日々の思い

日常の中の幸せ
些細であってもその積み重ねが人を幸せにしてくれると信じて

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2008年3月

3月30日(日)
桐島さんの「残り時間には福がある」読み始めたものの今回はどうも読む気になれませんでした。飛ばして飛ばしてお終いにしました。面白いと思わなかったのですからしょうがありません。
「さやもも」の散歩のついでに図書館のポストに入れてきました。

長崎は今日は夕方まで雨でした。おまけに肌寒い一日でした。
元気だったら午後からハウステンボスに行きたいところでした。
今までハウステンボスは行くと入り口でポイントがもらえました。それをためて商品が色々もらえるシステムでした。所が、そのシステムが3月一杯で終わるそうなのです。したがって10年近くためていたポイントを変えないと無効になってしまいます。
ポイントの引き換えもそう長い期間では無かったので、がんばってどうしても引き換えたいと思います。

私はポイント大好き人間です。ですから、効率的に考えて買い物するお店も決めています。本屋さんも今では5のつく日に5倍ポイントがつくお店で急がないものは5のつく日迄待ってに買います。このお店は本だけでなく音楽からDVD販売、レンタル、ゲームソフト新から中古まで何でもあるので便利です。
デパートのポイントも結構好きです。たとえばお使い物のカステラなど買うときもデパートに入っているお店で買います。
それもこれもわたしが町の真ん中に住んでいて、わざわざ行くのではなく散歩感覚だから出来る事かもしれません。
デパートは穴場です。ただ、ほしいものがあって探しに行くと掘り出し物にはあたりません。人も物も出会いです。探しても出会えないものが、向こうからやってくるという感じです。
でも、足を痛めて歩けなくなって、さてさてそれがどうなるか、微妙かもしれません。
3月29日(土)
27日の木曜日は午前・午後・夜と予定があり、おいしいものも沢山食べました。でも、1ヶ月に一度いく病院の予定が少し遅れていたので途中寄って見ました。
血圧が何度計っても上が190なのです。
昨年の手術以来運動はしてないし、食べてばかりでこれが太った原因だと思っているのです。これがまたひざを急激に悪くした原因でもあると思っています。
この数年がんばって調子が良い頃に、どこか間が悪くも元の木阿弥になるというパターンが繰り返されています。
今回それをしみじみ感じています。
この数日しっかり食事管理もしていますし、間食も止めたおかげで血圧は下がりました。
反省することばかりです。
3月28日(金)
昨日おたくささんからいただいたクリスマスローズの一部です。みんなで分けました。このお花もお花の先生と、クリスマスローズだい好きのお友達にわたしに少し残して届けました。だから最初に持ってきてくださったお花はもっとあるんです。
もらった人全員がお庭に咲いている状態を見たいものだといいます。
それだけ沢山のクリスマスローズの花畑を個人の家で見るってできませんものね。うらやましいです。
おたくささん、本当にありがとうございます。

実は我が家のクリスマスローズは、去年の台風で木が倒れ、側に植えてあったクリスマスローズは大きな株ごと友人の家にもらわれて行きました。
所が一本だけほそっこいのが残っていたのです。
そこで植木鉢に植えておきました。結構、葉が茂っていたのは知っていたのですが、さっき気がつきました。白のクリスマスローズが2本咲いてます。
びっくりです。
でももっと驚きはムスカリです。おと年買ってほったらかしで去年も咲いてびっくりしたのですが、今年も咲いています。わたしがめったに行かない場所に置きっぱなしなので、暑い夏も水をやった事もありません
4月になったら、少しその場所を「さやもも」の遊び場所にしてあげようと思っています。

今日はやっと一つ気がかりな事が解決しほっとしています。なかなか連絡がとれず、事務処理ができなかったのですが、話せば簡単、向こうもどうしたものかと気になっていたとのことでした。4月早々会うことになりました。
一件落着。良かった。
3月26日(水)
昨日何気なく書いた「林住期」そういえばあの人がその題名の本を書いていたと思いながら名前が出たこなかったのです。
調べました。思い出しました。五木寛之さんです。

古代インドの思想で人生100年を四つに分けて
学生期(がくしょうき)0歳〜24歳
家住期(かじゅうき) 25歳〜49歳
林住期(りんじゅうき) 50歳〜74歳
遊行期(ゆぎょうき) 75歳〜100歳

でも、日本で人生五十年といわれていた時代に人間の生き方を100年として四つに分ける思想があったことのほうに私は驚きます。興味のある方は読んでみてください。
歴史と思想、哲学と宗教、人間の根本にかかわるものより、今の時代あまりにもハウツー物があふれすぎて方法論ばかりが語られ、人間の本質に関わる分野が軽んじられているきがしてなりません。
時には、自分が損をしても人のために生きるという選択があってもいいはずなのに。
テレビをつけるたびに理由も無く人を殺すというニュースが流れます。
変な言い方ですが、殺すなんて許されないけど、その気持ちはわかる,情状酌量を思ってしまうというものではなくなってきました。
切なくなります。
自分を自分で大事に思うなら決してそんなことできるはずが無いのです。
昔、ベストセラーになった曽野綾子さんの「誰のため愛するか」という本で、一番の愛は「友のために死ねる」という言葉がありました。太宰治の「走れメロス」もまたしかり。
3月25日(火)
火曜日はジムも図書館も休みです。
したがっていけません。仕方が無いので少し家事に時間を割きました。寝室がどうも「さやもも」のせいで犬っぽい臭いにあふれているきがして気になっていたので、大掃除です。
我が家は普段なかなか窓が開けられません。排気ガスや騒音にあふれた場所に住んでいるので仕方が無いのです。
今日も隣でコンクリートをはがしていました。したがって今日も窓は開けられません。
そんな日にしなくてもよさそうなものなのに行きがかりです。私はなかなかやる気を出しませんので、こんなときにしないでいつするんだということです。
おまけに足だって痛いのに。
空気清浄機をかけながらというある意味馬鹿ばかしい漫画チックな情景です。

絶対に物を捨てると心に誓ったのですが、使えるものを捨てることに心の痛む事。
整理整頓能力は才能です。
残念ながら私にはその才能はあまり授かってない気がします。全部上から順番に姉たちがいいところを取っていったというのが私の言い分です。
ごろごろして本を読む、それが一番好きなことでした。今も昔も。
桐島洋子さんの「残り時間には福がある」を読んでいます。
「林住期」という言葉をはじめて知ったのも10年ほども前の彼女の本。
林住期=人生の収穫の秋、今はかなり色々な作家さんがその事について書いているのを見ますが、最初に出会ったその言葉のイメージはとても鮮烈でした。「未婚の母」という言葉も彼女の出現で必ずしも暗いイメージではなくなったものです。
テレビ的才能ある女性の走りのような気がします。
3月24日(月)
数日前から市立図書館の庭の桜がきれいに開花しました。やっと昨日の日曜日雨降りの合間をぬって撮ってきました。
左端は昔の小学校の校庭の正門の側の桜です。一番端っ子に移築されました。つぼみは沢山ありますが、まだまだ咲くには時間がかかりそうです。
雨降りで空が暗かったので、せっかくの桜も少しくすんで見えるのが残念です。

