日々の思い

日常の中の幸せ
些細であってもその積み重ねが人を幸せにしてくれると信じて

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12月

2月31日(月)
今年もいよいよ最後の日になりました。
思うがままに書きしたためた「日々の思い」をお読みくださりありがとうございました。
今年も色々な事がありました。
入院手術に象徴されるように今年は結構アクシデントがありました。還暦、年女、金のぶたの年等々面白そうな年になるとは思っていましたが、結果論としてやっぱり面白い年でした。色々な意味で。
60歳という年が還暦といわれる意味を実感しました。体調、気力ともに下降期にあることは確かです。老いに向けて、加速度はつきます。
今年は本当にことの多く年でした。辛い時間も過ごしました。
新しい年は、20代の希望に満ち、夢を沢山語りあったあのころに戻りたいと思います。
自分がどんな人生を望んでいるか、今年はそのことを考えさせられたと思うからです。


一年間お世話になりありがとうございます。
新しい2008年が輝かしい優しさに満ちた年になるといいなと思っています。
読んでくださったお一人お一人に感謝し、どうぞよいお年をお迎えくださいますようにお祈りいたします。
12月29日(土)
もうあと少しで今年が終わります。
還暦だ金のぶた年だとなんだか浮かれている部分もかなりありました。
でも、一年を通していえることは入院手術をいうこともありましたし、なんだかとってもことの多い一年でした。ぎっくり腰で動けないお正月からして、その予感はあったのですが、しっかりあたりました。
いい事も悪い事も一杯。
去年がひどかったので、今年はという思いがひとしお強かったのですが、次から次に心いためる事も多く散々な一年だったといってもいいような気がします。辛い事も山ほどありました。
仕事上のことは言えないことが多く、自分の胸に収めるのが、だんだん年を重ねるにつれ疲れを感じるようになっています。

自分の生活上のことは何も不満はありません。この数年、楽で、楽しい時間を一杯満喫しているのは間違いありません。
ただ困った事に私が持っている遺伝子は自分が楽しいとか、物があるとかいうことだけでは満足しないものがあるようです。だから、こんなことを言うと誤解されそうですが、今の生活に飽きました。
確かに物が豊かであるという事はある面幸せな事ですが、慣れすぎると人を退屈にするような気がします。
私が大事に思っていることは、もっと精神的なもので、それを人と共有する事なのです。
この数年でそれがよくわかりました。
この所、夫婦二人で好きなことをしてきました。楽しかったです。でも、もう十分でしょう。
私は何にも要らないのです。
子供たちが元気に自分の好きな仕事にいそしみ、うちの住人が初心を忘れないでがんばってくれたら、それだけでいいんです。

この頃わずらわしい事はできたらさけたいと思っていました。
「受けてたつ」と「夢の世界に生きる」
この相反する精神が私の真骨頂。
「夢の世界で生きる」がこの所勝っていて、だからできるだけずるして気がつかないふりしてわずらわしい事は避けていた気がします。
この数年、見た目の元気さと違って、そうしなければ自分の精神の安定を保つのが難しかったといってもいいかもしれません。

多分いつか書いたと思うのですが、本当の意味で引きこもりたかったんです。
人に気を使うのがわずらわしくて、独りになりたいと心底思っていた時があったのです。
してみたかったです。
でも、そのときは過ぎました。
「打って出ます」
初心に戻ります。
この文章を書いてすっきりしました。
これでもオブラートに包んで書いています。だから私は下手な小説家にもなれません。才能が有るとか無いとかの問題ではありません。それ以前の問題です。
12月28日(金)
ジムのエステであかすりをしてもらってきました。
「あかすりで今年の垢を今年落として新しい年を迎えよう」というキャッチコピーにくらくらと来て行ってきたのです。
12月はとてもよく働いて、自分をほめてあげたいと思っていたので、ご褒美として飛びつきました。朝だと割引になるので、もちろん朝の予約を取りました。
お風呂にゆっくり入った後だと、ごしごしとよく垢が落ちるようです。係りの人も何人かいるのですが、一番上手な人だったのでラッキーでした。こういう情報はジムの人と仲良くしているとなんとなく教えてくれるものです。
気持ちよく、幸せな気分を味わいました。
ついでに髪きりにもいって来ました。シャンプータダ券を持っていけばカット代1500円。お店も気に入ってます。
これで新年を迎える事ができるといいたいところですが、年賀状がまだほったらかし状態。

今日、明日、家の掃除をばたばたとして、まあ見られる状態を作りましょう。
来年の目標。今年と似たり寄ったりですが「シンプルライフ」  でもかなり本気です。
60歳になるという事はある意味、人生の区切りをしなければいけないという気を真剣に起こさせます。
今まで大事にしていたものも、もうそろそろ少しずつ処分してもいいかなという気になるものです。
多分、もっと大事なものがあるということがわかってくるからでしょう。
どんなことにも時がある、あわてる必要もなかったのです。
12月27日(木)
クリスマスも終わり、年末だよーという風が我が家にも吹き始めました。
少しは掃除などもして、子供たちが帰ってくる日を迎えようと気持ちだけはあるのです。ただ11月の入院手術に代表されるように今年は心身ともに不調続きで家のことは後回しでしたから、さんさんたる物です。もう忘れていますが、1年前大晦日の午後腰を痛めて大変でした。それがずっと色々な形で不調のもとなのですから、また今年やると大変です。
少し中腰でいると腰がてきめん痛くなります。
やっぱりざっとして、家族には目をつむってもらいましょう。

21日に書いた高校生の事、あの子達を見てあることを思いだしたのです。
20数年前、バブルの真っ只中、町のあちこち、地上げで大変でした。私が住んでいた家もそうでした。
子供の学校で、それほど親しい人でもない人が寄ってきて、「家を売るときには声をかけてください」といわれた時にはびっくりしました。うちは社宅で、私たちでどうこう出来るものではないのに、どうも持ち家と誤解されたようです。
繁華街の中心でお店をしていた友人も、すごい地上げにあっていました。ビルの持ち主が賭けゴルフで財産を失い、そのビルも手放さざるを得なくなってわけです。そのころあそこもここもと引っかかって有名なお店が看板を下ろしていました。全て賭けゴルフで身代をつぶしたとか。2代目3代目になると苦労知らずで、意図を持った凄腕の人たちには太刀打ちできなかったようです。
有名な船場の料亭がお詫び会見をしていたあの若社長の姿が、あの時の若い社長たちの姿にダブります。
学校の役員を颯爽としていた人たちが、危ない人たちから狙われて誘い込まれ人生を棒に振、ってしまったわけです。いつの時代も誘惑はあるわけで、覚せい剤でつかまる人を見るたびに、問題は違いますが彼らを思い出します。

私はよくその友人のお店に遊びに行っていました。彼女は私より20以上は年上でしたが、商売以外は私のほうがお姉さんのよう。面白い人でした。
その筋の人が彼女の店を早く立ち退かせようと毎日のように来てました。
そんな場面にたまたまであったのでした。
見た目穏やかそうな、言葉使いもきれいでした。ただ、なんとも知れない凄みがあります。もう一人見るからに切れそうな、俗に言う「チンピラ」と呼ばれる人が一人ついてきていて、役割分担ができているんでしょうね、絶妙の間合いで怒鳴り散らすのです。それも普通の人は言わないようなひどい事をわめくわけです。そうすると兄さん風の人がまあまあとなだめ、、謝りながら、うちにはこんなのが一杯いて、暴走する事があるんですよ、はっきりいってそれがおどしになるわけですね。
下手な小説より面白いといえば面白いのですが、そばで聞いていて怖かったです。
私の友達はそんな脅しにビクともしないから凄いです。
こんな事をその高校生たちを見ていて思い出したのです。
そのときの「チンピラ」とオーバーラップしたのです。言葉遣い、行動、におい、あのときの切れ掛かった若者の雰囲気にそっくりでした。

