日々の思い

日常の中の幸せ
些細であってもその積み重ねが人を幸せにしてくれると信じて

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2006年7月8月9月

9月30日(土)
NHKの朝のテレビ小説を見ると言う習慣は無くて、昔一世を風靡した「おしん」ですら一度もみた事が無かったのです。
この二ヶ月時間が許す限り「純情キラリ」をみてました。絶不調だという自覚が強くなり始めていたときです。時間つぶしにつけた番組だったのですが、見入ってしまいました。
今日、最終回、思い切り泣きました。どうも私の壷にはまったようです。主人公の真っ直ぐ目標に向う姿、夢をどんな時にも失わない心、家族や自分の周りにいる人にたいする深い愛情、等々。多分回りくどくなく、素直な人生讃歌の直球勝負の作り方が、今の私の心にすっと入ってきた気がします。
深く反省しました。絶不調なんていって、自分を甘やかしてはいけないのです。私、どこかで謙虚さを少し無くしかけていたような気がします。今日、私の平常心のジグソーパズルの最後の一つがぴたっと決まったようです。
最後のピースがテレビ小説とは意外です。そこが面白いところですね。

病気見舞いに出かけて、その帰りうちの住人とお昼を外で食べる事にしました。何にするか迷った末、定番の廻るおすし屋さんへ。
土曜日のせいか店内は込んでいました。二人でおしゃべりしながら待ちながら見るともなく店内を見ていると、一人の外人さんがお金を払わず帰っていきました。店のつくりがレジの前を通らなくても外にいけるのです。
すごいなあと思いました。昨日の一円事件に続いてです。
人ごとですが、今日の事は見て気持ちいいものでは有りません。
もし得したとその外人さんが思ったとしたら悲しいなあと思います。
絶不調を克服したとたん周りが見えてきたのかもしれません。いつも友人にどうしてあなたはそんなに色々話の種になる事に出会うのと言われます。確かにそう。
心を内向きにしていると出会っても気がつきませんものね。
やっぱり私、絶不調を克服したと言うのは本物です。確信しました。

追  
友人からまだ間に合うよね応募、と言うメールが届きました。明日の31日までなのに何勘違いしているんだろうと思ったのですが、勘違いしているのは私だったんですね。9月に31日はないんです。今カレンダーで確認しました。明日は10月。あらまあです。
友人のメールがなかったら明日になるまで31日と思いつづけたことでしょう。何しろちょっとご無沙汰の友人に、今どうして応募してこないのとメールしたばっかりなんです。明日の31日まで受け付けだからとご丁寧に書いて。明日くれたらセーフ。
私らしいといえば私らしいなと思います。
トップを10月に変えなきゃ、
9月29日(金)
今日はお仕事の日。途中郵便局に行く用事を思い出し、急いで抜け出していってきました。
振込みのお釣りを貰って、しまおうとしたら一円玉を落としてしまったのです。
また落とすといけないので、残りの小銭を財布に治してからおもむろに拾おうとしたら、隣りのおじさんが拾ってくれていました。「ありがとうございます」と言おうとしたとき、すっとそのおじさん、一円玉を自分のポッケットに。
「あ・・・・・・」私、目が点になってしまいました。ポケットに入った一円玉をそれ私のですと言うのも言えず、すごいなあと変に感心しておかしくて、これは話の種になるなあと思いながら帰ってきました。
戻って、その話をすると、盛り上がると思ったのですが、私の思いもしない方向に話が広がって、驚きました。
ある人がいくら一円でも、人の物をポケットに入れるなんて許される事じゃない、とものすごく憤慨なさるのです。その人は常習者に違いないとまで言われて、本当に驚きました。
私としてはそのときの唖然とした自分の顔を見られるものならみたかったと今でも思っています。
人は色々、その反応の違いに、当然ですが、これもまた面白いと思いました。
9月27日(水)
2週間ぶりにジムに行って動いてきました。
日記も久しぶりです。

「4周年に入ります記念企画」なるものを立ち上げたのに、私自身は絶不調のきわみで苦しんでました。
「負いきれない重荷」と言う言葉が今更のようにのしかかってきた気がしてやってられないと言う感じでした。ある日突然そうなったわけではないのです。いろいろな問題が重なって、少しづつ無理をして気がついたらこのままいくと心身ともにおかしくなる予兆のような物を感じて少々慌てました。
仕事だと割り切ってしまえば良いのかもしれないけれど、そう人間、簡単ではありません。
だから、セルフコントロールの必要を感じて、必要最小限のことだけして、後はゴロゴロしてました。普段もゴロゴロしているのですが、今回はもっとゴロゴロです。
今回重症だと思ったのは本を読む気になら無かった事です。
私が本を読まないと言う事はご飯を食べないのと一緒。もっとも、こんな状態なのに食欲だけはありました。何を食べても美味しいんです。その分本が読めなくなったのかな?(苦笑)
多分、もう大丈夫です。
運動する気になったし、こうして自分の思いを書いているし、古本屋に行って、「ホラー・サスペンス・ラブロマンス」と言う今まで読んだことの無い種類の本を買ってきました。ヴァンパイヤが升で量って捨てられるくらい出てくるようです。
その本を持って、いつも友人とおしゃべりするときに行くお店に行って本を読みながら一人で紅茶とケーキを食べてきました。30ページほど読んだだけですが、気分転換にはなりました。
そのほかにも自分なりのお楽しみを試みたり。
変な自慢ですが、私じゃなかったら、こうも短時間で抜け出せなかったんじゃないかと思います。