今日はGさん家族の旅立ちの日。
みんなで長崎駅に送りに行きました。
ずっと家族ぐるみの付き合いで、特別仲良しのIMさんも家族で来ていました。私たちの寂しさなんかとは比べものにならない寂しさだろうと思います。
Gさん家族も、もうこの時間は引越し先の家でゆっくりしている事でしょう。
旅立つ人は希望にあふれて夢があります。見送る人は彼女たちの幸せを祈りつつ、残された寂寥感にあふれます。
それが世の習い、そうやって人はまた次のページをめくって歩んでいくんでしょう。
いつか長崎を離れる可能性があるのは、私とIMさん。この前どっちが次に動くかなとみんなの前でいって怒られました。
いつまで長崎にいるのかわかりません。でも、3年と思ってきたのにもう10年目になるのですから、意外や意外長いかなと思っています。
我が家のブルーベリー沢山の花をつけています。風で落ちなければ豊作なのですが。
3月22日(土)
今からしっかり老後を見据えて、ああしようこうしようと老後のプランをあれこれ考えるのが一つの楽しみだったのですが、見事に崩れ去りました。
一夜にして敗れ去った私の思い描く明日という日、その見事さに脱帽です。
歩けないという事はかなりつらいものです。
「今の現状より良くはなりません。これ以上悪くならないようにしましょう」という宣告を前になすすべもありません。もちろん、これから膝の筋肉をつけるために出来る事は何でもしようと思っていますが、痛みが完璧になくなるということは多分無いでしょう。
その痛みが、耐えられる範疇である事を祈るばかりです。
人よりかなり早く歩いていた私が、今はゆっくりゆっくりしか歩けないのです。痛いからといって歩かなければ筋肉が弱くなるでしょうから、痛くても歩こうと思い、がんばっています。
いやあ参りました、こういう人生展開もあったのね、というのが正直な感想です。
夕方、ちょっとハウステンボスにとか、ちょっと福岡までとか、ちょっと電車で住吉までとか、久しぶりに大浦界隈を歩いて見ましょうとか、水辺の公園まで「さやもも」と散歩とか、
今まで簡単に出来ていた事が、足のことを考えて動かなければいけなくなったのです。
うちの住人と一年に一度は旅行に行きたいねといってたのですが、これも内容が大きく変更になるでしょう。
車の無い我が家は、どこに行くにも公共の乗り物と歩きが基本です。
これからはもっとバスや時にはタクシーを使う事になるでしょう。

家の中だけにいればそれほどのハンデではありません。
でも、楽だからという理由だけで自分の行動を狭めるのはいやです。そんな事をしたら私は生きている事にはなりません。誰のせいでもない、私の長い間の生活習慣のマイナスがここにきて出たんだと思っています。
もし恨むなら自分でしょう。
でも、自分を恨んで責めても直る見込みはなし。こう思えるのが救いです。
だからあるがままに受け入れ、少しでも楽なように、色々な楽しみもすこしづつ譲って、いいといわれたことは試しながら、痛みと共生しようと思っています。
もし、色々な事をやって、痛みが無くなったり、軽くなったらラッキーです。
3月17日(月)
「一難去ってまた一難」と言うべきか「ふんだりけったり」と思うべきか、またまたアクシデント出現。
12日に書いた書き出しとまるっきり同じ言葉です。
昨日から背中の肩甲骨の後ろあたりが痛くて痛くて昨日は息をするのも辛いくらいでした。休みだけれど、病院に行こうかどうしようか迷いましたが、ひとまず指圧をしてもらう事にしました。
痛い事痛い事、若い男の子だったのでちょっと心配だったのですが、不安的中、やっぱりです。技術より力という感じで(頭の中にあったのはもっと酷くなったらどうしようということ)前回のスパエステの失敗が頭にあったからです。あの後、顔に吹き出物が出来てまだ少し残っています。
とにかく全ては次の日にしようと、夜「さやもも」の散歩を済ますと、夜中痛みで起きないよう前の病院でもらった少し強めの睡眠薬を飲んで寝ました。
それが正解だったようで、朝起きると痛みは半分に、今日は午前中済まさないといけない用事もあるし、もう少し様子を見ることにしました。
私大好きな和三盆のお菓子。
友人からの頂き物。
和三盆独特の風味と口どけ、いつ食べても幸せな気持ちにしてくれます。
今日は友人を誘っての夕食会。楽しいひと時でした。
3月15日(土)
鉢はぶた模様 葉は5枚 増やしています。
暖かな日々が続きます。
もう春ですね。
我が家のブルーベリーも沢山の収穫を約束してくれるかのように花芽がたっぷりついています。葉っぱだけだったシクラメンにも沢山の花芽がついています。もう少しで花が開いてくれそうです。
去年からの持ち越しのシクラメン、あきらめていたものが復活するのはとてもうれしいものです。
特に今のように強い閉塞感の中にいるとなおさらの喜び。
ティディベア(薔薇)は一輪可愛い笑顔を見せています。
私はガーディナーにはとてもなれませんがお花やみどりの無い生活は出来ません。
今一番好きなグリーンは「シュガーパイン」です。お花も大好きですが、観葉植物のグリーンも大好きです。

私は自分の事ばかり考えていたことにはたと気がつきました。
だから袋小路に陥ったのでしょう。大きく反省です。
3月14日(金)
足は相変わらず痛いです。
原因もわかったし、持久戦と決まったので出来るだけ普通にしていようと思っています。それ以上に困っているのがマッサージチェアーの故障です。腰と首の頚椎に異常がある身としては毎日のお手入れは欠かせません。疲れをためない様にマッサージチェアーのひと時は大事な時間なのです。
とっくの昔に保障期限は切れていますし、修理にどれくらいかかるかです。今は色々と物入りな時でその費用がどのくらいかかるものかちょっと判らないのでびびっています。
家計費をつけていて、私の病院にかかる費用が思いのほか多く、ちょっと頭の痛い事です。

さっき、お花のお友達が私が見損なったテレビ番組をDVDに入れて持ってきてくれました。
見たかったテレビの最終回がちょどお花の練習と重なって見られなかったのです。最終回好きとしては無念な事でした。そんな話をしたらその番組をとってるという人がいて、持ってきてあげるといってくれたのです。
私ビデオは取れたのですが、今は家にありません。残しておけばよかったと後悔しています。DVDには落とせないんです。息子や友人は出来ないんじゃない、する気が無いんだといいます。まあそれはそうかもしれません。
うちにDVDを届けてからお酒を飲みに行くともう一人の友人と一緒でした。彼女も私大好き。