いつの時代も格差はあります。
経済格差。確かにいいことではありません。福祉も大事です。
無いよりはなんでもあったほうがいい、でも全てを失っても人が人として立っていることができるもの、それは何なんでしょう。
12月21日(金)
100円ショップが何周年かの記念に福袋を出していたので、買ってみました。
7品ほど入っていました。
私はもともとあまり100均では買い物はしません。安いものを安く買うのは私のポリシーに反します。でもこういうお祭りごとは好きです。最初から、どんな変なものが入っているかを予測するのは楽しいものです。予想にたがわず変な面白いものがあって笑いました。
今女の子が好きな何とかという変身物の貯金箱  150mのビニールの紐  クリスタルデコジュエリー   ディズニークレヨン18色
豹柄ミニバック  ディズニーストーンステッカー   水に流せるティッシュ16組  以上
これ全部で105円です。

いくつか用事を済ますために出かけたのですが、途中で今まで見たこともない品のない10数人の高校生のグループに出会いました。 
今までだって、ちょっとひどいと思う学生に会ったことがありましたが、こうも品がなく目をそむけたくなる学生は初めてです。
最初、修学旅行生かと思いました。旅の恥は掻き捨て的にひどいのかなと思いましたが、薄っぺらなかばんを持っていたので、地元だとわかりました。
もう9年長崎に住んでいますが、初めてです。
女の子の制服なら後で人に聞けばどこの高校かわかるでしょうが、男の子はは同じにしか見えないし校章なんかもつけていないしでわかりません。
高校生に品がないう言い方はおかしいかもしれませんが、人間はそこまで傍若無人にできるものなのかどうか不思議です。
いっそ組のものですといったほうが、そうかと納得できます。
着ている物、体の動き、言葉、どうすればそこまで自分を貶める事ができるか私にはわかりません。
人それぞれというものの、悲しくなりました。
大人が尊敬できないから子供が見習っているという事なのかもしれませんが、だめです。もっと自分を大事にしなければ。
今は学生という甘えがあるのでしょうが、そのまま社会に出たら泣くのは自分でしょう。
12月16日(日)
1週間書いてなかったんだと今日気がつきました。
書く事で自分の心を見つめなおす傾向にある私としては書こうという気になれない状態がいい事かどうか微妙な気がします。
お昼8人ほどで食事に行きました。中華です。みんな自分の好きなものを頼んだのですが、人の食べているものが美味しく見えて、結局少しづつ交換して食べました。中華はそれができるから好きです。
支払いになって財布を見たら千円札が一枚だけ、支払いをしたらすっからかん。昔はよくあったことですが、最近は珍しい事です。
今は日曜日でもお金は下ろせますが、結局そのままで明日一番に銀行行きです。今月は集金などはいつもより早いでしょうし、お金が手元に何もないという状態はやっぱり心細いものがありますね。

友人と久しぶりにお茶して長々しゃべってました。
うちの住人は帰ってこないので、一人あるもので夕食を済ませ、見るともなくテレビを見て、だらだらとした夜が過ぎていきました。こんな風にだらだらするのはもうおしまい。
明日からはちょっとがんばろうと思っています。
12月10日(月)
教室の先生にお願いしたものを受取りに行った帰りYAさんと偶然出会いました。
彼女は食事、私は食事を済ませていたのでお茶という事で、いつもの店にGOです。
お孫さんが肺炎で入院ということです。小さいこの病気は心配なものです。早くよくなられるといいですね。
色々な事を話しました。
50歳を過ぎてこんなに心許す事ができる友達ができるって本当にいいなと思います。
子供が小さいときはその縁で結構いい人間関係を作ることは可能ですが、歳をとるとなかなかできるものではないと言うのは転勤する人ならよくお分かりだと思います。
長崎で沢山のよい人間関係を持てること、本当にありがたいと思っています。感謝!です。

東京の[K]から電話です。
お正月に帰ってくる飛行機の切符が取れたそうです。最初元旦に帰って来るといっていたので、[S]もそれにあわせて元旦に帰ってくるというので私とうちの住人はとても楽しみにしていました。
ところが切符をとって見ると31日に帰ってきてお正月の2日に帰る便しか押さえらえらなかったそうです。
ちょっとがっかりです。[S]は31日は仕事で泊りだといっていたので、元旦こちらに来るのは夕方を過ぎるで事でしょう。
でも、贅沢を言ってはいけませんね。帰ってきてくれるだけでも、うれしい事なんですから。
今からうちの住人のあれも、これも、それも、用意しよう攻撃に私はさらされます。
[K][S]に食べさせたいものをきっと一杯買うことになると思います。
親って、馬鹿だから自分が食べないでも子供たちが美味しそうに食べる姿を見るだけで十分なんですよね。
ただ、私、残念ながら料理の腕が落ちてます。
料理は食べる人しだいです。
私2008年の目標の一つに料理の腕、復活を掲げる事にします。

ババクラブのお誘いを受けて、明日出かける予定でした。お土産にお花を持っていこうと4人分のアレンジを作ろうとお花を用意したのですが、来週の火曜日だった事がわかりました。
私、明日だと思い込んでましたから、聞かなければ明日の朝いそいそとアレンジを4個作って待ち合わせの場所に出かけずっと待っているところでした。
これで予定変更。明日はお仕事をする事にします。報告書を作ってしまいましょう。
12月8日(土)
あと3週間ですね、今年も。
今までばたばたと時間が過ぎ、生活が過ぎていったので、この所ゆっくりした時間や、生活を楽しむ余裕がなかった気がします。
12月行きたかったところがいくつかあるんです。
11月の誕生日イブで出かけたハウステンボスにもう一度、福岡のクリスマス・イルミネーションを見にも行きたい,佐世保のイルミネーションも見たい、等々です。
行けたら良いなと思っていると、時間ができるかもしれません。

年の瀬を迎えて、ちょっと今年一年の家計を改めて見直して見ました。
行き当たりばったりの部分が多いなあと反省しきり。
有っても無くっても一緒というのがどうも我が家のポリシーで、そろそろそのポリシーは変えないといけないなと思います。
たぶんに必要なものはどうにかなるよと、私もうちの住人も思って今まで来たのです。
この考え、年季が入っているのでなかなか変えるのは難しいですね。
つまり、できなかったときは必要でなかったという事になり、しょうがないわねと思うわけです。
気楽といえば気楽、いい加減といえばいい加減。
若いときは良いけれど、これからの老後を考えるとちょっとその計画性の無さは命取りかもと思ってしまうわけです。
うちの住人が来年からパソコンで自分のお金を管理すると言い出しました。簡単なソフトが無いかなというのです。こういう時ネットの無料サイトから探せばいいのでしょうが、そのソフトが本当に使っていいものかどうか自信がなくてインストールできません。
うちの住人の志は正しい。私もあやからねば。
12月6日(木)
今日、うちの住人は福岡で人と食事をして佐賀に泊まる予定でした。
所が夜、電話があり電車を寝過ごして肥前鹿島を過ぎたので帰ってくるというのです。
明日朝始発の特急で出かけるとの事。
乗り過ごしたのは学生時代から今までを通し、生まれて初めてだといって帰ってきました。
無意識に帰りたいと思ったのかなあとつぶやいていました。
今日は福岡で一番といわれるおすし屋さんで、好きな先輩と飲んで良いお酒だったので、乗り過ごした事もそう苦にならなかったようで、これがきりきりする仕事のときだったら、こうはいかなかっただろうとほっとしています。

