楽しそうだった。途中の花屋さんに桜の枝が売っていたのでびっくりした。12月半ばから新潟のほうの何とか桜が出るのは知っていていつも見つけると買っていたが11月のさくらは初めてだ。温室という便利なもののお陰で時々私たちは季節を忘れてしまう。100年前の人より今の私たちのほうが幸せかどうかわからない。いろいろなものが機械化されて、人がどんどん必要でなくなる。そうやって経費が浮いたとして、その儲けはなんになるんだろう。人から人へ手渡される暖かさがなくなったらたとえお金持ちになったとしても幸せかどうかわからないと思うのはないものの僻みだろうか。そうは思わない。人を軽んずる社会がいいはずがない。便利さを手にいてた私たちは何かをなくしている。そのくせこの便利さがなければ暮らせない自分だということも事実。熱い夏クーラーがなければ暮らせない。本当に身勝手な思い。反省。 |
10月31日(金) 明日から11月、おまけに3連休。とはいっても何の予定もない。行きたい所はいくつもあるのだが時間がない。さやを置いてそうそう家を空けるわけにも行かないし、生き物を飼うというのは覚悟のいることだと思う。しかもさやからもらう豊かさは限りなく大きいので、どこか出かけるのに邪魔というのは身勝手というものだ。半日ほど散歩かたがた町を歩いてこようかなというくらいだ。伊万里や有田など陶器で有名なところは秋の陶器市をする。陶器好きとしては買うというよりその雰囲気を味わいに行きたい所だが今年はあきらめよう。人が遊んでいるとき家の片付けに励むのもいいかもしれない。 |
10月29日(水) 今日は久しぶりにお昼を一人で外食した。JALシティー長崎の桃苑だ。長崎は中華料理のお店は多いが、いろんな種類をすこしづつ食べられるランチ形式はほとんどない。店の前を通りかかって書き出されている品書きを見てよってみた。内容は野菜のラーメン・酢豚・イカとブロッコリーの炒め物・芝えびのてんぷら・ザーサイ・ご飯・デザートとして杏仁豆腐だった。800円でこの内容なら悪くないはず。サラリーマン風の人が多かった。美味しくいただいているとお茶を入れに来てくれた。私は食事の時お茶をよく飲むのでありがたかったが、その後が悪かった。お茶に気を取られている間にまだ残っているお盆を下げられてしまった。まだです、というタイミングを逸してしまったのであきらめた。お盆の上にはご飯が少々とイカ一切れ(おいしい)海老1個、塩が絶妙に抜かれたザーサイ、ラーメンのスープ。下げて良いかと聞きもしなかった。食べ物の恨みは怖いし、些細なことが評価につながる。こんでたわけでもないのに、それを除けばよかったとおもう。 今日の長崎は選挙応援でくる小泉首相のために車が渋滞し、警備の警察官であふれていた。夕方にはまた違う党の幹部がきたという。選ばれるほうは声を張り上げているが、選ぶほうは心もとない。日本の将来を決める大事な選挙。棄権などしないで選挙にいって国民の権利を使ってほしいと思う。国を愛するなんて言うと右っぽくいわれるが、そんなことはない。自分の住む世界を愛せない人間が人を愛せるだろうか。自分の国を愛せない人が他国の人を愛せるだろうか。単純にそう思うだけ。 |
10月26日(日) まだ快調とは言い難いが、かといってひどい気分でもない。峠は越えたような気がする。もう少し粘って鬱々としているのもいいかなと思ったが、これはしようと思ってできるものではないようだ。私は根が楽天家なんだろうか。うちの住人は飛び切りの楽天家だが、それに反して私は違うと思っていた。多分良くも悪くもこらえ性がなくなって、どうでもよくなったというのが本当のところかもしれない。それならそれで良しとしよう。無理に悩むことはない。10月も残り少なくなっていく。私の誕生日は11月で、いまさらお誕生日おめでとうでもないと人は言うかも知れないが、やっぱり自分の生まれた日は大事な記念日として家族のお祝いを受けたいと思う。すでに息子からはプレゼントが届いていて誕生日にあけようと思っている。うちの住人は素敵なものを用意しているというが、本当は何か知っているけど、知らない振り。子供が成人してもう必要ないと思う今こそそんな記念日は大切にしたほうがいいと思う。そういえば家の住人の誕生日は、家を離れた息子が久方ぶりに帰ってきて、中華料理を食べにいった。おまけに自分が出すと言ってくれて、うちの住人はビールがおいしそうだった。帰り道「いい誕生日だった」とつぶやいた顔は本当に幸せそうだった。あれで当分仕事でいろいろ有ったとしてもがんばっていく元気をもらったんだろうと思う。人は小さなやさしさをもらうことで人として生きていけるんだと思う。私も周りの人にやさしい人になろう。 |