私の息子たちと同じ世代の彼女たちは娘を持っていない私には可愛いこと限り無しです。
私の世代は嫁との感覚の差に少々疲れ気味の人も多いのですが、まだ私は体験してないのでわかりません。一つわかっていることは私が若いころはやっぱり今思えば気も利かなく、今ほどの知識も知恵も無かったということ。あの頃姑もどきさんが周りに沢山いてよく泣かされました。彼女たちから見たら私はKYであった事は間違いなし。

甥の結婚式でお嫁さんのブーケを作ることが決まりました。楽しみです。
3月12日(水)
「一難去ってまた一難」と言うべきか「ふんだりけったり」と思うべきか、またまたアクシデント出現。
右足のひざに異常事態発生です。
時々おやっと思うことはあったのですが、先週の木曜日の夜、激痛が走りました。高圧電流が流れるような痛さだったと人に言ったあと、でも私、高圧電流のすごさって本当は知らないのよねと思いました。ものすごく痛かったの形容詞です。
金曜日は痛いなんていってられない大事な用事があり、一日中大忙しでした。
やっと今週の月曜日、整形外科に行ってきました。
レントゲンに写っている骨は素人にもわかる尖がり方。年のせいでクッションが少なくなっているせいもあって骨がとんがっています。特に一ヶ所には骨が鬼のつのみたいに小さく飛び出していました。
花粉症も体の中にためたアレルゲンが容量を超えると花粉症になると言われていますが、今度の痛みもそういうことだろうと受取っています。筋肉と骨のバランスが、少しづつ変化して支える体の重さを超えたんだろうと思っています。
歳をとれば仕方が無い事かと思いつつ、こんな事ではよい老後を迎えられないのは必然。
真剣に考え行動しなければという、私に対する真摯な直言でしょう。
このひざの痛みも持病の一つとして長い付き合いになりそうです。
安静にしていれば良くなるというものではなく、少し痛みが和らいだら、1年間休んでいた筋トレを再開するつもりです。
いつもがんばっている途中でアクシデントが起こり、前に戻ると言う悪循環を繰り返しているので、今回は急ぎはしないが戻りもしないという事になるようにちょっとがんばろうと思っています。
私はとっても元気と思われていますが、それはイメージで、体力的にはいつもなにかしら体に爆弾を抱えています。

私は普段かなり早足です。
それがゆっくりしか歩けません。出来るだけ痛くないように、バランスの良い歩き方をしようとするとゆっくりになってしまいます。何が辛いってこのゆっくり歩きです。
でも、しょうがないんだから、我慢我慢です。
3月5日(水)
やっと今日、トップを3月の装いにに変えました。
2日(日)3日(月)の2日間私が幹事役で,島原半島を電車とバスでぐるっと一周してきました。
6名中80代、70代後半の方が多かったので、急がないゆっくりした旅でした。
皆さんが楽しんでくださったので、準備した側としては一安心。
島原半島は島の中央が雲仙温泉で有名な雲仙岳です。その周りに島原や小浜やキリシタン殉教で有名な原城や、有馬、口之津などがあります。
コースを考えるとき一番考えたのは歩けない人に合わせることでした。そうするとおのずから答えは出ます。
島原は島原城や武家屋敷は歩くのでパス、島原具雑煮も無理、お雛様を愛でる旅も無理、だから電車とバスに乗っておいしいものを食べる旅にしました。
たとえ家族といってもペースが違うので必ずしも楽しいとはいえ時があります。若い人に合わせるのは気持はあっても体がついていかないというのが本音でしょう。
ゆっくりゆっくり、そして気を使うことなくおしゃべりに花が咲き、同じ時代を生き抜いてきた思いを大切にする、そんな旅でした。
準備の時点で私の状況としては取りやめたいと切実に思っていましたが、相手があること、どん底状態でもどうにか準備ができたのはラッキーでした。
立ち直るのに1週間あったのが救いです。
でも体は正直です。
昨日今日となんとなくだらだらしています。それなりに気を使ったんでしょう。
金曜日大きな仕事あります。
それさえ終われば、落ち込もうと病気しようと勝手です。好きにさせて頂戴です。
何でもしなければいけないのならしますが、本質的には怠け者ですから、しないですむ事なら無いに越したことはありません。
去年私が手術をしたことを今年になってどこかから聞かれて、ご丁寧なお見舞いがきました。
お気持はうれしいけれど、その返事を書くことがものすごく辛いです。


2008年2月

2月29日(金)
昨日の夜はお花教室でした。
プーケホルダーを使って作ったアレンジです。今回は小花だけでアレンジするというブーケでした。
でも、出来上がりがとっても可愛くて、練習ですからお花の量が少し少ないですが、もっとお花を沢山にすれば新鮮な可愛い花嫁さんにはぴったりなブライダルブーケになりますね。
お色直しのときにドレスの色に合う小花を使えばさぞ引き立つ事でしょう。
このごろアレンジの感じが代わったと先生に言われます。

柴田よしきさんの「小袖日記」読み上げました。
主人公は雷に打たれて平安時代的な場所にタイムスリップし、香子様と呼ばれる人の小間使いの小袖という17歳の体の中に入ってしまうと言う出だしです。
この香子様はペンネーム紫式部と言う名前で読み物を書いているのです。小袖さんはご主人の書くものの種をあっちこっちで聞いてくるという役割。
「夕顔」「末摘花」「葵」「若紫」といった章を本歌取りというか、作家として自由にまことしやかな話を作り上げています。
最後は必然性があってまたもとの時代に戻っていくのです。
まだまだこの人の本はありますが、ここでちょっとお休みして、違う人の本を読もうと思います。
「語りかける花」もほとんど読みましたが、何度でも読みたくなります。色の名前だけでも初めて出会ったものがあったり読んでいて心が癒されていくのが判ります。
2月28日(木)
今日でGさん、教室最後の日です。
ここで知り合いお友達になって、というよりなってもらって楽しい時間を沢山過ごす事ができました。
30代の彼女は3人の子供たちの良きママです。
彼女を見ていると、私が子育て中こんなに余裕がなかったといつも思いました。もっとあくせくしてました。
もう側でその姿を見ることができなくなるのは本当に寂しいです。
彼女にとって飛躍の年。また違う人生の楽しみができる事でしょう。また会えるのが楽しみ。

うちの子供たちはそれぞれ自分の道を見つけて充実した生活を(多分)送っているので、私の子育ては一応人様から見たとき合格点をいただいているようですが、それは結果オーライ。
親として子育てに一生懸命だった事は間違いありません。でも、これは受取り方の問題が大きいところですから、子供たちからの評価は甘んじて受ける覚悟はあります。
が、親として納得できなければまた反論する事はあるかもしれません。
完璧なんてありません。間違いも沢山あります。最後に残るのは信じる心ではないでしょうか。
この人はどんな事があっても、私を裏切らない。その信頼があれば大丈夫だと思っています。
夫、子供はもちろん、自分の身内、友人、知人、今の自分を支えてくれた人を信じる事は人間関係の基本でしょう。