ひとしきり話したら明日早いから寝ると言ってさっさと寝てしまいました。
美味しくビールを飲んで、わたしと話して、よく寝ることがうちの住人の元気のもと、かも。
12月5日(水))
「POEM HOUSE」の涼さんが「クリスマスキャロル」について書いてらっしゃるのを見て、うちの住人とはじめてみた映画が「クリスマスキャロル」だった事を思い出しました。でも、うちの住人と何でその映画を選んだかちょっと不思議で、あれっと自分自身思ってしまったのです。それからずっと、ある二人のことを考えています。
その映画は私の後輩のKちゃんとうちの住人の後輩のNくんと一緒に見たんでした。彼らがどうしても見たいといって違う映画を見たかったうちの住人が譲ったのです。
この4人は出会ったのも付き合いだしたのも一緒でした。
色々な事があって、それぞれ結婚にいたりました。
ちょうど[S]の出産で実家に帰っていたとき二人の結婚式があって、出席した事も思い出しました。素敵なウエディングドレス姿で最高に輝いて彼女は幸せの絶頂でした。
Kちゃんはとってもいい子なのですが、とっても意地っ張り。時々心にもない意地を張ってN君を困らせていました。
付き合っているときも別れるの別れないのと大騒ぎを何回したことか。そのたびに私たちはそれぞれ引っ張り出されて相談を受けていました。
面倒見がよくて、みんなにとても好かれ、彼女がいるとその場所がとっても明るくなるのです。
ところが、一番大事なN君にたいして時々それも大事なときに意地を張るのです。
N君が仕事上で苦境に立ったとき彼女がN君を一番信じていたのに、彼女独特の毒舌を浴びせてしまったのです。
それからお互い一番大事な人だとわかっているのにおかしくなりだし、別れてしまいました。
周りはなぜ別れるのか理由がわかりませんでした。。
二人はお互いを生涯一人の人と思う純な人でした。
Nくんは一人になり別れた家族に経済的支援をするためにめちゃくちゃ働きました。
二人の子供はKちゃんが引き取り、持って生まれた明るさが周りの人間には救いであると同時に見て辛いものがありました。
両親の離婚は子供たちには納得のできないものだったようで、特にN君が送ってくるお金がかえって災いしたとしか思えない自立できない子供になってしまったのです。子供の事ではKちゃんは苦労しました。
私たちは周りから見ていて復縁を考えたらどうだろうと思っていましたが、一度掛け違えた家族の心をまた一つにするのは不可能だったようです。
時が流れ数年前,Kちゃんは病に倒れ、亡くなりました。
私は友人から今のうちに会っていたほうがいいかもしれないと連絡を受け、すぐ駆けつけました。
残念ながら病院に着いたときは間に合いませんでした。
私は家に電話を入れ、喪服を持ってきてくれるようにうちの住人に頼みそのままホテルを取りました。

ずっと意地でとしか思えないN君との再会を拒否し続けた心に折り合いをつけて、二人の恩師に仲介を頼み、病床で家族4人で会ったと聞きました。
その恩師の方から、そのときのKちゃんの顔はとても穏やかないい顔だったとも聞きました。その話はお通夜の席でN君からも聞きました。涙が止まりませんでした。Kちゃんが意地を張らず、別れたくないと泣き叫べば、N君は決して家を出なかったのに。今でもそう思っています。
お通夜の席でも、お葬式の席でも、気を使ってすみのほうに座っていたNくん。二人を知っている人間にとって、その場所にNくんがいると言う事がKちゃんに対する一番の供養だという事。いてくれてよかった、そう思います。

弔辞を頼まれましたが、Kちゃんを語るとき,N君のことを抜きには私は語れないからとお断りしました。
私はKちゃんのお兄さんのSさんと仲間だったのですが、いつのまにかKちゃんは私の妹分のごとくなり、Kちゃんのお兄さんという立場にいつの間にかなってしまったとSさん言われ、二人で笑ったことがあります。
私もかなり意地っ張りです。いやだと思ったら、終わりというところがあります。
でも、大事なものを失いそうになったら、見栄も外聞も捨てます。そう思うのも、あまりにも壮絶な彼女の意地の張り方を見てきたせいかも知れません。
「クリスマスキャロル」からどんどん思い出が広がります。

「クリスマスキャロル」の映画覚えてると、うちの住人に聞くと「覚えてるよ。僕は映画をあまり見ないし、あなたと見た映画はそれだけでしょう」と返事が返ってきました。KちゃんとNくんの事にはお互い触れませんでした。
12月4日(火)
今日は長男[S]の誕生日です。
6月と12月の二人の子供の誕生日、私はとても敬虔な思いにかられます。二つの命が与えられた事に対して深い感謝を覚えます。どちらのときも、大変でした。今思うとそんな思いをして良かったと思っています。
子供が与えられるという事は決して当たり前でないという事を心から思い知らされるからです。
成長し自分の道を自信を持って歩く子供たちを見て、親として自分たちがこれから生きる時間の自由をもらったという感慨のようなものを感じます。
これから私とうちの住人は好きな道を好きなように二人で寄り道しながら歩いていいんだとそんな感じです。

私とうちの住人はかなりの親ばかです。
[S][K]の話を二人ですればいくらでも幸せになれます。何度も何度も同じ話をあきもせず、うちの住人は酒の肴に、私はそのお相伴にしらふでお相手。
子から見たらどういう親だと思っていることか。
「本当に私たちのところへ生まれてきてくれてありがとう」

いつものようにゆっくりした夕食を終えて
今日は8時から普段見たこともない「学校へ行こう」を見るために二人でスタンバイです。
新体操で今年3冠を狙う神崎清明高校が今日の主役と聞いたからです。自分たちがよく知っている人が出るというのは不思議です。残念ながら3冠は逃しました。もっともリアルタイムではなく国体そのものが終わっているわけですから、結果はわかっていたのですが、知らない気持ちで見ました。
はらはらどきどき、それを見てきっと心で泣いて、みんなのことを考えて顔では笑っているだろうAさんを思って、私は泣きました。
みんながんばってるんだ、あんなにがんばってるんだと思うと、背筋が伸びます。
泣き言なんていってられないと思ってしまいます。
でも彼らに勝たせたかった。

11月

11月30日(金)
「筆グルメ」を使って、会合の案内と申込書を往復はがき20枚作るのに大変な思いをしました。
ソフトを使えば簡単、と思ってぎりぎりまでほったらかしていた報いを十分受けました。ソフトを使いこなすまでがたいへんですね。単純に表と裏の二回印刷すればいいなんて思っていたのです。4面別々に印刷するものなんです。知りませんでした。
年賀状の宛名はもちろんソフトを使っています。はがきの宛名書はソフトを使うのは普通ですものね。ソフトは
勉強になりました。
最初の一枚を失敗して予備がなかったのでまた郵便局行きです。

買ってきた往復はがき、4面に分けて印刷しました。今回はスイスイです。
携帯電話もそうですし、パソコンも、ありとあらゆる電気製品の機能をどれだけ使っているかと思うと多分微々たる物です。きっと。
こうやってパソコンも自分が必要なものだけはできる、結構自慢なんです。若い人ができるのは当然としてもまだまだ私の世代は扱ったこともないという人が結構いるんですから。任天堂DSになるともっと少数です。

サイトを転送した後、そうだ今日で11月が終わるんだと気がつきました。
という事は明日は当然のこと、12月なんですね。
あれ〜〜〜、という感じです。今年は金のぶただ、還暦だと騒いでいるうちに終わってしまうのは困ります。
1ヶ月のうちに、すべき事はしてしまいましょう。
11月29日(木)
60歳の誕生日のお祝いに色々な方からプレゼントをいただきました。今回は私の好きなお花を特にたくさんいただいたのですが、写真を取り忘れたものもあり、くださった方に申し訳なく思います。
豪華なシンピジュームは病気療養中のHさんからのプレゼント。届いた時はびっくりしました。こんな豪華なシンピジュームが我が家の居間にあるのは不思議です。眺めては彼女に話しかけるごとくにお花に話しかけています。
右の薔薇はお花の先生からの頂き物。水をスプレーしてからフラッシュをたいて写したら水玉がはっきり写るんですね。
上の薔薇は教室のお友達から今日いただきました。
私の大好きなピンク、そのピンクの色ばかりの薔薇を集めた素敵なアレンジです。
お昼も美味しいものを沢山ご馳走になりました。いい仲間です。
ここにHさんがいたらいいなと思ったのは、私一人ではなかった事でしょう。
皆さんありがとうございます。
11月28日(水)
このところ自分のことにかまけて、家事を何にもしなかったので、家の中がすごい事になっています。
食べる事だけはやっていますが、ほかの事はずっと目をつぶっていました。
今日少しだけ手をつけてみました。疲れました。
うちの住人はゆっくりやったらいいといいます。
お言葉に甘えているので、当分人を家の中にどうぞとはいえるものではありません。
だから、お見舞いにいきたいといわれても、来てくださらないほうが私にはお見舞いです。
お気持ちだけでうれしいので、どうぞ我が家までこようとは思わないでくださいというのが遠慮でもない正直な気持ちです。
まだ重いものを持ちたくないので、あれを動かしこれを動かしというのはもう少ししたくないのです。万が一、重いものを持って腸が飛び出したら大変よと、この前、人におどかされたばかりなんです。
検査結果も白で、後は少しもともと調子の悪かった部分も含めて体調が戻るのを待つだけなんです。
11月27日(火)
今日は昨日に引き続き病院デー。歯科と内科にお出かけです。
歯のほうは今のまま様子を見ようという事で落ち着きました。内科のほうは手術と検査結果の報告です。