「4周年に入ります記念企画」
まだ応募して無い方、今月一杯の受付です。まだ間に合いますよ。
サプライズ、決めました。
しないと、ああ、応募しておけばよかったと後悔しますよ。ホントです。
9月22日(金)
自分が作ったサイト「日々の彩り」が昨日で満3歳の誕生日を迎えました。
今日は4年目の最初の日です。
昨日は仲間からお花をいただきましたが、今日はPIPOさんからこんな素敵なプレゼントをいただきました。
とっても嬉しいです。
50代半ばでパソコンに出会って、色々な方のおかげで今日まで続ける事が出来ました。
自分でも不思議で不思議でとっても不思議です。
たかだかサイトを立ち上げて3年たっただけじゃない、大げさなと思われる方もあるかもしれませんが、そうではありません。新しいものへのチャレンジ、新しい出会いを求めるのに50代半ばはもうかなりしんどい年齢なのです。おまけに一人で。
しっかりした人間関係が出来上がっている世代に新たに溶け込むのは難しい事なのです。
子供を通して人と出会うという時代ではないですし、ある意味自分の行き方、人間性、などがもろに出ます。それはしんどい事です。
ですから今の状態はありがたいなと心から思います。
皆さん本当にありがとうございます。


9月21日(木)サイト3歳の誕生日
今日は私のサイト「日々の彩り」の3歳の誕生日です。
今日で丸三年が過ぎました。
明日から4年目に入ります。
2003年9月21日の日曜日に諫早ののんのこ祭りにでかけたことを「日々の思い」に書いたのが始まりでした。いろいろなページを考えて、いつでもアップできる状態にしていたので、準備は8月くらいからはじめた気がします。もう忘れました。今でも適当に多分に勘でやっている状態ですが、その時はもっと何もわからず、形を整えるのが精一杯でした。
思えば、ビデオもセットできず、ファックスも送れずの機械音痴の私がよくパソコンをする気になったものだと不思議な気がします。
教室の仲間に今日素敵なバラの花束をいただきました。
3歳の誕生日だから3本の薔薇。
思いもかけないことで、心から嬉しかったです。
多分サイトの誕生日にお花をいただく人はそう無いだろうと思います。いい友達を持ちました。
私の記念日好きを良くわかってくれているんだと思います。
記念日大すきなうちの住人もさすがに、私のサイト3周年記念日は覚えていなかったようです。
台風その他色々な事があってそれどころでは無かったし、いくらなんでも私もいえません。
ただ、私がパソコンをはじめなかったら、私の生活はまったく違ったものになっていただろうという事は言えます。
パソコン教室に通った事で生涯付き合える友を複数得ました。50代になってそういう友人を作る事がどんなに大変で得がたい事か、それは奇跡に近いと思っています。
またネットを通して才能豊かな方々と出会うことが出来た事も嬉しくてたまりません。
PIPOさんの壁紙と涼さんの音楽が、どれだけ私のサイトを素敵な物にしてくれた事か、一目瞭然です。感謝しています。
明日から4年目です。
自分の身の丈にあったことを、マイペースで細々としていこうと思っています。
今まできてくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「4年目に入ります記念企画」九月一杯受け付けます。気軽にご応募ください。お待ちしています。
サプライズプレゼントもある程度決めました。本当に私らしいと思っていただけると思います。私的にはかなり豪華版(?)になると思います(本当かな?)。気軽に、気軽にどうぞ。
9月20日(水)
長崎の家は今回の台風で木が1本と門灯が滅茶苦茶になっただけですんだのですが、佐賀にある家がとんでもない事になっていました。隣りの建物のベランダが全部壊れて家の方に飛んできて庭は足の踏み場も有りません。
でも一番のハイライトはベランダの柱が二階の壁を突き破った事です。
槍投げの槍が見事に的に的中という感じでしょうか。
みたときは大変というより、お見事と言いたくなりました。
屋根の瓦が4分の一飛びました。庭は足の踏み場が無いくらいです。
うちの住人が仕事のときだけ泊まるので、最近私もあまりいってないので庭も草だらけ。
その中で彼岸花がたくさん咲いていてきれいでした。
その彼岸花もある年一本だけ咲いたのがいつも間にか広がったんです。多分鳥が運んでくれたんだと思います。
9月17日(日)
台風が凄い勢いで吹き荒れていきました。
我が家の被害。
一本しかない木が横倒しです。
その木はまったく惜しくないのですが、その根元のクリスマスローズも一緒に持ち上がってしまったのが大変です。
壁にしっかり取り付けられていた門灯が落ちて滅茶苦茶です。ガラスが散乱してました。
門を止める穴のあけてあったブロックがとんでもないところに行ってました。
逃げ込んできた生まれたての子猫が家の前から動きません。
この子猫が一番の難問かもしれません。
今回は2時間以上の停電を体験しました。
「さやもも」もなんとなくいつもと違う雰囲気だったんでしょう。変に静かでした。
今回は台風が来るといっても何も準備してなかったのです。
気分が台風どころではなかったものですから。
お昼に大事な会食が有って、その準備に忙しかったので、自分の家のことなど頭にからっきし無かったのです。台風が来るから食料品を買っておこうなどちらりとも頭をよぎりませんでした。
こんな台風のときでもちかくのお弁当屋さんは開いていました。風の弱くなったところを見計らってお弁当を買いに行ったんです。
そこで小耳にはさんだ事。お店の人が取った電話をきった後「家が壊れたから明日仕事これないんだって」と叫んでました。
我が家レベルの被害はたいした事は有りませんが、他でひどい事になっていなければいいがと思います。

懐中電気が使え無かったので我が家はろうそくをつけました。夕暮れが曇りにもかかわらず少しオレンジ色だということも今更のようにわかりました。その夕暮れの明かりを頼りにお風呂にはいりました。なかなかいいものですよ。
後はゴロゴロ寝てました。
弁当を買いに行って帰ってきたら電気がついていました。
文明の利器は便利です。
それに慣れきった人間はやわですね。自覚してます。
9月16日(土)
昨日の夜、うちの住人は疲れたと早々と休み、私はお風呂に行くには雨の降り方がひどいし、めんどくさいから行かないでおこうと決めたのは幸いでした。
夜遅く[S]から電話です。
ちょっとびっくりしました。おまけに「いま東京,[K]と食事して別れたところ」と言うでは有りませんか。
あらまあ、と言う感じです。でもとっても嬉しかったです。
兄弟でお酒を飲みながら色々な話が出来る、二人が大人になったもんだとまた思って喜びました。
[S]が言うには[K]の背広姿がなんか不思議な気がするといってました。もう[K]も社会人なんですものね。
それぞれ仕事の分野が違うので[K]の話は新鮮で、どの世界も大変なんだと思ったようです。時々そんな機会がこれからも、あったらいいなあと思います。
あれこれ話して、つい長話です。
夕食を食べながら[S]や[K]のことを話していたら[K]から電話でした。
昨日[S]と会ったことを言おうと思ったようです。
最近忙しいらしく、買い物や、夕食作りがままならないらしく食費が増えてちょっと辛いようです。
久しぶりに[S]にご馳走になって美味しい物をたくさん食べたと喜んでました。
これまたあれこれ話が弾んでしまいました。
兄弟仲良くしてねといっておきました。二人しかいない兄弟です。助け合ってほしいと願うのは親として当然でしょう。