すっかり心が元気になったわけではありません。
ただ、どう考えても、私がどうこうして解決する問題ではないという事だけはよくわかっているので、私が切り替える以外ないと納得したから、心の向きを変えようと努力している状態です。
でもしんどいです。しんどいというよりもっと正直に言えば、めんどくさいという事かもしれません。
年齢的には、「老兵は消え行くのみ」と人生の表舞台から去って行く事も可能な年齢になってきたわけですから。
違う人生の選択があってもいいかなと思ったり、無いものねだりをしても、思うくらいは許してほしいなっと思います。
誰にも会わなかった1週間。
新鮮でした。
2月24日(日)
心配して来てくれた友人からプレゼンのお花。私に元気をくれるためにピンクのお花を選んでくれたのだと思います。
ありがとう。

読む本は手元に沢山あるのですが、気分転換に図書館に行ってきました。沢山の本が並んだ本棚の間を歩くのはとってもいい気持ちです。
1週間本を読む気持ちにならなかったので、ちょっと違う種類の本が読みたくなりました。
そんな時って向こうから来るものですね。
染織家で人間国宝の志村ふくみさんの「語りかける花」を手に取ったとたん読みたいと思いました。ページを追うごとにわくわくしています。
日本語はなんて美しいんでしょう。
急がず、ゆっくり、言葉を味わいながら、読んでいくつもりです。
図書館に行ったのは、ダンテの「神曲・地獄偏」を借りたくて行ったのですが、貸し出し中でした。「煉獄偏」「天国偏」はあったのですが、どうせ読むなら最初からでしょう。
2月22日(土)
前から買ってあった「小椋 佳 歌談の会」コンサートへ行ってきました。
とてもいいコンサートで、2時間があっという間でした。
今の私はめったにないひどい落ち込みの精神状態の中にありましたから、ありがたい時間でした。
素敵な音楽は心に響きます。それにいつも思うのですが、長い間浮き沈みの激しい(多分)芸能界でトップを歩き続ける人は違います。今流行りのオーラが違うのでしょうか。一流でい続けられるというのはそう簡単なはずがないですもの。
不思議に、今回の落ち込みを予感するかのごとく、その対策がしっかり準備されているようで、変な感じです。
やっと心が上向きに転じました。
今週1週間人と話さなかった事がよかったと思っています。人と会えば気を使います。今はそんな気の使い方はしたくありませでした。こういうことをしたのは生まれて初めてです。

うちの住人もこういう私にどう対処していいかわからなかったのでしょう。自分も話したい事は一杯あるらしいのに、私に人の話を聞く意思がないわけですから空回りです。ただ、時間が過ぎてこんな事をしても何にもならないとやっと私の心が納得したらしく、コンサートから帰ってきて食事をしながら二人で沢山話し込みました。私の絶望的心境に陥った経緯をうちの住人は判ったような事を言いますが、多分それは無理でしょう。ただ、わかろうとしてくれる心だけはうれしいと思います。めったに落ち込みませんが、落ち込んだときはひどいので一緒に暮らすうちの住人としては忍耐力を育てられることでしょう。
私の考えている事、思いだけは伝えましたから、それでよしにします。
今の気持ちは少しづつ自分で折り合いをつけて時間をかけることにします。。
後10年今の生活の形を変えることができない以上、私に選ぶすべはありません。これでつまづいたら35年がんばってきた生活が何だったのという事になります。
今なら、気持ちの切り替えができるかもしれないと思えば、今でよかったような気になってきました。もっと若いときだったら、もっと傷ついてこんなに早く立ち上がろうという気になれたかどうか疑問です。もっと後だったら元気になるひまもなく老い過ぎてもたなかったかもしれません。
この1週間、考えて考えて考え続けて、いやだいやだもういやだと何回言い続けた事か。
もういやだと言うのもあきました。
こういう時って時間はあっても本を読む気にはなりませんね。集中力がまるっきりないんです。読んでいても字面を追っているだけで頭に何も入ってきません。
今回の事をいい経験だったといえる日が来るかどうか自信はないけれど、うじうじしてもどうなるものでもないことだけははっきりしているので、前に進む事にします。
痛いの痛いの飛んでけー・・・・・・です。
2月20日(木)
今週はまあるくなってテレビを見るわけでも無いのにかけっぱなしつつ毛布に包まって寝転がっています。
こういう時はうまくしたもので、体調も悪くなりごろごろする理由を作ってくれました。
体を休めるというのはいいものです。今週はとにかく人と会わないことにしました。
これが結構難しい事で、少し失敗しました。
ここに数日前色々書いた手前、今更病気というのもなんだかねと思って、正直に今人に会いたくないなんて言ってしまったものですから、ちょっとまずかったなと思っています。
病気で通すべきでした。反省してます。
もっともそんな心遣いさえめんどくさいというのが正直なところなのですが。
年のとりがいもないというところでしょう。
このネットをどういう人が読んでくださっているか判りませんが、顔の浮かぶ人もいます。
そうするとかなりこの日記は正直に自分の思いを書いていますが、時としてまずいと思うこともあります。仕事上の事はできるだけ書かないというのもそうです。

多分、もう大丈夫だと思います。
もう少し気持ちは、引きずりそうな気はしますが、私の思いがどうであっても現実が変わるわけではない事だけははっきりしていますから、これ以上落ち込む事は無駄な抵抗です。
ただ余り人と話したくないという思いはまだ強いです。
そんなときがあるのも人生、大目に見てください。
2月18日(火)
いつも飲んでいる薬がなくなったので、今日中にどうしても病院に行って薬をもらってこないと困った事になります。
今日は朝から鼻水が出始め家を出たくなかったのですが、、待ったなしです。
信号が赤なので止まって待っていると、,前方を1歳ちょっとの男の子がおじいさんに手をひかれて渡り始めました。まだよちよちですから、信号が変わっても道の半分のところ。おじいさんそのまま男の子ペースでわたります。いくら信号が青に変わっていても前を人がわたっていれば車は動けません。
このおじいさんにとってその男の子は可愛くて仕方がないでしょうが、他人には交通障害以外のなにものでもありません。
公園や家の前の道で遊んでいるわけじゃないんです。状況判断して、横断歩道だけは抱いて渡り、また歩かせればいいのです。
本当に困ったおじいさんです。最近こんなおじいさんやおばあさんが多いようなきがします。
そんな事を考えていると、ふと気がつきました。私すごく今微妙な心のバランスをもてあましているのに,それはそれこのおじいさんに怒っているわけです。そんな自分がおかしくて笑ってしまいました。
人間て面白いものですね。
そう人間かんたんなにやわではないという事でしょう。
閉じこもらない事、ですね。
今週は一人でのんびり過ごしましょう。
2月17日(月)
奇妙なバランスの中にいます。
明日までうちの住人は帰ってきませんので、家では一人です。おしゃべりしなくていいというのはものすごく楽です。
もっとも、では,なにも話さない一日かというとそうでもありません。モップを変えに来た人といつものようにおしゃべりをして笑いました。彼は時間があると、結婚前の彼女の事、家のこと、結婚に至る色々な事、子供の事、会社の事などなど色々な事を話して帰ります。いい青年です。
お昼は出かけたついでに外で済ましました。その後、足を伸ばしてホームセンターに行き前からほしかった「シュガーパイン」というグリーンを買ってきました。去年のお花で花材として使ったとき、とっても気に入って探していたのです。この前うちの住人とほかの用事で行ったとき見つけたのですが、その時はまだほかに済ます用事が沢山あって荷物になりそうなのであきらめました。