今回本当にたくさんの人に心配をかけてしまいました。
特に家族は当然の事として心配したことでしょう。
[S]にも検査結果はすぐメールを入れておいたので、仕事が終わって電話をかけてきました。
今回は手術前夜、、手術当日の夜と往復何時間もかかるのに来てくれました。忙しくて時間を作るのが大変なのがわかっているだけに思いもかけないことで、心強い事でした。多分、うちの住人もそうだったと思います。家に帰って、その話になったときお互いちょっとうるうるでした。家族は誰が病気をしても、かけても辛いものです。
今回、もしかのときのことを考えると病気そのものより、手術の大変さがたまらないと思って辛かったのです。
所がそう思いつつ、私は本当の辛さはわかっていなかったようです。
[S]の仕事はそういうことが専門で、手に取るごとく何をするかがわかっていたわけです。
良かった良かったと心から喜んでくれたのは、その手術の大変さがよくわかっていたからだったのです。
「もし、その手術をする事になっていたら、お母さん今回の手術の100倍は辛かったと思うよ」というのです。
今回でもあれだけきつかったのに、その100倍となると想像を絶します。
今回の結果、感謝以外の何ものでもありません。
11月26日(月)
ポリープ良性でした。
ご心配をおかけしてすみませんでした。
正直ほっとしています。
今の体調不良を一日も早く治して、元気になろうと思います。
ジムにも通い、健康には十分気をつけようと思ってから、数年。所が次から次に出てくる病気。長い間の積み重ねの原因はなかなか正常には戻ってくれないようです。
でも今回の事で、身にしみました。
病気は体と心と経済を直撃します。
老後、年金暮らしになったとき、こんな調子で病気をしていると暮らせません。
今回その事も身にしみました。
11月25日(日)
とってもとっても大事な書類を一枚、これは大事だからと別にしまっておいたら、わからなくなってしまったのが運のつき。転がるごとくあれもこれもと問題発生の日々。別にそれぞれの問題に関連があるわけでは何のですが、私のいい加減さが一つの原因である事は間違いなし、です。
言い訳としてはその頃、ちょうどパソコンがどうしようもなくなっていて、よくなったらきちんとしようと思っていたというのが本当のところだったのですが。
パソコンが使えるようになってさあと思ったら行方不明。ずっと探してました。まだ、出てきません。
でも、ちょっと方向転換をして考えて、やっとどうにかできるめどが立ちました。
来年、請けている仕事も、準備を今週一週間でやって、年明け早々にまとめるという手順もつけました。
もう一つあるのですが、それは年があけて考えようと思います。
11月23日(金)
ご心配をおかけしました。
やっとパソコンの前に座る元気が戻ってきました。
手術、辛かったです。ちょっと甘く考えていました。
内科で普通なら内視鏡を使って取るんだから簡単と思ったのが間違いです。
逆に内科で取れないくらい大変だから外科に回されたと思うべきでした。何時間もかかる手術と手順は同じで全てがなされるのですから、当たり前なんですが。ただ手術時間が長くないというだけでほかはまるっきり同じ。
朝一番の予定が最後にどういうわけかなったのが不運のはじまりでした。36時間水分補給ができなかったのが一番辛かったです。物を食べられない事なんて水がほしいという欲求には比べものにもなりません。考えてみると今までの手術の後誰かが付き添ってくれました。今回は簡単という思いがあって考えもしませんでした。
おまけに夜は睡眠薬を飲んで寝るんだと思っていました。これまた水分が取れないから飲めないとなり、それでは注射でというと指示が出ていないのでできないと拒否され唇かさかさ辛い夜を過ごしました。
それもこれも「ポリープを取るくらい簡単な手術」という私の勝手な思い込みが原因です。
ポリープといっても5センチくらいの大きさを切り取ったようです。私は見ますかといわれて見ませんでした。うちの住人が見てすごかったといっています。
もっとしっかり準備しておけばよかったんです。
良い勉強でした。
所がこれで終わりではないのです。家に帰って立ったり座ったりしていると頭が痛くて痛くてたまりません。
寝ていると楽になるのです。
麻酔が原因で10人に一人ぐらいにそういう症状がでるそうです。吐き気がある場合は病院で点滴、そうでなければ水分をたくさんとって寝ている以外ないといわれ安静状態です。
病院では寝てますから、そういう症状は出ないんですよね、当然ながら。家に帰れば少しは動きますもの。
それで元気になればめでたしめでたしなのですが、付録がついてしまいました。
耳鳴り。
頭の痛みが取れ始めたころテレビの音が変に聞こえ始めたんです。
耳ざわりなんです。
寝ている人間にとって、テレビは時間つぶしの友。
うちの住人の声も変、耳の中がおかしくなってました。ガーン、です。
外から聞こえる音に対して耳が反応するのはすぐ収まりました。少しはありますが、気にしなければどうという事もないレベルです。
ところが自分の話す声には異変があってエコーが付くんです。
マジちょっとだけ、おしゃべりな私が無口になるように天の声かとさえ思いました。
でも、私にしゃべるななんて無理に決まってます。
電話が一番いけません。電話だとやまびこ状態で自分の声が返ってきます。

手術の前に仕事上で生まれて初めてといってもいいような切れ方をしたり、気になる事が山済みの上、手術後の疲れ、ポリープの事も心のどこかでやっぱい気にしているのだろうと思っています。
人間の体は限界を超えそうなとき色々な信号を出してくれるんだと思います。
耳鳴りはストレスからくるものと思っています。
ずっと続くようなら来週、耳鼻科に行ってみようと思っています。
ご心配をおかけしましたといいながら
まだまだご心配をおかけしてすみません。もうしばらくお付き合いください
11月15日(木)
いよいよ3日間入院手術の日がやってきました。
手術そのものは外科手術の中でもっとも簡単なものでしょう。
ちょっと気がかりがその後のポリープの検査。
良性であればそこで無罪放免。
万が一のときはそこから長いお話が始まりそうです。
そうなりませんようにと正直祈っています。
とにかくがんばってきます。
行ってきます。
11月12日(月)
入院に必要なものを買いに出かけました。日数が長くないのでたくさんではありません。それでもいくつか必要なものがあります。
銀行や市役所にも用事があったので結構時間がかかって疲れました。
カフェで休もうと思って寄ってレジに近寄るとお年寄りだらけ。時間がかかることを覚悟しました。でもなんとなく雰囲気が違うんです。知的障害者の方たちでした。年配の知的障害者の方たちがグループで一緒にお出かけの場面に出会ったのは初めてです。若い人たちが何人もでお世話をしていました。長崎にそういう施設があるのかもしれません。
席も偶然私が挟まれる形になりました。私は気になりませんが、お世話をする方がとても気を使っていました。
誰だってにぎやかな町に出かけてお茶するのは楽しいはず。気を使わないで普通に何でもできるようになると良いなと思いました。
フェブリノゲンの薬害問題を見るたびに、30年近く昔輸血を沢山して、私も何らかの血液の病気になっていてもおかしくなかった事をしみじみ思っています。私は運よく免れました。
命を助けるために使ったものが、命を蝕むものだったとは許せない事です。
私の体の半分近い血液がなくなり、輸血以外に助かる道がないとなれば当然使います。初めてベットから起き上がって歩いたとき宇宙遊泳のごとき感覚だったのを今も覚えています。私は本当に運がよかっただけなのです。

五体満足で生まれてくれれば何も言う事はないと心底思っているのに、成長の段階でやっぱり期待してしまう。人間は勝手な生き物です。普通である事がありがたいことだと心底思って生きていければ、いじめや差別はなくなるかもしれないし、人に優しい生き方ができるのではないかとお茶を飲みながら思っていました。