「4年目に入ります記念企画」参加しまーすのメール一号が届きました。
時々でも見てくださっている「あなた」遠慮は要りません。どんどんメールくださいね。
私らしい、やるときはやるんだ精神が今むくむくと沸き起こってますから、色々アイデアが湧いてきて、まだサプライズ・プレゼントは最終決定では有りません。
でも私らしいものになるのは間違い有りません。
9月14日(木)
午前中の教室と夜のお花どちらもお休みしました。
色々と用事が山積みで走り回っています。
ランチだけは合流しました。
気の置けない友人とのおしゃべりくらい楽しいものはありません。ありがたいなあと思います。
今週ジムに行ってないのがちょっと気がかりです。せっかく運動する時間の確保を優先し始めたのにそうはいかなくなって来ました。まあ急がしくなるのはわかっていましたから、しょうがないと言えばしょうがないのですが、ここで運動を止めたら元の木阿弥。
ちょっとばかりがんばらねば。

9月21日でHPを作成して4年目に入ります。
そこでいつも見てくださっている方に何かプレゼントをしたいなと考えました。
表紙の「4年目に入ります企画」を開いて読んでください。
皆さんのご応募、心からお待ちしています。
9月13日(水)
大好きな涼さんの「POEM HOUSE」を開いたら「77777」と言う数字に当たりました。7が5つなんてとっても良い数字だと思いませんか。ラッキーセブンが5個。
とっても嬉しかったんです。今日はそのことでもっと嬉しい事が有りました。
涼さんが「My GIft For You」のなかに素敵なページを作ってくださったんです。
良かったら見てください。
文章と壁紙と音楽の三位一体の素晴らしさが味わえます。「Good ruck!」音楽がまた良いんです。
涼さんにお願いして掲示板に使わせていただきたいなと今思っています。

昨日少し考え事をしながら野菜を切っていたら指先を切ってしまいました。かなり深く出血も止まらず大変だったのですが、「紫雲膏」のおかげで病院には行かなくてすみました。
体調が今あまり良くないのですが、心は平常心です。
今日一日一人でしたが、夜はテレビのクイズ番組で笑い転げていました。笑う私に「さやもも」が不思議そうに顔を近づけてきます。
そんな「さやもも」がまた可愛いのです。
9月9日(土)
この頃なんだかキャラメル・コーンが食べたいなと思っていたんです。
どうしてそう思ったのか判らないのですが、とにかくキャラメル・コーンが食べたくて、ついに買ってしまいました。
メープル味、それしかなかったのです。失敗でした。
味は私好みで美味しかったのですが、ピーナッツが入ってなかったのです。
キャラメルコーンにはピーナッツでしょう。
今日お店で確認してみました。スタンダードなキャラメル・コーンには今もピーナッツが入っているようです。買おうかなと思いましたが、ぐっと我慢して買いませんでした。昨日一袋食べて今日もとなるとそれはちょっとダメージが多すぎます。
おまけに「ロイヤルミルクティー味」が、新発売で出てました。買ったかったのですが、そこは我慢です。
[ロイヤルミルクティー味」なんて書かれると、いつもすぐ買ってしまいます。
「マカダミアンナッツ入りホワイトチョコ・ロイヤルミルクティー味」それが出たときはまいりました。毎日のように食べてました。
私の手元にハワイ土産の「マカダミアンナッツホワイトチョコ」が今有るのです。
誘惑に負けて全部食べてしまいそうで怖いんです。

こんなたわいもない事を本当は書く気分ではないのですが、
落ち込んでも仕様がない事なので、普通にしていようと言い聞かせているのです。
9月7日(木)
この数日私の周りで青天の霹靂、こんな事が有るんだ、やっぱり人間明日はわからないと言うのは本当だ、と思う事が起こりました。
凄いショックな事です。
周りでどうこうできる事ではないので、静かに結果を待つ以外ないのですが、それでも心がゆれ動きます。
人ってこんな時祈る事しか出来ないんだと思いました。結果がよくなるようにとただそれだけを祈る以外ないんだと思いました。
決して悪い方には考えない、だから私はいつものように笑っていよう、楽しい顔をしていようと思います。よくなるんだと私が思ってもどうなるものでもないと判っているけれど、良くなる良くなると思って笑顔でいようと思います。

私、自分が知っている誕生日の人にお花をあげるキャンペーンを今年は勝手に実施いているんです。
8月の終わりと、昨日が誕生日だった人二人と、今日会う日だったので昨日の夜12時まで開いているお店に夜遅く駆け込んでお花を買い活けて、今日持っていきました。
人間ってきれいなものは誰だって好きなんです。
私はあげるのも貰うのも好き。喜んでいただいたのでとっても嬉しかったです。
昨日の夕方から体調が悪く、今日は行かないでおこうかと思ったのですが、お花を活けていたので、それを届けるだけでもいかなくちゃと思ったおかげで、帰りに大好きなGさんとランチが出来ました。
私の娘といっていいくらいなのに、私なんかよりずっとしっかりしてる人です。
彼女の子育てを見ていると、私もああすればよかったこうすればよかったと反省させられます。
今更遅いですが。