落ち込んでいうるわけではありません。
今回の事、どうしたの、と聞かれても答えられません。私のボキャブラリーをどう使っても形にできないからです。
人って面白いなあと思うのは、それでも人に理解してほしいという思いが心のどこかにあるから、だから、誰が見るか判らないHPに書き込むのかもしれません。
多くの悲惨な事件を起こした人が自分の犯行の詳細や計画をネットに載せるのと、私の書き込みも同じようなものかもしれません。
2月16日(日)
絶望と感動。
今日はこの二つを味わいました。
絶望、こんな思いを今までした記憶はほとんどありません。怒りでもなく、悲しみでもない、ただ、今まで私は何をしてきたんだろうと自分の今までの全てを自分自身で否定してしまいたいほどの無力感。
この場所から消えたいという思い。

夜、今日は時々行く喫茶店で催されるヴァイオリンと尺八のジョイントコンサートに行く予定でした。
30人ほどの小さなコンサート。
今更キャンセルできません。
出かけました。
行ってよかったです。
ヴァイオリンと尺八とピアノ、それはそれは素敵な音が奏でられて、乾いた地面に水が少しづつしみこむように心を癒してくれました。
幾つになっても学ぶ事はあるんですね。明けない夜はない、その言葉のとおりです。
夜は明けるのです。
でも
今週会う予定の人に伝言です。
全てキャンセルさせてください。
私の事です。何事もなく笑っておしゃべりするはずです。でも、いやなんです。今回だけはそうしたくありません。
今週は一人で静かに過ごします。
家の片づけをしたり、本を読んだり、レース編みをしたり、「さやもも」と散歩を楽しんだりして、調整します。
心配は無用です。
2月15日(土)
図書館で借りた本が今日までが返却日だったので返しに行きました。
そのまま駅にうちの住人を迎えに行く予定だったので、本は重いので夕方改めて行こうと思い借りないでおこうと思ったのですが、読みたかった本があったので一冊だけ借りました。図書館って、あるときに借りておかないと後でなんて思うと誰かに借りられて悔しい思いをすることも多々あります。
そのまま駅に直行。二人でお昼を食べて帰ってきました。
その帰り、もう少し軽く読める本を借りておこうと思い3冊ほど選びました。図書館には自分で手続きする機械があって、カードを入れようとするとカードがないのです。がーん!どうもさっき借りたときカードを機械に入れたままにしたみたいです。
急いで図書館の人に話すと届いていました。よかった。めでたしめでたし。
図書館が近いと便利です。
一日に一回は行きます。数回行くときもあります。
本に囲まれていると落ち込んでいてもなんだか元気が出ます。まだまだ読んでない本、読みたい本が沢山あって、落ち込んでいる暇なんてないと思ってしまいます。
私の人生から本をとったら、何が残るでしょう。ちょっとぼやけたスパイスの効かない人生になる事でしょう。
人との出会いは宝だけれど、本との出合いも宝です。
そう考えると私はとても恵まれた人生。

わー元気がどんどん出てくる。大事な書類どこになおしたか判らないけど、がんばって探しましょう。
2月14日(木)
大忙しの一日でした。
朝は教室。
お昼はIさんの家でGさんのお誕生会。
持ち寄りです。私はチーズ・フォンデを用意しました。箸やすめに大根とセロリとレモンの酢の物も作りました。どちらも好評。
Gさんは3月長崎を旅立ちます。ご主人の転勤です。
こればかりはしょうがない事です。いつか我が家もでしょう。
こんなに長く長崎にいようとは。それが正直な感想。
次に長崎を離れるのは私かIさんか。

お花の先生がお店を始められて10周年なのを記念してお祝いのプレゼントをすることになりました。夕方我が家に集合して、みんなでメッセージを書くことになりました。
その後教室にみんなでお出かけです。今回も素敵なお花が用意されていていました。ちょっと今回は難しいテーマだったので、
みんな真剣でした。その後ケーキを食べながらおしゃべり。盛り上がりました。
私は少々お疲れ。
本当は今日うちの住人は長崎にいる日だったのですが、拝み倒して佐賀に行ってもらいました。昼食も夕食も一人で食べてもらってはこちらが気を使います。
こんなに丸々一日自分のために使う日も珍しい事です。
疲れましたが、ここちいい疲れです。
明日甥が長崎で仕事があるので、フィアンセを連れて家の来ると連絡がありました。
少しは家の掃除も必要でしょう。
わあ大変だ。少しだけ片付けました。
よく体も口も動いた一日でした。
2月12日(火)
今日は寒い一日です。
最近午前中はできるだけ家にいて、午後用事を済ますように心がけています。前もって予定がある訪問はいいのですが、急の訪問や電話では、対応できない事があり、それが続くといつも留守という印象が強くなって結構差しさわりがあるんです。
この1週間ちょっとのんびりしたので、気分は上々です。
いつも2月は一年のうちで一番ゆっくりしている時期なのですが、今年は予定が一杯入っています。
わずらわしいと思うときがあり、忙しいうちが花よと思うときがあり、色々です。