勝ち組・負け組、なんていやな言葉でしょう。経済が豊かである事だけが人間を幸せにすると本当にみんな思っているのでしょうか。
迷惑メール、昔はH系が多かったのに、今はいかに楽して儲けられるかというメールが多いです。
裏携帯で何十万儲けたとか、そんなものが多く、私はかたっぱしから消しますが、開けてみる人もいるんでしょうね。
そんな甘い話あるわけないのに。
本当にあったらきっと自分だけで儲けて、人に教えるためのメールなんかするものですか。
11月11日(日)
たった3日の入院ですが、万が一伸びたとき、仕事に差し支えるのは明白なので人に頼んでも出来るようにして置こうと思って準備を始めたらありすぎです。
今年はバザーが中止になったから本当は暇なはずなのに、少し大きな仕事の責任をおおせつかっていて、そろそろ準備に入らないといけません。3月まで忙しくなりそうです。
そのためにも、できたら元気でいたいのですが。
11月8日(木)

先生からいただいたカサブランカのメリア。
花びら一枚ずつをワイヤリングして、テーピング
一つの大きなお花のように組み立てたアレンジメント。豪華の一言
今日は午前中病院によってから教室に行きました。
IさんGさんの若い二人と久しぶりに会い,Yさんと四人でランチです。
その途中新しいマンションを見学しようと冷やかしに寄りました。冷やかしといっても買えるものなら買いたいと思っているわけです。現実は無理なんですが。長崎でもいいと評判のマンションだけあって買えたらいいなあと思いました。思うだけは自由。
[S]の仕事が長崎なら勧めたいところです。
はじめは冷たい対応だった会社の人も、何を間違ったか可能性ありと踏んだかのように、不思議に全力投球で見せてくれました。
住んでいる場所、状態などを聞いて、頭の中でリサーチするんでしょうね。
ちょっとした社会の仕組みも見せてもらった気がします。
私だってうちの住人が引退したらずっと社宅ですから終の棲家が必要です。新築マンションなんか予定にはさらさら入っていませんが夜露をしのぐ場所は必要です。どうなる事かとは、いつも思っています。
私以外の3人は子育て中。私は自分の子育てはすっかり忘れていました。
今は冷静ですが、きっと子育ての渦中にいたときは夢中だったんだと思います。
来週手術が予定され、可能性の中に、もしかしたらという部分がないわけではないので、どうしても色々な事を考えます。マイナス思考をしている気はないのですが、もし結果が悪かったとしてもあるがままに受け入れようと思っています。
もちろん。大丈夫だという前提で考えているから、そういえるのですが。

60歳になればこれからの人生もうけものだと心底思っています。
これからは自分のために生きる、自分の時間を大事にしようと思っていました。
所が昨日の夜お花の教室の皆さんが私のために場所を設けてくださり、楽しい食事の時間を過ごして、話しているうちにその思いが変わりました。
シャンペンを少しいただき、ちょっとハイテンションになったせいか、なぜ私がうちの住人と結婚しようと思ったかを話してしまいました。「続三丁目の夕日」の話になって主人公の生き方に否定的な話が出たせいもあります。
貧しくても夫が目を輝かせて生きがいのある仕事をしてくれたら、それでいいと思っている私は多分古い人間なんだと思いました。その事に関して子供たちには言い分があったかもしれません。
「僕は川の中の一本の杭でいい。川をせき止める事はできないかもしれないが、流れてきたものが杭に引っかかるように助けを求める人に少しでも関われるようなそんな仕事がしたい」と言う、うちの住人に若かった私は同調しついて行こうと思ったのです。本当に若かったんです。理想に燃えていましたから。38年前のことです。
結果として、大変な時代はありましたが、子供たちは自分の進みみたい道に進みました。
今もうちの住人は悪戦苦闘しながらがんばっています。
なんだか、これからは自分のために生きるなんて言うのは不遜な気がしました。
自分のために生きるなんて言葉を使う事が、なんだかいやな人間に思えました。人が一人でなんか生きられないのはわかりきった事なのに、カッコつけでしかありえないと思いました。
私はうちの住人と「さやもも」のために生きるのが本当のような気がします。
自分が、自分の、自分は、そんな自分から解放されるのが老年期の生き方の素晴らしさなのかも知れないと気がついたのです。
子供たちは一緒に生きていける人と出会ってほしいと祈っています。
11月7日(水)
今日市民病院に行って手術の日を決めてきました。
15日入院、16日手術、17日退院、という2泊3日です。
私がいつもお世話になっているホームドクターがわざわざ市民病院に出向いて全て決めてくださったようで、話が全部通っていたので簡単でした。
ありがたいことです。
普通なら内視鏡で見ながら内科の先生が手術をするのが普通なので、本来はそう難しいものではないらしいのです。
ただ私の場合、ポリープの場所が運の悪いことにそういうやり方では取れないらしいのです。そこで外科手術になってしまいました。ポリープの写真を見ながら多分大丈夫だと思うけど一ヶ所赤いのが気になるなあとつぶやかれてしまいました。どちらにしても良性か悪性化は取り出した後調べた結果しかわからないわけですから、今からあれこれ言ってもしょうがありません。
ただし悪性のものだったら即、人工肛門になるといわれました。
そうならない事を祈るしかありません。今はそういうものもきっと良い物ができているのでしょうが、わずらわしい事です。
おまけにジムの温泉にも入れないでしょうから、辞めないといけなくなるかななんて考えて、あらあらです。
今は高額医療の手続きを前もってできるようになっているんですね。合理的です。
病院で指導を受けるという事はそれ以上かかるということを意味しているのでしょう。
後で帰ってくるといっても先に払わないといけないとなるとその金額を用意しなくてはいけません。昔たくさん入院したり手術をしたときその費用が大変でした。今回も手術費用のことは頭の痛い事でした。
もっともそれはそれで還暦旅行にはちゃんと行ったのが私らしいところです。

今日はとってもいい天気でした。
昼食の後、さやももと散歩。
60歳になったとたん時間がまた新しく動きだしました。どうなる事かわかりません。
しっかり見届けたいと思っています。だから人生面白いと思うのは歳をとったから言える事でしょうね。
11月6日(火)
旅行あり、仕事あり、遊びありの忙しい日々でした。
パソコンに久しぶりに向かっています。
今日から日常に戻ります。
60歳という年齢は私にとって、とても象徴的意味を持っています。もうそろそろ自由に羽ばたいても良いかなと。
なんて書くと、今までだって十分に自由だったでしょうと言う声が聞こえそうですね。
心のどこかで自分で自分を型にはめているところがあって、ときどき煮詰まってました。形にはめておかないとどこに飛んでいくかわからないという思いが自分でもあるからでしょう。私は物の考え方がかなり平均的日本人とは違う面がある時が多々あるような気がします。私にとって心が自由であることが一番大事なことで押し付けはNOです。でも人間関係はそうはいかないことのほうが多く、気も使うし当然ながら我慢もします。当たり前の事です。仕事上もまた煮詰まることが多いのですが、今は昔よりそんな時、切り替え方法が上手になっているのは確かです。歳をとるってそんな事でしょう。

60歳代は自分らしさを自分で味わいつくしたいと思っています。

バースデーイブはうちの住人が仕事で留守でした。11月4日は3日間頼まれて14人のアメリカの青年のお世話で走り回っていて、送り出した後で午後ごろごろしていました。
夕方今日が50代最後の一日だという事に気がつき大事な時間をごろごろしててはもったいない、記念になる事をしようと思い立ちました。そこで思い立ったのが「ハウステンボス」いきです。
連休の最後の日、その日の終わりのセレモニーの花火がスペシャル版だということを思い出したからです。
夕方5時過ぎの快速「シーサイドライナー」に乗って着いたのは7時前。終了の9時まで2時間ちょっとあります。クリスマスバージョンの「ハウステンボス」は光にあふれていて、とてもきれいでした。おまけに今を盛りの沢山のダリアの花がそれは豪華で、赤ちゃんの顔くらいのものまであり、そのダリア園を見ただけでも行ってよかったと思いました。
花火を見て感動し、帰りの快速電車に間に合うように駅にいきました。9時40分という時間を時刻表で確かめてあったので、ゆっくりでした。
長崎に11時に着き、素敵なバースデーイブでした。