内面の辛い日とは対照的に今日は他にもいいことが有りました。
「POEM HOUSE」の涼さんと「おたくさ日記」のおたくささんが、自分のHPに、私の「日々の彩り」をリンクしてくださったのです。
涼さんもおたくささんも私に無いものを一杯持った素敵な方で、本音としてはちょっと恐れ多いというのも正直な感想。
PIPOさんもそうですが、才能があふれている人ってとっても魅力的です。
サイトを見ても凄い質と量ですし、もし私が、人を羨む性格なら嫉妬に狂っている事でしょう。
私の良い性格の一つはいいものを持った人を無条件で尊敬する事。
逆にいえば尊敬できない人とは付き合えないという悪い面があるとも言えます。
でも人って必ずといっていいほどその人にしかないすごいものを持ってるんですよね。
よくできたものだと思います。

9月3日(日)
朝、友人から小包が届きました。
春、お母さんを亡くして、その後の色々が大変だったようで、心配していたのです。
いつもどうしているかと気になっていました。
私の好きな紅茶セットです。
多分、問題が解決したから送ってきたんだろうと思っているのですが,そうであって欲しいと願っています。
彼女は私より二つ下で、もう40年以上の付き合いです。これでもかこれでもかと辛い思いをしているのですが、私にはない凄い力で乗り切ってきました。これからも乗り切って欲しいです。
私がこのHPを作っている事を知っている数少ない一人です。

私ほとんど人に自分のHPの事教えてないんです。自分の身内にも、長崎で身近にいる人にもあまり知らせていません。
携帯もそうです。知らせているのは家族も含めて10人ぐらいでしょうか。もともと携帯なんか持ちたくなかったものですから。家に電話をかけていなかったらそれまでにしてと言うのが私の基本姿勢です。留守電にもしません。
歳をとるとそんなに律儀に応対しなくてもいいんじゃないといういい加減さがましてきました。
最近私は電話番じゃないと居直っています。
9月2日(土)
9月になりました。
時間が過ぎるのの早いこと。心せねばと思ってしまいます。
31日の大雨のせいか急に夜涼しくなって過ごしやすくなりました。
8月のんびりした分9月から忙しくなります。
あれもこれもと予定表が一杯。
今日は愛犬「さや」の6回目の誕生日です。
6年前、うちの住人と夜の散歩でペットショップに寄った時、お店の人の「抱いてみますか」と言う言葉に、少し酔っ払ったうちの住人に「抱いてみたら」と後押しされたのが、運命でした。
ペットショップでひとめぼれしたパピヨンが飼いたくて飼いたくて仕方がなかったのですが、諸般の理由から飼うのは、無理と諦めていたのです。
そのとき私は抱いた「さや」を手放すことが出来ませんでした。
さやが我が家に来たのは自分が酔っ払っていたからよかったんだと今でも変な自慢をうちの住人はします。
確かに「さや」が来なければ「もも」も我が家にくることはなかったでしょうし、我が家の歴史は大きく変わっていたことでしょう。
今ほど夫婦が仲良かったかどうか、???マークかもしれません(笑)
「さや」は貪欲に私たちに愛を求めます。
「さや」は私たちが元気でないと生きていけないのです。
無心に求めるものの存在はピュアで尊いと言うことを観念でなく教えてくれました。
うちの住人・[S]・[K]・わたし・「さや」「もも」大事な家族です。
8月31日(木)
豪雨でした。
夜、今日は仕事でお出かけのうちの住人がテレビで見たけど長崎は大丈夫かと心配して電話をかけてきました。
テレビでがけ崩れや下水溝が壊れたりする場面をやっているらしい。我が家は大丈夫だし、多分友人・知人も大丈夫そうだと答えておきました。
こうやって心配してくれるのはありがたいと思います。

今日は一人ですから、ご飯も簡単、昼間行く予定で大雨でいけなかったジムの夜最終のプログラムに参加してきました。
時間的にお風呂にゆっくり入る時間はないのでシャワーを簡単に浴びて帰ってきました。
少しづつ体調も戻っています。
体重・体脂肪も少しづつ下降線をたどり始めました。まだ微々たる物ですが、気長にやるつもりです。
去年の夏はちょっとがんばりすぎました。
がんばりすぎるのはやっぱりどこかに無理がかかって続きませんね。

8月30日(水)
運動すること。
できるだけ間食をしないこと。
塩気の強いものと揚げ物もやめること。
最低限それだけ気をつけてほどほどにしようと思っていますが、大好きなお菓子が色々と目の前にあるというのがちょっと困ったことだと思っています。

[K]とすれ違いで東京から帰ってきた、うちの住人のお土産です。
お菓子はいらないといっておいたのですが、「花のこぶた」だったら私が喜ぶと思ったようです。
オレンジピールのチョコレートも頼んでいたので買ってきてくれました。
確かに、つい嬉しくて食べてしまいました。
おまけに今日は桃饅頭もいただいたし、[K]がお土産にくれた舟和の芋ようかんも残っているし、はとサブレもあるしと、
私の好きなものだらけです。
こういう誘惑に負けないでいる事は至難のわざ。
「桃饅頭」1個と「花のこぶた」2個を食べてしまいました。
あんまり無理すると続かないから、これぐらいは許容範囲でしょう。
と、いうことにしましょう。
8月29日(火)
4日間はあっというまに終わってしまいました。
幸せな時間を私たちに残して[K]は帰っていきました。
兄の[S]はもうしっかり自分の生き方を見つけてがんばっているので親として安心しています。
自分の選んだ仕事に満足している姿を弟の[K]に今回感じることが出来て、もうなんの心配も要りません。
兄弟それぞれこれからもしっかりがんばってくれることでしょう。
子供たちには未来は可能性が一杯。
それに反して私たちの未来は可能性が一杯とは正直言いがたもの。
今までとは違って、これからは私たちのほうが子供の世話になる時代に近づいてきたんだと思うと、そうならないために健康に気をつけ、夫婦仲良くは絶対条件だと思いました。