最近「柴田よしき」本をずっと読んでいます。
ストーリーテーラーとして宮部みゆきさんと双璧というのが私の認識です。
花咲慎一郎シリーズの「フォー・デア・ライフ」「フォー・デア・プレジャー」「シーセッド・ヒーセッド」「ア・ソング・フォー・ユー」は心が疲れたときにはもってこいです。
今日「ふたたびの虹」を読み終えました。
最近本の読み方が変わったと思っています。
単純になったと思います。
私にとって面白いか面白くないか。ただそれだけです。
どんなに評判のいい本であっても読んでいて面白くないと思うと、さっさとページを流して最後を読んでおしまい。二度と手にしません。
昔は、読書会などに参加して、時に重箱の隅をつつく様な事もしました。流行といえばすぐ読みました。
テーマだ、作者が言いたかった事はなどなど、議論のための議論といってもいいかもしれません。
うちの住人も沢山、本を読みます。自分がよかったと思う本は夕食の時に話します。自分が面白いものは私も面白いと思うと思っている気配があります。むげにそうではないというのも大人気ないと思い聞きますから、したがって私もその情報で読んだ気になります。
私が読む本と、うちの住人が読む本は傾向がまるっきり違います。だから、それはそれで便利です。
本屋に行くとドストエフスキーやトルストイやジョン・オースチンやエミリー・ブロンテやシャーロッテ・ブロンテの作品が文庫本の一番目立つところに積んであるのに出会います。若いころ好んで読んだ本です。
でも、考えてみれば、「嵐が丘」や「ジェーン・エア」などはいまのお昼のテレビの過激なドラマでなれた人にはうってつけのものかもしれません。
2月8日(金)
ずっと忙しかったので、時間ができたらしようと思っていたことを今日実行しました。
ジムのスパエステに行く事です。
実はここのジムの金券を持っていたのです。
プロショップで何か買ってもいいし、館内のレストランで食事をしてもいいし、エステにいくもよしです。そこで選んだのがスパエステ。
いつもお風呂に行くと、壁にスパエステのメニューが色々書いてあって、一度してみたいなと思っていました。チャンスです。
朝割りをきかすとかなり高いコースも受けられそう。
自費でするということはまずないでしょうし。
垢すりから始まり、体中にヒアルロンサンを塗られたりで、まあ至れり尽くせりです。
所が、顔のマッサージになったとき、クリームだ、ガーゼだ、タオルだ、と置かれるとパニックです。マスクをしても息苦しくなる私です。かろうじて鼻だけ息をするために出ているのですが、息苦しくて息苦しくて、辛い時間でした。
ベットの上でタオルを何枚もかけられ(寒くないために)かなりの時間、身動きできない状態なのです。本当に辛かったです。私は動けないという状態が何のトラウマなのかだめなんです。
リラックスするためのスパエステが、難行苦行になろうとは、やっぱりなれない事はするものではありませんね。
終わったあと、そんな自分がおかしくて、笑ってしまいました。
だって、スパエステをして疲労困憊、誰だって笑うでしょう。

この数年うちの住人が家にいない事が多くなり、そのペースが身につきました。
四月から、ところが仕事内容が少し変わり、長崎での仕事のほうが多くなりそうで、したがって家にいる事も多くなります。
うれしい反面、私の時間が自由でなくなる可能性が強くなります。
長崎に、来るまで、当たり前だった生活がもどるだけのことなのですが、どうなることか。
なぜなら、今でもめんどくさいと思っている食事の準備をうちの住人がいるとなると二人分作るわけですから。一人なら冷蔵庫の中にある物で簡単にできますが、うちの住人がいるとなるとそう簡単アイデア料理というわけには行きません。
うちの住人は食事じかんをとても楽しみにしていますし、毎晩2時間以上食事にかけるとなると夜ゆっくりする時間がなくなります。
今でも夜する更新がタイムオーバーでできない事が多いのに、健康のことを考えるとそう睡眠時間を削るわけにはいきません。
楽になる部分も多いけど、自分の時間が少なくなるのは間違い無しです。
二人で行こうね、この言葉の多い事。
一人で行ってもらって私かまわないんだけど・・・・・・・・・。
2月4日(月)
2日の日記は書きかけのまま続きを後で書こうと思いながら、忘れて表紙を変えたのでそのままサイト転送をしてしまいました。サイト転送を一つづつではなくまとめてする方法を選んでいるので、こういうことが時々あります。
便利なものはなんでも良いばっかりではないんですね。
転送した後でも続きを書けばいいものを、めんどくさくなってそのままです。
また気が向いたら書きましょう。

体調不良は相変わらずです。これは当分続きそうなので気にしないことにしました。
この2日間大忙しでした。でも、一つ目の大きな山を越したので正直ほっとしています。
会議というものはしょうに合いません。
おまけに、そのおかげで、また一つめんどくさい事を背負い込んでしまいました。
会社づとめなどしていると人間関係、その他もろもろ頭に来ることが山ほどあるんでしょうね。でもそれも給料のうちと思って我慢するんでしょうか。ある人がそういっていました。
私の場合、社会的には主婦・無職ですから経済は発生しません。だから給料のうちと思って我慢するという手もありません。
色々な人と出会える事、家の中にだけいたら出会えないような体験ができる事、良い事も悪い事もあわせて面白い体験がでできる事、等々確かに充実した人生も与えてくれますね。
あんまり文句言うのも考え物かもしれません。
そう考えて、心機一転。

今日久しぶりに中華街に行きました。
ランタン祭り秒読みの町はきれいに飾りつけが進んでいます。中華の雑貨を扱っているお店を見つけました。ぶたが一杯。
今まで見たこともない中華ぶたがあふれていました。
ほしかったのですが、今回は我慢しました。
でも、お店の人と「ぶた」談義に盛り上がり、帰りにお店の人にぶたの派手な封筒を2枚もらいました。
売り物だったんです。ありがたくいただきました。
2月2日(土)
2月ですね。
一月行く、二月逃げる、三月去る、語呂合わせでしょうが、本当にそうだと思います。
1ヶ月間何をしたのかというと、忙しかった分仕事は沢山したのですが、自分のためには何にもしてないような気がします。
今年の自分に対する課題はしっかりあります。ただ、今までのように人には言いません。心密かに実行したいものだと思っています。
人は笑いますが、私は本来人付き合いの上手なほうではありません。赤面症ですし、軽い対人恐怖症的なものを持っています。
若いころ望んでいた事は、好きな本を読み、好きな人と楽しくおしゃべりし、マイペースで生きる事でした。多分、見た目にはその望みはかなっているかも知れませんね。
家族にも恵まれ、友人知人には恵まれ、それ以上何を望むのでしょうね。


1月

1月26日(土)
うちの住人から夕方の5時に帰ってくるという連絡があり、いつものように駅まで迎えに行きそのままジムのお風呂に行く事にしました。
「さやもも」は留守番です。
手術をしたらすっきりすると思っていたのですが、不調続きで、内心困ったなと思っていました。
うちの住人が聞いて来た話ですが、すっきりしないと思っている人が圧倒的に多いとか。手術なんかしなければよかったと思っている人も多いとか。もっともお医者さんに言うと首を傾げてそんな事ないと思うという反応が返ってくるそうです。
専門家とは元来そんなものです。不必要なものでも有る物をとればなくなったという消失感は残るわけで、今までと違う体感に慣れるのもまた時間がかかるということなのでしょう。
人は科学だけでは解明されない、不可思議なものです。
良かれと思ってした事、良かれと思ってされた事が人生の袂を分かつくらいの、いさかいになったりする事もあるわけですから。