5日の誕生日も一人でした。メールや電話がありました。豪華なシンピジュームをいただいたり素敵なフラワーアレンジメントをいただいたりと色々あって申し訳ないような、感謝でいっぱいです。
またおいおい乗せようと思っています。
私が待ちに待った60歳の誕生日にしたこと。
シニア料金で映画に行ってきました・・・・・・・・・・・・「続3丁目の夕日」
60歳の誕生日には映画に行く事は前から決めていました。
「続3丁目の夕日」笑ったり泣いたり、良い映画でした。
昭和を生きてきた人間のノスタルジーと人が人を信じる事の当たり前さ。年代的に私のリアルタイムかもしれません。
私は映画を見ない人間でした。年間1本見るかどうか。
でも、これから映画にはまる事にしました。
楽しみが増えます。


10月

10月29日(月)
朝6時半に起きてずっと夕方まで、朝昼兼用のご飯を食べるとき以外は仕事してました。
何もかもが重なって、特に明日から3日間の旅行という事もあって、その前に済ませておきたい仕事が山済みでした。
最近調子がよかった腰と肩に今来ています。ちょっと辛いです。
明日は一日寝ていたい気分です。
このままだと明日乗り物に座っているのもちょっと辛いかもしれません

旅行から帰ってきた次の日の金・土の二日間、思いもかけない仕事を頼まれて、それを考えると楽しい旅も楽しさが半減する気分です。頼まれたうちの住人は別の仕事でお出かけですから、私一人で対応するという事になり、どう考えても割が合いません。
もっとも、うちの住人の仕事のほうが先に決まっていたのですから、うちの住人のせいではないのですが。
長崎に住んでいると色々な人の頼みで私設ホテルや私設添乗員になる機会が多く、自分のよく知っていうる人なら苦にならないのですが、義理で頼まれた人だと苦になるなというほうが無理でしょう。

長崎はとっても暖かです。
まだ昼間と家の中は夜でも半袖を着ています。
明日の湯布院は何を着て行けばいいんでしょう。いっそ寒いなら寒いほうが楽なんですが、中途半端な気候で迷います。
[S]から旅行のためにもらったお小遣いをうちの住人とはんぶんこしました。それぞれ自分の好きなように使う事にしました。
きっと後にも先にも最初で最後の私たちにとってはリッチは旅行になる事でしょう。
3日間しっかり楽しんできます。

あれ、あれ、掲示板が開きません。何度してもだめです。ほかのページは開くのにどうしてでしょう。私だけでしょうか。
10月28日(日)
今日は午後カラオケに行ってきました。
久方ぶりです。
ずっと薬の副作用で味覚障害が出て元気のなかったHさんが、先週から薬が変わったら急に元気になり、思い切り声を出したいのでカラオケに行きたいと言い出しました。
喜ばしい事ですから、即決で私も行く事にしました。
いつもはカラオケのベテランに全部お任せなので、今回は何にもわからずとにかく一番近いお店に行く事にしました。
行った先のカラオケやさんは会員制のお店で、私がカードを作ることにしました。
30分160円、ソフトクリーム・飲み物食べ放題飲み放題という事で高いのか安いのかどうかわかりません。
とにかく80代一人、70代二人、50代一人(後数日で60代に突入)の4人ですから歌う歌は当然昔の流行歌。最近の歌なんか一曲もありません。
今回はみんなどんぐり状態で、上手な人がいないのでお気楽に歌えました。
久しぶりに歌ったらメロディーがめちゃくちゃでひどいできでした。
やっぱり日ごろ歌ってないと忘れます。いつも歌は口ずさんでいますが、同じところしか歌ってない事がよくわかりました。
たぶんカラオケクラブのようにこれからは時々行く事になるでしょう。
こんなことでHさんが楽しい時間を過ごせるならいつでも行きましょう。
10月25日(木)
これは何でしょう。

マカロンのキャンドルです。
お花教室の若いお友達の東京土産です。
私がめちゃくちゃマカロン好きを自認しているのを知っているので、見つけたとき私の顔が浮かんだそうで、買わなくちゃと思ったそうです。
ありがたい事です。
ぶたしかりマカロンしかり、自分の好きなものはいつでも公言しているとみんなの頭の中にインプットされてこういう結果になるわけです。
お花のみんなも、自分の好きなもの考えようといっていますが、考えてあるものでもありません。日ごろの生活の中にあるものですものね。
マカロンどれくらい好きと聞かれたら
「一つしかないマカロンを大好きな人に食べられたら、1・2秒はその人を嫌いになるかもしれないくらい」と答えます。
カカロンマニアなんです。わたし。
お花の教室は、わたし以外は若い人ばかりで、どこかに旅行すると必ず美味しいお菓子のお土産があります。今日も飛び切り美味しいお菓子がお花の後のコーヒータイムのお菓子でした。
私教室ではリーダーと呼ばれております。自分の子と同じくらいの歳の女の子の話を聞いているととっても勉強になります。

あるブログを見て、考えています。10月のはじめに子供を生んで、20日後に赤ちゃんを連れて買い物にお出かけ。11月には家族3人で旅行だそうです。つまり生後1ヵ月半の子を連れて旅行というわけです。
私は物事にこだわらないほうですが、この場合は「え〜いいの?」というのが正直な気持ちです。
もしうちの子なら、やめなさいというでしょう。多分。
そのブログの親子について、どういう場所に行くのか、どういう行動をするのか、しっかりチャックしようと思っています。
今はそんな事は普通なんでしょうか。
人事ですが、気になって。
子育ての方法が、今はそういうことが普通なんでしょうか。知りたいです。
10月24日(水)
レース編みをこれから老後の楽しみにしようと編み始めたら、腰と首の頚椎が悪い事がわかって、泣く泣くあきらめたのは数か月前。
編み針一本で座ったままどこでも好きなときにできるというのが、ミシンやアイロンや洋裁道具一式を広げて切り刻むという洋服作りより私のしょうに合っているらしいとその時確信したのですが。肩こり、吐き気、指の痺れと症状が出てきては、あきらめざるを得なかったのです。

昨日毛糸やさんの前を通っていたら、お店に入りたくなってしまいました。色々な糸があって、見ているだけで楽しくなります。
毛糸ならゆっくり少しづつ編んで行けばベストくらい編めるかもしれないと思いました。私好みのピンクの糸もありました。
お店の人が見せてくれたベスト、私にも編めそうと即決です。
まずモチーフ20枚を編んだら次の編み方を習いに行く事になっています。今5枚編みました。
長崎の繁華街が私の散歩コースの一つですから、毎日のように出かけていますが、買うものもなく本屋さん以外は飽きてしまいました。
空いた時間は家でのんびりも楽しいなという、お出かけ好きの私らしくない心境になってきたのです。
家で本を読んだり、音楽を聴いたり、編み物をしたり、なかなか良い雰囲気でしょう。
編み物をするときの姿勢も考えて編んでいます。
体が悪いからといってみんなやめてしまっては、本末転倒だと思ったのです。工夫して、できる範囲でやっていかなければ、なんだか生きている甲斐もないと、ものすごく大げさですが、本当にそう思いました。
たかだか編み物、大げさに意味づけをして楽しむ。それもまた私らしい理屈です。
うちの住人の仕事のパートナーに病が発見され、ショックを受けています。その事からも、色々考えたのでしょう。
うちの住人が人生をまた違う方向に向けたいと思ったようです。当然私にも関わってきます。
うちの住人が方向を変えるなら、私もその方向に舵を変えましょう。

ベストできたら、乗せますね。こうご期待。なんていって一番仕上がりを期待しているのは私です。
10月23日(火)
夕方長崎駅に着くうちの住人を迎えに「さやもも」を連れて行くことにしていたら、メールがうちの住人から届きました。うちの住人が乗っている特急「かもめ」に飛び込み自殺者が出て、何時になるかわからないとのこと。