10月25日(土) 心身ともに快調の日々が続いていたのに突如、気分優れぬ日がきてしまった。原因があるといえばあるのだが、気にしても仕方がないことを気にしている自分に嫌気が差しているというのが本当かもしれない。人の心というものはなかなかに難しい。今、忙しすぎるのがいけないのだろうと思う。人生50年といわれた時代は昔のことで、今の50は人生の折り返し地点といってもいい。周りの60代・70代みんな超がつく元気さだ。うじうじすることは私のポリシーに反するのだが、この状態が年に1・2度やってくる。元気元気が売り物の私だって疲れるときがある。誰にも会わない静かな場所でごろごろして好きな本でも読んですごしたいものだと思う。そう思いながら予定表を見てみるとびっしりつまっているのだからいやになる。こんなときはやさしくなれない。家の住人の笑顔にさえ腹が立つ。わがままを言えるのは家族だけとあきらめてもらうしかない。こんな状態になって思うのだが、家族ってよくしたもんで、重なっていらいらしないから不思議だ。体のために甘いものは極力やめようと思っているが、こんなときはおいしいお菓子を食べるのも良いかもしれない。金属疲労は機械だけでなく、人に有ってもおかしくない。少しづつたまっていくオリのような疲労は言葉で言い表せないだけに始末が悪い。 |
10月23日(木) 今日の朝刊の運勢は「思いつきで行動しない。衝動買いも抑えて」というものでした。ふーんという感じでした。私運勢欄よく読みます。それをわが身に置き換えてうんぬんでなく、その運勢欄の向こうにたくさんの人の人生があるような気がして、気になるんです。きっと一喜一憂している人がいるはず。時々我が家の住人がスポーツ新聞を二部買います。それぞれ運勢欄があるのですが、いつもそこを見て笑うんです。運勢欄のいい加減さがよく出ていて面白いと思います。片方が良い時は、もう一つはめちゃくちゃ悪いんです。どちらも良いとか、どちらも悪いなんてこと10年以上気になって見ていますが一度もありません。毎日買うわけではないので絶対とはいえませんが、私は見たことがありません。申し合わせたように違うんです。この頃、その意味がやっとわかってきたような気がします。幸不幸は一枚の紙の表と裏、指で破ってみれば風が吹く抜けてどちらが表か裏かわからなくしてしまえば良いんです。誰が見たって幸せだろうと思う人が自分を不幸だと思っていたり、誰が見ても不幸の真っ只中だろうと思う人がそんな風に感じていなかったりなんてあるじゃありませんか。 今日私は思いつきで行動はしたと思います。でも衝動買いはしませんでした。 |
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9月30日(火)〜10月1日(水) 人と唐津に行く用事があって出かけました。その日に終わる予定でしたが、どうせ行くなら一泊しようと言う計画になって総勢6名になりました。唐津泊まりより地下鉄乗り入れの電車で行くと福岡に泊まった方が良いということになり、計画の練り直しです。私がインターネットで宿や旅費、コースなど調べました。 かなり年配の方もいらっしゃったのですが、元気元気で楽しい旅でした。夜の食事は博多名物の屋台ということで生まれて始めて屋台で食べる人もあり、おでんや串揚げ、山芋のお好み焼、ホルモン等々みんなですこしづつ分けて食べました。非日常の極みでしょうか。それに何も考えていなかったのですが、福岡に泊まる日が、偶然ダイエーホークスの優勝を決める日にぶつかったので、さあ大変。博多座の前に作られた大型テレビを囲んでの応援に加わり「にわかダイエーファン」を楽しみました。