60歳って、自分がなってみて実感しているのですが、ここでちゃんと自分を見てないと、人生が変わるなと思います。
心身ともに元気な人生を送りたいと思い、色々な事を真摯に受け止める。それがないと60代というのは体力、気力とも大きく変わる年齢の分岐点を曲がりそこなうという事を実感しています。
ジムのお風呂に毎日行っていますが、多分ここに来る体力と気力を持っている老人は大丈夫という気がします。
自分に閉じこもらない事が、60代以上の人の絶対条件だと思うのです。
精神的引きこもりは自分自身辛いし、回りも辛くします。
今日はそういう状態の人と2時間ほど話して、疲れ果てました。本当の意味で会話が成立しません。
何回聞いても、はじめて聞くように話が聞けるというのが私の特技と思っていましたが、誰でもというわけには行かなくなってきたのはきっと私が歳をとって我慢ができなくなったからでしょう。
少し自分にも優しくしようと思うこの頃です。
これは何でしょう。
私の頭頂部です。少し薄くなっているようなのでデジカメでとってみました。鮮明ではないけれど、それなりの髪の毛があってよかった。これから時々とってみようと思っています。
1月25日(金)
狼少年のように、飽きもせず貯蓄宣言を何度も繰り返している私です。
去年は予想外のことが一杯あって、その計画も一年先延ばしになりました。でも、そろそろ性根をすえて、老後の経済を考えた生活を目指さないと行き当たりばったりではいけないと思うのです。

今日は図書館が開館と同時に出かけて調べてもらいました。というのは、昨日借りていた本を返して、また本を借りたのですが、まだ2冊返してないといわれてしまったのです。
そんな馬鹿な、私はちゃんと返しましたというのですが、こちらも調べますからもう一度家を探してくださいといわれました。
家に帰って探すも何も返すときに借りた本のレシートと確認して返しているのですから、間違いありません。
今日、調べてもらったら、返っていました。
よかった。
でも、昨日の図書館の人の対応は頭にきます。
はじめっから、返したの、本当に、忘れたんじゃないのという態度が見え見え。
かなり物忘れがひどいから、強く言われると、そうかもしれないと思ってしまうのも確かです。
歳をとるってこんな事でしょう。
1月23日(日)
10日近く書き込みをしてない事に気がつきました。
パソコンの前には毎日座っているのですが、ワードやエクセルを使って書類作りです。
それが終わったら、ちょっと「ナポレオン」ゲームを何回かしてそれでパソコンはタイムオーバーという感じです。
エクセルなんて昔習った事をすっかり忘れてしまって、右往左往しています。
でもやっとどうにか形を整える事ができるようになって、どうにか資料作りは遂行できそうです。良かった。

今「椎茸栽培」を楽しんでします。
実は椎茸栽培セットを先週の水曜日16日に購入したのです。
それから2〜3日後から収穫できるのです。面白いようにできるので、毎日デジカメでとっているので、「しいたけ日記」を載せようと思っています。
大きくするためには間引く必要があるようで、その間引いたものを食べるのがまた楽しみです。昨日はごぼうと一緒に炒め煮にしたら佃煮風になって美味しい事。きょうはカレーうどんに入れてみました。
当分楽しめそうで、お買い得なセットでした。
1月14日(月)
今日は成人式です。町にはきれいな振袖を着た成人を迎えた女の子が沢山あふれています。
毎年振袖姿を見るたびに親御さんご苦労様、がんばりましたね、といいたくなります。うちは男の子でしたから、そんな苦労はありませんでした。
今日は面白いものを見ました。
祭日で銀行は休みですから、その玄関の石畳にぺたんと振袖を着て座り込ん騒いでいる女の子の集団を見ました。
洋服のときでもあらあらと思うのに、振袖ですよ。
10人ぐらいいる中で半分くらい座り込んでいました。正直見てはいけないものを見たような気がしました。だって、振袖を買うって、そう簡単な値段じゃないでしょう。親の我が子に二十歳のお祝いの振袖を着せたい思いが、がんぱって用意させるものでしょうから、振袖を着たときぐらいちょっとそれらしく振舞ってほしいとつい思ってしまうわけです。
そのまま通り過ぎて用事を済まし、10分ぐらいたっていたでしょうか、また同じ銀行の横を通りました。
警察官が3人そこに来ていました。
さっきは女の子の影で見えなかったのですが、1升ビンが3本見えました。
1升ビンの回し飲みをして騒いでいたらしく、通報が行ったようです。
どうも、酔っ払った子達がそのままで、後は逃げた様です。もう立っていた子はいませんでしたから。お酒を飲んで酔っ払った子はべたっと座り込んで動けないんでしょうね。
その後どうなったかはわかりません。通り過ぎましたから。
その子達がもっと大人になった時、あの時は本当に馬鹿な事をしたもんだと笑い話になるぐらいの頑張りをこれから見せてほしなと子をもつ親としては願います。
1月12日(土)
久しぶりにうちの住人とお昼を外で食べようという事になって、それならやっぱり回るおすし屋さんよねと出かけました。
今日はゆっくりしたいので、カウンターではなく対面式の椅子のほうに座るために少し待ちました。
待っている間に、
「このごろ変なんだ、心が急に切れたり、お頭の中が切れたり、急におかしくなったりで心療内科に行ったんだけど、本当は精神科に行ったほうがいいのかなあ」
という話が聞こえてきました。
明日の成人式に出るかどうかの話もしていたので二十歳の子だと思います。男の子二人です。
「気分が重くなってどうしようもなくなる事ことがあるとか、急に歩けなくなるとか、話ができなくなる」とか色々言ってました。
それがかなり大きな声なので、聞き耳を立てなくても聞こえてくるのです。
最初その声のトーンが何か私の心に不協和音を奏でて、次に言葉が入ってきたのです。
うちの住人と顔を見合わせました。
そういう会話は小さな声でぼそぼそとされるのが普通で、店中に聞こえる声でしゃべるものではありません。
多分、その声に彼が病気なら、症状がよく出ているのでしょう。
病院に行っているなら、ちゃんと直るまでかかってね、と思いました。それが一番だから。
1月11日(金)
図書館で本を借りてきました。
本当は読む本が沢山あるので今日はゆっくり施設見学のつもりだったのですが、前から読みたいと思っていた本が3冊あったので、借りてしまいました。
受付に出さなくても一人で操作して借りられる機械があって、それがなかなか面白くて、楽しいのです。
何を読むんだということを知られないのは、どうという事もないけど、気分的に楽です。なんとなくプライバシーが守られるという感じ。
今忙しくて、ゆっくり本を読む時間はないのですが、2週間あるから読めるでしょう。
お正月,帰ってきた息子からも面白い本を一杯ゲットしてますので、机の上は本だらけ。
こういうときが一番幸せです。
いつでも好きな本を選んで読める憧れの状態です。今。
1月9日(水)
携帯メールがこのところ来ないとは思っていましたが、もともとあまり人に教えてもないし気にもしてませんでした。
所がメールが来ないのには理由があったのです。iモードロックなる変なものがかかっていて使えなくなっていたのです。そんなものした覚えもないし、色々、解除しようと自分でやってみましたが不可能。
名義がうちの住人なので、私が一人でショップに行ってもだめなんです。
頼み込んで一緒に行ってもらいました。直りました。
ここを押してここを長押しするとこうなるんです、といわれて思い出しました。
やりました。私が。
別のことがしたかったのですが、まるっきり見当違いのことをしたようです。
私がしたかったのは自分の番号を知りたかっただけなんです。そのとき見たこともないマークが出たのは知っていたのですが、気にも留めませんでした。
不思議な事に電話機能はなんともないんでかけられるので、そちらは使っていたのでまさかiモードロックがかかっているなんて夢にも思いませんよね。
解除してもらって、あらメール何にも来てなかったわと思ってまたそのまんま。そこでセンター問い合わせをしなければいけなかったんです。さっきそれに気がついてセンター問い合わせを押したら、大事なメールがどっと。
メールくれた方ごめんなさい。
1月8日(火)
駆け足で新しい図書館の中は見ていたのですが、時間がなくて登録はまだしてなかったのです。
今日用事を済ませてやっと行ってきました。何しろ私の好きな「柴田まさき」本が沢山あることだけは押さえていたので、るんるんで出かけました。
火曜日はお休み。そんなもんですね。
お休みと知らないで結構沢山の人が来てました。
また明日出直しです。とはいっても、出直しというほどの距離ではありません。
わざわざバスに乗ってきた方には申し訳ないほど近いのです。
毎日買い物に行くにもジムに行くにも「さやもも」の散歩に行くにも前を通るのですから。
ちょっとこじゃれたレストランも併設されているんです。
今度ここにも行ってみましょう。
1月6日(日)
哲学という言葉はもう死語でしょうか。
人が生きていくとき、この言葉を抜きに人生を語れない気がして仕方がないのです。
最近ある90代の方と方と関わって、人生の終わり方の難しさを痛感しています。人間としての尊厳を持って死ぬ事の難しさといってもいいかもしれません。
人に対して攻撃的で自分の身を嘆く、見ているのが辛いくらいに。
私はやっぱりそうだろうなあと思うわけです。なんとなく納得してしまいます。