1時間遅れで帰ってきました。
駅についたと連絡があったので途中まで「さやもも」をつれてお出迎えです。
疲れた顔をしていました。
ものすごい衝動があったそうで、いやな気分だったといっています。
誰でもが出会う出来事ではありません。
このところ次から次に対処すべき問題が出てきていろいろ考える事があったらしく、今日の出来事で心が決まったといっていました。私はうちの住人がなんでも自分の思ったようにすればいいといつも思っています。どんな状況でも、笑顔で生きていくのが一番だという思いは変わりません。どんな時にも笑いの種、話の種を見つける事。その心意気さえあれば人は幸せでいられるというのは私の変わらない思いです。

こういう形で人の人生を横切って行った人の魂が安らかでありますようにと祈らずにはおれません。
10月22日(月)
旅行は今週だとばっかり思い込んでいました。
来週だったんです。自分の勘違いなのにちょっとがっかり。

「きょうのぶたちゃん」にコレクションのぶたを載せ始めた事をうちの住人に言って,その画面を見せたらとっても喜んでいました。
私のコレクションで高価なものや珍しいものの大半は、うちの住人が仕事で出かけた先で見つけてお土産に買ってきてくれたものが多いのです。時々私のコレクションか,うちの住人のコレクションかわからないと思うときがあるくらいです。
私がよろこぶからもあるでしょうが、仕事で出かけて空いた時間にちょっと探してみるという事が楽しみになっているらしいのです。
もう私のコレクションというより夫婦のコレクションといったほうがいいような気がします。
今、飴細工のぶたを載せていますが、次に載せるぶたは同じ日に京都展で見つけて買ったという「ゆらゆらソーラーぶた」です。布張りの和風ぶたで、しっぽがソーラーシステムで動き続きます。室内の電気で十分光を集められるようです。

お昼、久しぶりに近くのうどん屋さんに行ってごぼう天うどんを食べてきました。ここで食べるときは煮たまごを追加します。中の黄みがとろっとしている煮たまごがだい好きなんです。
隣のテーブルで40代から50代ぐらいの工事服を着た人たちが3人楽しそうに話していました。
聞くともなく聞いていました。
3人ともそれぞれ違うバンドをやっているらしく、暗譜していた楽譜を最近忘れて困るとか、バンドの仲間の舞台での並び方でもめるとか、あのホールは舞台が高すぎて頭が見えないとか、エレクトーンを弾くなら自己流は結局後で困るからちゃんと習ったほうがいいとか、いろいろと楽しそうに話が弾んでいました。
姿を見なければ青年たちかと思ったかも知れません。
声も若いし、内容も若いし、うらやましい歳のとり方だと感心しました。
私まで、元気をもらった気がします。
10月20日(土)
最近「日々の思い」を書いていて自分で面白くないなと思うことがたびたびです。
このサイトは私の個人的なことに限定というコンセプトで作っているのに私の生活の面白さ、書きたい事は仕事のほうが多いというジレンマのせいかもしれません。
生活の場そのものが仕事と絡んでいるのですから、書きながら時々奥歯に物が挟まったような、コートの上から孫の手(古い〜)でかゆみをかくようなそんな書き方をしているような気がする時があります。
自分のHPを作ったうれしさで言わなくてもいい人にまで最初言った事も後悔されます。
私の癒しの場だから、楽しみの場だからこれで良いと思っているのですが、これは書けない、これは書いちゃいけないと自己規制をかけるのは、長年の習慣だからどうという事もないはずなのに、歳をとるってそんな事がめんどくさくなってくるものなんだと実感しています。
外国ではホームドクターとして精神科の存在は大きいと聞きますが、人は確かに誰かに自分をさらけ出す事によって自分が見えてくるという作業が必要な時があるのでしょう。
ただその自分を見つめるという作業の仕方で人生が大きく変わってくる事があるので、カウンセラーという勉強をした人が必要なわけですね。
もっとも、人に関わる仕事の人は人間が大好きで相手を信頼できる人、になってほしいです。
いじめは感性の欠如だとは思っていますが、感性が人より繊細であるばかりに辛い思いをしている人も多いわけで、感受性が豊かであるばかりに人生を踏み外すことだってあるわけです。いろいろな情報も見ているとそんな気がする時があります。
10月18日(木)
現在の時間朝の4時です。
普段なら寝てます。
ももが喘息のような発作を起こして、目が覚めてしまいました。私がおきるくらいですから相当苦しんだんだろうと思います。ももののどの器官が弱く、何かの加減でぺたっとくっついて呼吸困難になるらしいのです。ずっとなでてやって、水を飲ませ落ち着きました。
今日はうちの住人が仕事で長崎にいない日なので、ももの辛い姿を見なくてすみました。不思議に「さやもも」の病気のときに居合わせない人なんです。
さやももに目のない人ですから、ももの辛い姿を見なくてすんで良かったと思います。
落ち着いたので寝ようと思っても寝付けなくなってしまいました。

温かいハーブティーを入れて飲みながら今日の予定をあれこれ考えています。
新米を[K]に送ろうと思って買ったので、荷物も作らなければいけません。教室もあるし、ふた組の人に会う約束もあるし、かなり忙しい一日になりそうです。
古本屋で宮部みゆきさんの「楽園」が思ったより安く出ていたので買いました。
図書館に予約していますが、100人待ちですからいつになるかわからない事もあるし、彼女の本は全部抑えている私としては早く読みたいと思っても不思議はありません。
古本屋は今まで買うばかりでしたが、少し売ってみようかなと思っています。

朝UPしなかったのでつづきです。
私は風邪をほとんど引かないといっていたのですが、どうも朝ソファーで1時間ほどうとうと寝てしまったようです。そのとき寒かったらしく、めったにひかない風邪でなければいいんだけどと思うように、ちょっと熱っぽい気がします。
来週、今年最大のメーンエヴェント「祝!還暦!二泊三日湯布院の旅」があるのですから体調不良は困ります。
うちの住人とちゃんとした旅館に泊まってゆっくりなんて、片手で数えて余るくらいなんですから。
フレーフレー元気です。
10月16日(火)
さやが付けていたいたリードが植え込みに入って出てきたらなくなっていました。探したのですがありません。
そんなに広い場所でもないのに不思議でしょうがないのですが、ないものはないのであきらめました。
でも、リードがないと散歩ができません。急いで買いに行きました。さやのリードを買った後、さやだけ新しくするのもなんだかねえと思い、またもも用を買いに行きました。最初から二組買えばいい物を、結構いい値段がするものですからついケチったのです。結局、二度手間でした。

今年のお正月[S]から「さやもも」にお年玉をもらいました。それでリードも汚くなった事だし、そのお年玉でい買うことにしていたのです。
所が、子犬用のぶたの洋服を見つけたものですから、それを買ってしまったのでリードは見送りになっていたのです。
さやが赤、ももがピンク女の子らしくなりました。

次の「今日のぶたちゃん」はその子犬用のぶたの洋服にしましょう。
10月14日(日)
歯の手術無事終わりました。
今回も医療についていろいろ考えさせられました。
私が行っているのは個人病院です。こんなに自分の歯が普通と違うという事がはっきりわかったのも、ここで具体的に教えていただいたおかげです。
金属アレルギーの検査に大学病院の歯学部にも通いました。