9月からちょっと背筋を伸ばして今まで以上にマイペースで生活をしっかり楽しむつもりです。
気力十分。
8月27日(日)
昨日東京から[K]が帰ってきました。
私もうちの住人も今年の夏は無理だろうと思っていましたから、なおさら嬉しかったです。。
[K]の好きな物をあれもこれもと、考えて準備しました。
「がんもどき」「エビチリ」「白身の刺身」「牛肉」「山芋の磯辺焼」等々。
あっさり振られました。
帰ってきて色々はなしていると「お母さん、今日友達と会うから夕食要らない」とあっさり言われてしまったのです。一瞬目が点になったかもしれません。
でも、食事の準備が出来ていることは何も言わず「いいよ、楽しんでおいで」と答えました。。
かんがえてみたら、[S]は長崎で暮らしたことがないので友人がいるはずもなく、当然のように私たちとご飯を食べますが、[K]はここで何年も暮らしているのですから、友達がいるのは当然です。
帰省すれば、会おうとなるのは自然のこと、すっかりそのことを忘れていました。
[K]が出かけたとたんうちの住人と大笑い。きっとお互い何も言わなかった胸のうちがわかったからではないでしょうか。
親って幾つになってもおめでたいものなのです。

夕食は二人で豪勢に食べました。
お刺身も朝取れたての鯛とたこ。エビチリのえびは車えび。牛肉はお肉屋さんで何しろ今まで買ったこともない一番高い肉を奮発していたのです。
帰ってきたことが私たちはうれしいという、私たちの気持ちの表し方ですから、それはそれでいいのです。
二人で子供たちの小さい頃やその他諸々思い出話で盛り上がりました。
[K]が友人としっかり楽しんでくれれば帰ってきた甲斐があるというものです。

今日はうちの住人の50代最後の誕生日でした。
3人で夕食に出かけました。この夏帰ってきた[S]とも行った中華料理店です。
あの時と同じ物を食べて,[S]と[K]をダブらせていたのかもしれません。
食事から家に帰ってきたら[S]から、うちの住人に「おめでとう」の電話が入りました。
今日帰れたら帰るつもりだったけど、やっぱり無理だったとのこと。仕方がありません。忙しいのは判っていますから。
電話の後、しみじみうちの住人が「今日はほんとにいい誕生日だった。いい子供たちに恵まれて本当に幸せだと思う」と、つぶやきました。私も同感です。
8月24日(木)
久しぶりです。
ちょっと疲れ気味だったのでお休みしました。
9月から出直しと思っていたのですが、前から思っていた涼さんの音楽をお借りできたので、これを機会に心機一転今日からはじめることにしました。
サイトを開くとスキップしたくなるような軽快なメロディーが流れてくるのはなかなかのものです。
PIPOさんの壁紙と涼さんの音楽、素敵なこの最強コンビに助けられて、「日々の彩り」第二幕の開演です。
人生色々マイナスを数えたてず、いつも笑っている私でありたいと思っています。
来てくださってありがとうございます。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。
8月9日(水)
夜10時からのNHKの番組『彼は生きた〜小頭症被曝者・47年の生涯』に見入りました。
体内被曝者。光石信幸さんの生涯を聞き取り、テープに残しているYさんが彼に関わった人に話を聞き、また彼のテープを公開するというものでした。
Yさんが友人であったことから、この番組だけはしっかり見なくてはと思っていたのです。
たくさん取った映像から、ありとあらゆるものを削ぎ落とし、淡々と言葉がつづられていきました。
淡々とつづられていくけれど、その中に秘めれた言葉の重さ、人が生きることの凄さ、そういう人生を余儀なくさせられた、戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさ。
余すところなく伝わってきました。
彼女は長い間、原爆病の相談員をしてきたのです。

Yさんの笑顔がとっても素敵だといつも思っていましたが、納得しました。
彼女の生き方の清さが生んだものだったんです。
友人を尊敬できるって幸せです。
8月6日(日)
今日も暑い一日でした。
夕方まで、家から一歩も出ませんでした。午前中は忙しかったのですが、午後は暇を持て余しつつゴロゴロしてました
お昼も冷蔵庫に有るものでさらさらという感じ。
さやとももはクーラーの効いた部屋でいつもの自分の居場所を確保してお昼寝です。
真中のブタちゃんはマッサージチェアーを動かす機械にかぶせています。「さやもも」の良い遊び相手です。
このブタの指人形を動かすと、逃げ回ります。
こんな姿を見ていると心がほのぼのしてきて、疲れていても安らぎます。


このところやっとジムに行く時間を作ろうという気持ちになってきました。
ちょうど一年前にもう待ったなし、今運動して体を作らないとこれから先、生きていくのに不都合を起こすと、ものすごい決心でジムに通い始めたんでした。
結果は出していたのですが、今年に入って半年近く開店休業状態が続いてしっかり下降線をたどっていました。
開店休業状態からやっと抜け出せそうです。
時間が空いたら行こうなんて思っていたら、とてもいけません。時間は作るもの。肝に銘じます。
運動していると持病の腰痛があまり出ないような気がします。
体脂肪をもう少し減らさないと、色々さしさわりが出てくるんです。
がんばらない程度に楽しく運動しましょう。
8月1日(火)
ひどい雨の梅雨が終わったら、今度は暑くて暑くてたまらない8月になってしまいました。
例年なら、クーラー病で青息吐息と言うところです。今年もクーラー漬けであることに変わりはないのですが、気分だけは元気です。
先週うちの住人のお友達が北海道、仙台、東京と色々なところから見えて、大忙しでした。
私は少し気を使うところも有りましたが、うちの住人が嬉しそうだったので、私はパスと言うわけにも行かず皆さんとご一緒しました。
長崎の美味しい物を食べまくった気がします。したがって太りました。ショック!です。
暑いのに少しも食欲が落ちません。何を食べても美味しくて、この食欲どうにかなりませんかね。

今、読書三昧です。
先日[K]がたくさん本を持ってきてくれたので、それをせっせと読むだけでも楽しいし、時間を取るのに。先週他の用事で入った図書館で、宮部みゆきさんの「ドリームバスター3」を借りてしまったんです。
それを返しに今日行ってまたジェイン・オースティン「マンスフィールド・パーク」が有ったので借りてきてしまいました。
オースティンのイングランドの風景の描写がすきなのと、古きよき時代のイギリス地方都市のの感性が好きで、若い頃読んでました。私の統一性のない乱読の成果ですね。「マンスフィールド・パーク」だけ読んでなかったんです。