  なんにでも我慢しすぎてきたからですよ。
  お嫁さんの事だって悪口の一つや二つ言ってよかったんですよ。
  そしていやな事はいやだと一緒になって批判してもよかったんじゃないですか。
  良い人でありたいと思いすぎたんですよ。。。。。。。。。

と、次から次にそんな思いが出てきます。
人と争わない、多分それが彼女の人生哲学だったんだと思います。
自分が我慢すれば済むことなら我慢しよう、できるだけ良い様に考えていこう、そう思って生きていらっしゃったんだと思います。出も彼女の思いが相手には通じなかったんだと思います。
人の心は我慢が過ぎると、辛くなるものです。限度を過ぎるとどこかに無理がいくものです。
その無理が今出ているんだと思います。
家族から阻害された捨てられたという思い、寂しさがそうさせるんだと思います。
ひとごとではありません。
私だって長生きしたら、今までの我慢の無理がたたって、イヤーな人間になるかもしれません。
あら、我慢してたのなんかいいっこ無しです。我慢してるんです。色々な事。当然です。
多分、その度合いによるのかなと思ったりしますが、どこで人は変わるのでしょう。
昔は痴呆といいました。今は認知症です。言葉が変わっても、その存在に変わりはありません。
老いて死ぬ。
誰にでもある普通のことが、ある人の人格を破壊し、周りも辛くし、本人も辛くする。
どうすればいいのだろうと今から考えます。
老いの哲学。未知なる物に対する好奇心が、むくむくと頭をもたげます。
念じるように、穏やかな老後になりますようにと思い続ける。そう脳に刷り込む。あんまりしんどい事はしんどいから嫌だと言う。
全ては結果オーライ。
そのためにも、この「日々の思い」は大事です。
私の精神状態が如実に出るでしょうから。

2時50分の特急で福岡に行ってきます。
今回の座席指定はグリーンを取りました。ほんのちょっとの出費でゆったりできるなら、贅沢ではありません。
1月5日(土)
今日から長崎は新しい市立図書館が開館します。家から歩いて数分の場所なので、我が家の書斎のようだと友人に言われます。
冷暖房完備なのですから、すわり心地のいい椅子を見つければ本を読むには本当に最高の場所です。
もし家に来て私がいなかったら、図書館を探してくださいというのもまんざら冗談ではないかもしれません。
午前中市長をはじめとするセレモニーがあっていました。
その後子供たちによる龍踊りがあっています。
長崎はやっぱりお祝い事は龍踊りが一番似合います。
今は幼稚園から小学校から高校まで、龍踊りをするところが沢山できています。したがって龍の大きさもそれに合わせて作ってあります。
ランタン祭りとおくんちのときはそれは見事な龍踊りが見られます。
よそから来た人はそれを見ると、こちらの想像以上に喜びます。
長崎の人は見る機会が多いので、慣れていますが、普通は考えたら見る機会はないですものね。

朝、熊本の友人から福岡で会わないかとお誘いの電話がありました。彼女と私の中間点としては福岡は便利です。彼女はとっても忙しい人で、私も本当は忙しい人ですから会おうねと言いながら実現するのはよくて年に一回がいいところです。渡りに船とはこの事です。1泊2日おしゃべりを楽しんできましょう。
1月4日(金)
              明けましておめでとうございます。

三が日は12月の31日に[K]が帰ってきて2日に帰り,[S]が1日に帰ってきて3日に帰りで、取り立てて何もしないでのんびり穏やかに過ごしました。いつものうちの住人と「さやもも」の二人と二匹の生活とは違うにぎやかなおだやかさでした。
二人が帰った後はしたがって気が抜けたような感じ。
今日は心地よい疲れを楽しんでいます。
やっぱり家族がそろうって楽しいですね。
「さやもも」も今日は所在無げにソファーでごろごろしています。
私も今日一日ごろごろして、明日から待ったなしの仕事を始める予定です。今回は沢山作る書類があるので、パソコンができてよかったなとしみじみ思っています。
手書きなんていったら、字の下手さに泣く事でしょう。

年賀状も早々と買ってあったのですが、結局作って出したのお正月になって。
出した方のもとにつくのはいつのことか。いつも今年こそと思いながら暮れには出せないままです。
こんなところに事務能力のなさというか、いい加減というか、ぐうたらぶりがよく出ていると思います。あんまり反省してないところが私の面目躍如かもしれません。
でも賀状をいただくのはうれしいものです。
このうれしさが遅くなっても出そうと気持ちになるわけです。

今年も取り立てて変わり映えのしないサイトですが、時々のぞきに来てください。