万歳三唱などしたのは何年振りでしょう。西武が先に負けてその時点で優勝は決まっていたのですが、さすがに胴上げはダイエーの試合が終わってからという事で、それからの時間の長い事。にわかファンですから、ダイエーが打てばもう打たなくて良いと言い相手チームに打たれると何してるのよと叫び、いいストレス解消でした。おまけに那珂川に飛び込む人まで沢山見る事ができて驚きつつこんな場面に出会うことはもう二度とないだろうと話しながら宿に帰ったことでした。次の日お昼をちょっと贅沢にしましょうと、吉兆で食べました。ここでもダイエー優勝記念として350mlのビールが一人に1本付きました。ただ私はアルコールがダメなのでこれ幸いと家族のお土産にしました。ダイエーがこれから優勝する事はあっても、その場に私たちがいることはまず無いでしょうから、本当にいい体験をする事が出来ました。感謝です。 写真はダイエー優勝の号外ともらったビールです。 |
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9月24日(水) ずっと迷っていた愛犬さやの避妊手術をやっぱりすることにして、今日の午後予約を取りました。さやの子供がいてもいいかなと思っていたのですが、こんな小さい犬は帝王切開の可能性もありますといわれて、断念しました。結果的に病院につれていったのは良かったのです。病気が見つかり最近の食欲不振の原因がわかりました。10日間エリマキトカゲ状態で、特に最初の二日間は大変でした。二階で寝ていたのに上がれなくて夜中なんとも切ない声で鳴きつづけました。諦めがついてからはおとなしいこと、動きません。私たちが出かけてもワンとも泣きません。泣けばうるさいと叱り、泣かなければ寂しい本当に人間は身勝手です。 その間用事で家を空けるためペットホテルに預ける予定でしたが、そう言う訳にもいかないと家族の時間の調整が大変でした。みんなさやが大好きで早く元気になってほしかったのです。 10日がすぎて、抜糸のために病院に連れて行く途中面白い事がありました。交差点で信号待ちしていると歳をとった御夫婦に出会いました。そのお二人から「あら今のファッションはしゃれてるねえ」と声をかけられました。痛々しい姿も事情を御存知ない方から見ると可愛いらしいのです。 にっこり笑って行き過ぎましたが、何となくほのぼのしてしまいました。 証拠写真です。 |
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9月21日(日) 午後から諫早ののんのこ祭りに行ってきました。 前から一度行ってみたかったのです。私は人が集まるイベントが大好きで、夜店が出たり、フリーマーケットなどは特に目がありません。時間が急に出来たので長崎から普通電車に乗っていってきました。駅に降りてビックリ。お祭りの香りがしません。ふわふわと漂ううきうき感が無いのです。諫早祭りとうたっていましたので、全市をあげてのお祭りだと思い込んでいたのです。前日は総踊りで賑わったようですが、今日は人の出もいまいちでした。 中央広場はさすがに賑やかでした。その近くのアーケードはスカスカでした。会場で諫早のお菓子食べ放題をやっていましたが、お昼を済ませていたので涙をのんであきらめました(;_q))クスン。それでお土産に買ったのがあげまきの形をした最中です。うちの住人はいろいろな形をした最中が大好きです。旅行や仕事で出かける時は、本で調べて近ければわざわざ寄って買ってくるぐらい好きです。長崎にも鯨の最中があると本で見て、引っ越してすぐ買いに行きました。御主人が病気とかでお店がしまっていて何度も通いましたが、いつも開いてないとガッカリして帰って来ました。結局そのお店は廃業なさったので、鯨の最中は食べられませんでした。そんな事を思い出しながら買ったのが写真のお菓子です。デジカメを忘れたのが残念で色々取れませんでした。諫早は好きなまちです。帰りの電車の中ですれ違う電車待ちの長さに長崎にとって新幹線より複線化のほうが良いのにと思いました。 新幹線が出来たら日帰り客が多くなるだろうと思うのは私一人でしょうか。 |