ネットで本を買いました。「讃岐典侍日記」と言う本です。
私の大すきなPIPOさんの「徒然読書記」を読んでいてこの本に出会い、昔古典にこっていた時代を思い出し俄然読んでみたくなったのです。
我が家には「新潮日本古典集成」という全集が有り「南総里見八犬伝」意外は全部有るんです。90冊ぐらいでしょうか。
その中にこの本はないのです。本屋に行くたびに探していたのですが、何処にもなくて、最近本屋で探してもらいました。
出版社まで問い合わせてくれたのですが、絶版品切れ、再販予定なしということでした。
「讃岐典侍日記」そのものはたくさん出ているんです。ただ、学術書で難しそうな高い本ばかり、そんな本が私に読めるはずも有りません。PIPOさんがお読みになった講談社学術文庫なら楽しく読めそうと踏んだわけです。
ネットの古書関係のサイトで探すとそう高くもなく手に入りました。明日あたり届きます。
自分の事ながら私の脈絡のない読書歴には驚きです。
中高時代勉強もせず、手当たり次第本を読み漁った結果でしょうね。
早々私「南総里見八犬伝」も全巻読んだんです。相当途中を飛ばしましたが。ものすごく長いんです。
うちの義兄が「三国志」や「徳川家康」「八犬伝」「太閤記」「織田信長」そういう系統の本をたくさん持っていたんです。「八犬伝」のような長さを現代語訳にしてだすのも古き良き時代だったんでしょう。「徳川家康」も長かったです。全部読みました。


7月26日(水)
九州は梅雨明けしたようです。
いよいよ待ったなしの暑い暑い夏です。もうすでにクーラー全開で電気代はうなぎのぼり。
ジム行きも再開してはや1週間。
体のこわばり感もなくなりました。ちょうど一年前からはじめた運動ですが。今年に入って、忙しさや手足の故障で5ヶ月ほどご無沙汰したらすっかり一年前の状態に戻ってしまいました。
一度大きくなった細胞はすぐ元に戻ると言われていますが、本当ですね。
焦らず急がずのんびり、でも颯爽と日々を過ごしていくことにしましょう。
明日は皆に会える日、嬉しいな、です。
7月25日(火)
梅雨明けしたかなと思うくらい太陽がまぶしく日差しの強い一日でした。
朝からペットショップに「さやもも」を連れて行ってきました。久方ぶりのシャンプーカットです。さやはサマーカットにしてもらいました。ももはちょっと整えてもらうくらいにカット。
可愛くなって帰ってきました。
そう言えば「さやもも日記」まるっきり更新してません。
写真を取るのをつい忘れてしまうので、乗せるものがなくて、ついつい遠ざかっていますね。反省。

火曜日の午後はフラワーアレンジメント教室の日なのですが、今日は予定が入っていたので休みました。
ところが肝心のお花を断るのを忘れて後でお花だけ取りに行く羽目になりました。
忘れた自分が悪いのですが、金曜日までに東京に電話するというシステムが、どうもわずらわしくて、そろそろ引きどきかなと言う思いがします。
この数年、今までの時間を取り返すように、自分のために使う時間が多くなりました。
それはそれでとても楽しかったのですが、見なおしの時期に来たような気がしす。
これからはうちの住人と過ごす、10年後の未来を見据えた生活設計が急務のような気がするのです。
もう十分楽しい時間を過ごさせてもらいました。
少しづつ生活を色々な意味でシンプルにしたいなと思っています。
7月23日(日)
もう一枚スカートを縫おうと思い立ち、もっと手を抜くために必要な洋裁道具を買いにいってみました。
必要なものを買った後で、可愛いブタちゃんの生地か売っていたのを思い出し、その売り場に行って買っていると声をかけられました。
友人のHさんです。
彼女は私と違ってなんでもきちっと作る人で、私のいいかげんな作り方を信じられないと言います。
私も完ぺき主義と言い返すのですが、その丁寧さはすごいと本当は思っているのです。
認めていなかったら、多分私は彼女に何にも言わないと思います。私の手の内も見せはしないでしょう。
ただ、歳をとると今まで出来たことが出来なくなるから今のうちに方向転換したほうが言いというのが私の主張です。
ただどんなにがんばっても、私のように手を抜くことは彼女には無理なことですから、できる範囲でほどほどにと思います。
彼女も生地を買っていたので、きっと素敵なものができるでしょう。