治療の差別化についていろいろ言われていますが、私のように保険でできる治療の材料がアレルギーのため、だめなものが多いという現実にぶつかったとき、その差別化は本当だと実感しています。
歯の治療はピンからキリまでです。もし、お金をいくらでも出せるものなら本当にいい治療ができるだろうなと思います。上を見たらきりがありません。
今回麻酔のほうは麻酔科の先生に来ていただきました。
今までの大変さは何だったのと思ってしまいました。とにかく寝ている間に手術が終わっているし、血圧のコントロールをしているので、術後の体調も良く、血圧の影響を強く受けて、調子の良くない心臓や腎臓にも影響がなかったのではないかと、ほっとしています。
もちろん口の中は痛いので今も痛み止めの薬を飲んでいますし、口の中に血の味がします。これは術後なのですから当然の事です。でも、この当然と思うのと思わないのでは心の辛さがが違うようです。治りにも響くようです。
徹底的に冷やしたので、最も口の中はまだ腫れた感じがあって違和感は強いのですが、たぶん人から見たら腫れも目立たないと思います。
後、数日の辛抱です。昨日今日食べるものがなくて、プリンやヨーグルト、パン粥、野菜を煮とかしたシチューでしのいでいます。硬くてものどを通るもの柔らかそうでのどを通らないもの、実感しています。
老人食の勉強になります。
10月12日日(金)
今週は毎日楽しい時間ばかりでした。
[S]は帰ってくるし、前から行きたかった福岡の博多座の「レ・ミゼラブル」に還暦のお祝いという事で姉たちから招待を受けて行ったし、夕食も大好きな焼き鳥のフルコースをご馳走になるし、お花の仲間の誕生会も楽しかったし、パソコン教室の仲間とは実のある話ができるしと、
充実した一週間です。
そしてクライマックス、明日歯科の手術です。歯茎を全部めくって歯の根をきれいにして少し支えになるものを足してまたきれいに戻すという手術をします。
四分の一はもうすんでいるのですが、その時血圧が200以上になって下がらなくて大変だったのです。
それで、今回は万全を期して望むので心配はないと思います。血圧の事さえクリアできれば、2時間ほどの手術です。
私の中では、なんともないのですが、聞く人にはものすごいインパクトがあって心配を掛けてしまったようです。
今まであまり自分の病気のことは人に言わなかったのですが、もう歳だし、体にいろいろ不備があっても普通でしょうし、知っておいてもらったほうが私が無理をしなくていいかなと思うようになって前よりは言うようになったのです。
でも見た目は相変わらず元気そのものです。そのギャップに人は戸惑うようです。
言ってどうなるものでもないから、言わなければ良かったという気持ちがあります。
慢性的な肩から首にかけての不快感、時々耐え難く思うときもないわけではないのですが、だからといってそんな話しばかりしても楽しいわけがないと思うのですが。
今日は早く寝て、明日に備えます。数日は仕事にならない事でしょう。
2〜3日流動食で過ごして、1週間耐えていれば違和感はなくなると思います。
10月末の旅行までにコンディションを良くしておくのがベストでしょう。
10月8日(月)
ものすごいむしむしとした暑さです。台風の影響でしょうが、気分が悪くなります。
雨が中途半端に降るためでしょう。
夕食は久しぶりに3人で食べました。でも、美味しいものを作りたいという気持ちはあるのですが、料理の腕はとっても落ちれます。正直愕然としました。
まず何を作るかが浮かばないのです。
料理上手なんていわれた時代はもう夢のまた夢です。
しみじみ実感しました。
[S]には気持ちはあれもこれもしてあげたいと思っていうるんだけど、ごめんねといっておきました。
少し料理にやる気を出さないといけないのかもしれません。
昨年まで月に何回かお客様をしてお昼ご飯を一緒に食べていたのですが、今年は私の体調もあり、ほとんど外でお会いする事が多いのもやる気のなさにつながってますね。
ちょっと考えさせられた食事作りでした。反省!
10月7日(日)
長崎の町は今日から三日間おくんち一色です。今年の踊り町は、「興善町」「八幡町」「西濱町」「万才町」「銀屋町」「五嶋町」「麹屋町」です。
決められた場所で奉納をするのですが、これには入場券が必要です。
人気が高く、そう簡単には手に入らないようです。
ところがいくらでも楽しむ方法はあります。
長崎の町の中心をぶらぶらしているとこういう場面に出会うのです。
これを庭先周りといいます。
おくんちのためにご祝儀をくださった人の家や会社を回ってそのだしものの一部を披露するのです。
長崎では「ご祝儀」とは言わず「御花」といいます。

私も町に出かけてその庭先回りに出会いました。
一枚目は浜の町という繁華街でであったものです。。短い踊りを一軒一軒披露していました。「西濱町」だったかなと思います。
2枚目からは夕方ジムに行った帰り家の近くで出会いました。五嶋町の龍踊です。
家の中に龍の頭を入れているところです。あまりはっきり取れてないのが残念ですが、でも珍しい写真かなと思って載せました。
今日は忘れずに家を出るときデジカメを持っていったのです。後二日忘れないでもって行こうと思っています。

さっき[S]から、夜ご飯を食べに帰ると電話がありました。
私もうちの住人も少し顔がゆるんでいます。さあ何を作りましょうか。「さやもも」も明日は狂喜乱舞することでしょう。
10月6日(土)
還暦記念旅行の予定が全て決まりました。
ずっとこの日のために続けていた500円玉貯金をあけて銀行に持っていくときが来ました。
ずいぶん前から貯めていたので、うちの住人と二人で旅行を楽しむためには十分あるはずです。
10月30日31日11月1日までの二泊三日です。
由布院に行きます。
旅館もネットでとりました。さやももをペットショップに預けていくので二泊三日が限界なんです。
最初は東京だ京都だ奈良だ金沢だと夢はいっぱいあったのですが、3日間ではなんとなく消化不良を起こすような気がするので、無理はしない事にしたのです。
秋の風情を心から味わいながら、二人で歩んできた今までの時間を振り返り、思い出を語るというのも楽しいはず。
のんびりゆったり過ごすつもりです。
いい年のとり方をするためにも二人でしっかり楽しんでこようと思っています。
10月5日(金)
時間はどんどん過ぎていきます。怖いくらいに。
手をこまねいていると朝起きてから何にもしないままもう寝る時間です。
歯の手術の日が決まりました。来週の土曜日13日です。それが終わったら、内科の先生に紹介状をもらって総合病院に行って腸のポリープの手術も決めたいと思っています。歯の手術を年内にもう一回してそれで手術関係は全て終わりにしたいものだと願っています。
今年は金のぶたの年、60歳を迎える年。本当はいい年になるはずだったのですが、過ぎてみるとまあ、あるある大変という年になってしまいました。
昨日から首の辺りが重痛いという感じでたまらない不快感があります。この感覚はずっと生きている限り背負っていくものでしょから、その事に振り回されたくはないのですが、生身の人間少しこたえます。
暑かった夏も終わり、過ごしやすくなった時こそ、気をつけないといけないのは人の世の常のような気がします。
強がりで思うわけではないのですが、辛い体調を気に病んで生きるよりも楽しい事を見つけて笑って生きるほうがやっぱり私のしょうにあっていると思っています。
10月4日(木)
たくさんのぶたコレクションがあるのですが、ありすぎてなかなか載せることができません。
そこで考えました。毎日一個づつ載せて、それをまとめていけば少しは整理できるかなと。
できたら珍しいものから載せたいと思っています。
まず一回目はぶたの砂糖。うちの住人が仕事で熊本に行ったとき見つけてお土産に買ってきてくれたものです。
二個買ってきたので一個は使ったらと言ってくれたのですがもったいなくて使えません。
私も載せてと思っているぶたが山ほど後ろに控えています。
お見せするのが楽しみです。
10月1日(月)
長崎には三つのデパートがあります。
浜屋・大丸・玉屋です。浜屋と大丸は長崎の繁華街の真ん中にあり、玉屋は新大工市場にあり、うちから歩いて15分くらいの場所です。
自転車で行けばすぐです。とはいっても、長崎の人はあまり自転車に乗りません。坂の多い街ですから、乗れない場所が多いからです。私にとってはマイカーですから、がんばって乗っています。
三つのデパートにはポイントカードがあり当然買い物をすればポイントがつきます。玉屋は日常的な買い物に向いていてよく利用しています。
したがってポイントもたまります。今までそのポイントは無期限で使えていたのですが、今年から一年間と期限が決まってしまいました。そこでポイントを使わないといけなくなったのです。長い間ためていたので、沢山貯まっていました。
その玉屋で見つけたんです。このバック。一目ぼれでした。
かなり良いお値段です。
ポイントがなければ多分、良いな、欲しいなと思っても縁がないものとあきらめていたと思います。
ポイント様様です。
長崎に来る前の私を知っている人には信じられないような色でしょう。
自分のものは明るいものにすると決めてから、どんどん派手になっています。
還暦は赤です。ピンクですから似たようなものでしょう。

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