せっかく会ったのだからとお茶を飲むことにしました。
ちょっとのつもりが結構な時間おしゃべりしていたらしく、気がついたら遅くなっていたので夕食は出来合いを買って帰宅です。
今日は土用の丑の日ですからうなぎ。
たまにはこんな日もあります。
主婦だからって、時間どうりに何でもしてくれると家人が思うのはとんでもないと、・・・これはちょっと居直りでしょうね。でも夫婦二人の生活になって楽だと思うのはこんなときです。
いつもよりビール一本を多くうちの住人は飲み、さやももの可愛らしさに目を細め、あれこれ二人でおしゃべりをして夜は過ぎていきました。
7月22日(土)
大雨のなかうちの住人は朝早く熊本に出かけました。
時間どおりに着くか、また仕事が終わってから帰ってこられるのか心配しました。
仕事の後、T先生にもお会いすることになっていました。
心配は杞憂だったようで、10時に予定どおりに着くと連絡があり、いつものように「さやもも」を連れて迎えに行きました。
先週、今週と3時間づつの講義でしたが、好きなことを話すせいか、充実していたのでしょう、元気で帰ってきました。
T先生がすっかり年をとられたと驚いて話すうちの住人に、私のほうが驚いてしまいました。もう30年のお着き合いです。私たちだってしっかり歳を取りました。私もうちの住人も髪の毛は白髪だらけ。私は結構バランスよく白髪が有るので気に入ってます。
私が髪を染めたらきっと皆どうしたのと驚くことでしょう。
家に帰り、うちの住人はビールを美味しそうに飲んで、二人であれこれ話しました。
「さやもも」がテーブルの下をボールを取り合って走り回っています。
幸せは時間です。
7月21日(金)
きょうは家で仕事をするために、うちの住人が一日中家にいたので、一人の時とは生活のリズムが当然違います。
もっともお互い今はそれぞれ自分のペースを大事にしていますから、取り立ててどうこうはないのです。
でも、矢張りこまごました事は私がしますから、ては取ります。
食事も一日いれば3食ですし、いつものように一人分だけある物で簡単に作ると言うわけには行きません。
私の友人の多くはこれからご主人が定年を迎える人もあり、かなり自由な生活を楽しんでいた分、いつもご主人がいる生活はどうなるんだろうと戦々恐々としている人もいます。
熟年離婚と言う言葉もするしないではなく、一つの話題としてのぼる事も多くありますし、想像以上に大変なようです。
幸いなことに私の中ではまるっきりそういう不安はありません。
誰よりもうちの住人といるのがリラックスできますし、おしゃべりな私と同じようにうちの住人も話し好きですから一日中でも話して飽きません。
よく勉強するし、本もよく読むし、私と読むジャンルが違うので話を聞くと読まなくても耳学問が出来るので便利です。
最初からそうだったわけではないのですが、二人とも色々な経験を積んで、寛容になって今にいたったのでしょう。
若い頃はもっと二人とも真っ直ぐでしたから、子供たちから見たらけんかをしているように見える議論の毎日でした。
うちの住人も論客ですし、私も負けませんから、二ユースひとつをとっても真っ向からぶつかる議論をしていました。
今思うと、これが私たち流のストレス解消法だったような気がします。
なぜこんなことを書く気になったかと言うと、今日来たダイレクトメールの中にJALの世界旅行特集の雑誌があって、うちの住人が一つ一つ読み上げるたびに私が「行きたい人が行けば、私はパス」といって遊んだからです。
うちの住人と私とさやもも、二人と二匹の毎日のささやかだけど楽しい生活。
ときどき[S]と[K]が帰ってきてくれたら、もうそれ以上何がいるでしょうか。
結婚するとき何が一番大事かを考えました。
     尊敬できる人であること。
     私が大事だと思うことを大切にしてくれる人であること。
結果論として、そのとおりでした。
たまにこんなことを考えるのも良いかもしれません。
うちの夫婦は私がいいから続いていると本気で思っている私も、う〜ん、少しだけどうちの住人も良かったんだと思うところが出てきました

夕方久しぶりに「筋トレ」に行ってきました。
帰りにお魚屋さんによってつまみにうちの住人が好きなお刺身を買って、帰りました。
後は適当な献立。
平平凡凡な一日です。
7月20日(木)
ミシンを買いました。
私が参加している会のバザーのためにどうしても必要にかられてなのですが、ミシンが進化しすぎてかえって難しく、使いこなすのが大変です。
昨日の夜、急にスカートが縫いたくなって家に有る布地で縫ってみました。
簡単なギャザースカートです。ウエストはゴム。
久しぶりの洋裁ですが、手を抜ける限り抜きました。スカートの形に布を切って大体の感覚で縫い上げ、すそだけは同じ長さになるように合わせました。アイロンも壊れて使えないので、縫い目を爪でしごいただけです。
全部を縫い上げてさあゴムを入れようとしたら、ゴムがないのです。
ここで次の日にゴムを買って入れたら、何のために急いで作ったか判りません。きょう、教室にはいていくためですもの。
そこで考えました。ゴムがないなら、紐にしようと。
紐になるものがないか探しましたが、いいものが有りません。上から上着がかかってウエストは見えないので何でもいいからと品物を結んでいたリボンを安全ピンを使って入れてみました。写真で見えてる黒いのが紐です。
着てみたらかなり良い出来です。
きょうルンルンで着ていきました。
その話をすると、完ぺき主義のHさんが思った通り、完成しない洋服を着るなんて考えられないと言い、何でも作るYさんは少しあきれ気味でもTさんほどの拒否反応はなし。もう一人のYさんは私に同調。盛り上がりました。
参加することに意義が有るではありませんが、作り方に意味があるのではなく、着たときにちゃんと出来ていることに意味があると、思っている私としては、大満足のスカートです。
今度はティアードスカートを作ろうと、これはパターンを買ってきました。
今年の夏は後、数枚このスカートを作って夏の暑さを乗り切るつもりです。
7月14日(金)
先日[S]が久しぶりに帰ってきました。
私もうちの住人も嬉しくて、二人ともいろいろ有った予定をすべてキャンセルして待ちました。
横山秀雄さんの「はんおち」が読みたくて、[S]に頼みました。彼はほとんど横山さんの作品は持っていて、今までにもたくさん借してくれたので大丈夫だろうと思っていました。
「はんおち」はもちろん全部で10冊ほど持ってきてくれました。全部面白そうです。
また読む本が増えました。嬉しい悲鳴です。
[K]は私の理想、読みたい本は何でも買うと言うことを実行しているのかもしれません。
もっとも仕事が忙しくて読み時間は限られているでしょうが、両親に似て本のない生活は考えられないのかもしれません。
[S]がいるあいだ3人で食べてばかりいた気がします。体重計に乗るのがちょっと怖かったです。
あっというまの2日間でした。今度はお正月でしょうか。
夏、「K」が帰ってこれたら、嬉しいのですが。
7月9日(日)
お昼過ぎ[K]から電話がありました。台風が来て長崎大変そうだけど大丈夫?と思ったらしいのです。離れていると長崎という言葉を聞くと気になるらしのです。ありがたいと思います。[K]にとってのふるさとは今は私たちが住んでいる長崎になるのでしょう。
そろそろ生活環境にもなれてきたでしょうし、仕事も順調のようです。
声を聞いているだけで嬉しくて、親は単純だとまた思いました。「かけてくれてありがとう」と言って電話を切りました。
明日は[S]が帰ってきます。泊まっていくと言うので嬉しくてたまりません。
3月以来ですから、うちの住人もうきうきしています。
きょう、うちの住人は仕事の帰り、足を伸ばして福岡まで出て[S]の好きな「辛子明太子」を買ってきました。水羊羹も美味しいのを買ってきました。
親ばかと言ってしまえばそれまでですが、そうやって[S]の帰りがどれだけ嬉しいかを、形で見せているんだと思います。
人って思いを伝えるのに言葉や行動で表す知恵を使うすべをしっているのですから、大いに使うべきでしょう。
以心伝心はまた問題が別だと思います。
親子・夫婦・友人・知人、大切だと思へば思うほど、表さなければ伝わらないものだと私は思っています。
7月7日(金)
スタジオ・ジブリが映画化した「ゲド戦記」、久しぶりにぱらぱらとめくって見ました。もう40年以上前に読んだ本ですから、ほとんど忘れていました。
読みながら、ハリーポッターの作者も子供の頃読んだだろうなと思いました。
ナルニア国物語・指輪物語・アーサー王物語の聖杯伝説や騎士伝説・マザーグース・その他たくさんのファンタジーと歴史の本・そして聖書を彼女は子供の頃からたくさん読んだことだろうと思います。
そういう蓄積があのハリーポッターの中にすべて注ぎ込まれているからこその面白さだと思うのです。
私たちが古事記・源氏物語・枕草子・奥の細道・方丈記等々どこかでその中の話や文章を教養としてではなく、なにげない言葉の中で使っていることが大きくいえば日本の文化の層を作っているのではないでしょうか。。
子供たちが読み継ぐ本がどれだけあるかが、大げさでなくその国の将来を決める大きな要因になると私は思っているのです。
私は家から出たとき本屋によらないということは有りません。必ずのぞきます。
歩いていける距離に本屋がなかったことが一度もない環境でした。生まれたときからずっとです。
今は必要にかられて古書店で買うことが多いのですが、好きな本を好きなだけ買えるというのが私の理想の生活です。
程遠い生活ですが。
7月6日(木)
ちょこっとテレビに映ることになりました。
友人のYさんがずっとライフワークとして続けている仕事で関わっていることがテレビの番組でドキュメンタリーとして取り上げられることになりました。
彼女の公の部分の対極として、プライベートな時の彼女の笑顔が撮りたかったらしく、私たちが皆で楽しく笑い転げているところを撮りたいというのです。
聞いた時はとんでもないと思ったのですが、よくよく考えたら彼女が私たちを指名してくれたということは心許した友人と思っているわけですから、その思いに答える必要を感じました。
ランチを取りながら、ただいつものように勝手なことをいいあって、笑い転げていただけでした。
そんな私たちをカメラが時々撮っていました。
さすがプロです。邪魔にならないように、上手に撮ってました。
Yさんは本当に素敵なひとです。
彼女の活動もすごいのですが、私はそれ以上に彼女の家族に対する思いを尊敬しています。
もっとも、Yさんだけでなく、もう一人のYさんもすごいですし、きょうは病気でこれなかったHさんもそうですし、家業に励むIさん、子育て真っ只中のGさんとIさんもそれぞれ素敵な人たちです。
私にないものをいっぱい持った彼女たちと一緒の時間を過ごせることは本当に幸いなことだと思っています。
7月4日(火)
毎日のように雨が降っています。
今日はいい天気だから洗濯物が干せると外に干したら、ちょっと出かけた間に雨、よく聞きます。
それくらい天候が不順。
スコールのような雨がふります。
大掃除をすると言い出してからもう数ヶ月。体調不順、その他諸々のわけありで、のびのびになっていますが、やっと少し手を付け出しました。まだ微々たる物ですが、動き出しただけよしとしようと思います。
ただ、右のものを左、上の物を下に動かしているだけのような気もします。
今も夕ご飯を食べてから、パソコン関係のものを片付けていたのですが、捨てるものは少ししかありません。それでは困るんです。
今有るものを半分処分したいと思っているのに。
しないよりまし、やっていくうちに少し見えてくるだろうと思ってがんばってみましょう。
うちの姉たちの整理整頓能力がなぜ私にないんでしょう。私にも両親の働き者の遺伝子はあるはずなんだと思うのでうすが。
7月3日(月)
太極拳が終わって、さて夕食に何を食べようかと思いました。きょうはうちの住人が家でご飯を食べないから買い物なしで家に有るものです。ひらめいてカレーうどんを作ることにしました。
我ながらその出来栄えのよさにほれぼれ。今まで食べたカレーうどんの中で一番美味しいと思うヒット作でした。
そうなんです。私あるもので何かを作るのはすごくうまいんです。
私がやる気を出したときは仕事がバンバンはかどります。問題はそのやる気が何時出るかということなんですが、いま少しそのやる気が徐々に大きくなっている気配を感じます。

お腹もいっぱい、あとはさやももの散歩だけが残っています。
7月2日(日)
今日はちょっとしたことですが嬉しいことに気が付きました。
午後は家に一人でしたが、なんとなく紅茶が飲みたくなって一人分ポットで作りました。
、ポットを暖め、一人分の大すきなダージリンの茶葉をいれ沸かしたお湯を注ぎいれ、ゆっくり蒸らしていい色に入りました。
お気に入りのカップにたっぷりの紅茶を注ぎミルクもたっぷり入れて飲むそれだけのことなのですが、気がついたのです。
最近家に一人でいるとき紅茶をきちんと入れて飲んでなかったことを。
うちの住人と二人のときは飲みます。昨日も二人で飲みました。
コーヒーを飲まない家庭で家族がそろう夜10時のお茶の時間には必ず紅茶を飲んでいました。
お店でもコーヒーより紅茶を頼む紅茶大好き人間なのに、家にいるとき自分のために紅茶を入れなかったのは、自分で思っている以上にある部分の心の余裕がなかったのかも知れません。
「打って出る」そうなんです。
そう思ったことがとっても心を自由にしてくれたんだと思います。
紅茶を飲むという単純な行為が無意識のサインとして、私にもう大丈夫と知らせてくれた気がします。
些細なことですが、私にとっては限りなく嬉しいことです。

2006年4月5月6月ヘ